書とは

書の歴史は?
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 1     書の歴史 6/24(土) 
書 「しょ」
文字を素材とする造形芸術で,中国,朝鮮,日本などで発達した。中国ではすでに殷(いん)周代から甲骨文,金石文にすぐれたものが見えるが,漢代になって字体の統一,専門書家の出現,さらに2世紀初めの蔡倫(さいりん)による紙の発明などによって盛んとなり,東晋の王羲之の出現で大いに発達した。日本へは中国から伝来し,独自の発展を遂げた。平安時代に仮名が生まれ,また小野道風が穏やかで均衡のとれた和様書道を創始,のち後京極流,青蓮(しょうれん)院流,世尊寺流など諸流派が発生した。
 2     書体のいろいろ 6/28(水) 

「書体」と「書体の変遷」
 3     甲骨文 6/24(土) 
甲骨文 (こうこつぶん)
おもに古代中国の殷(いん)で占いに使った亀甲(きっこう)や獣骨に刻まれた文字。平らに削った亀甲・獣骨に鋭利な刀子(とうす)で彫られている。殷墟から出土するものが多く,これらには殷の歴代の王名が記され,その順位は文献の世系とほぼ一致する。記事は,亀甲・獣骨に裏面から火を当てて入ったひび(兆)を見て,卜師(ぼくし)が,占いの言葉を書いたもので,祭祀,戦争,田猟,疾病,生死,雨乞,豊凶などに関する。清末の羅振玉,王国維などによって研究・解読され,革命後董作賓を中心とする中央研究院の発掘によって甲骨学はさらに発展した。また近年,西周時代初年の卜甲・卜骨がいくつかの地点で発見され,注目されている。
殷墟(いんきょ)
中国,河南省安陽県小屯を中心とした遺跡で,殷を中興した盤庚(ばんこう)から最後の紂(ちゅう)王までの首都とされる。1928年―1937年中央研究院歴史語言研究所の李済,董作賓(とうさくひん)らによって発掘され,解放後も調査が継続されている。小屯からは宮室,宗廟,住居などの建築跡,墓葬群が発見され,1976年には武丁の妃とされる婦好の墓が発掘された。侯家荘や武官村発見の1辺20m 以上の大型墓は,多数の殉葬者,青銅器など副葬品の豊富さから殷王の墓と推定されている。また小屯の H127坑から1万7096枚の甲骨が発見され,殷の歴史を知る重要な史料となっている。
 4     隷書 6/10(土) 
隷書 「れいしょ」
漢字の書体の一つ。小篆(てん)を簡略化・直線化したもの。秦の獄吏の程【ばく】(ていばく)が作ったと伝える。前漢の隷書は筆法が素朴で,古隷と呼ばれるが,後漢には,装飾性を加味した八分(はっぷん)が生まれた。のち,隷書から楷書が発生。
 5     楷書 6/10(土) 
楷書 「かいしょ」
正書,真書とも。漢字の書体の一つで,一点一画を正確に書き,方正な形にまとめる書体。隷書から脱化して生まれたもの。漢末・三国時代ごろに芽ばえ,魏晋ごろに形成され,初唐に至って最も発達した。
 6     行書 6/10(土) 
行書 「ぎょうしょ」
漢字の書体の一つ。隷書や楷書(かいしょ)の点画をくずした書体。後漢の劉徳昇が隷書をくずして速書(はやがき)にしたものに始まると伝える。楷書とも草書ともよく調和し,実用性と芸術性を兼ね備えている。
 7     草書 6/10(土) 
草書「そうしょ」
漢字の書体の一つで,曲線が多く,流動性に富む最も自由な書体。中国,秦末・漢初のころ,文章の草稿などを簡便に書く必要から自然に生まれたもので,後漢になると独自の芸術的な美しさを備えるに至った。初めは単体の章草(独草体)であったが,やがて連綿を加える今草へと発展。
 8     金石文 6/10(土) 
金石文(きんせきぶん)
鏡,仏像,梵鐘,石碑,甲骨,粘土板,陶磁器,木簡など金属・石・土・木などの材質の遺物に彫刻,鋳出された文字をいう。紙・布にかかれた文書史料とは区別する。中国では甲骨文や青銅器の銘が殷・周時代に見られ,時代が下ると石碑,墓誌銘などが出現。日本では江田船山古墳出土の大刀の文字が5世紀のもので,奈良時代以降造像記,墓誌,石碑,供養記などが現れる。オリエントではロゼッタ・ストーンやビストゥンの磨崖刻文が有名。
 9     仮名 6/10(土) 
仮名「かな」
日本語を表音的に書き表す文字には古来,万葉仮名,平仮名,片仮名の3種がある。万葉仮名は,字形は漢字のままでありながら日本語の表音的表記に供せられるものだが,平仮名と片仮名は万葉仮名に発した日本語表記専用の文字である。後2者を総括して仮名文字,仮名ともいう。
 10     片仮名 6/10(土) 
▲片仮名「かたかな」
音節文字の一つ。日本語を表音的に表記する目的で,万葉仮名の漢字の字画の一部だけを採ったもの(伊がイ,呂がロなど)。また二がニ,八がハのように少画字の全画のこともある。漢字の字画を省くことは古くから行われ,万葉仮名の省画も8世紀初めから例があるが,9世紀に入って漢文の訓点記入が起こると,速書および細書のため省画の万葉仮名を記すことが多くなった。当初はもっぱら訓点記入のため用いられたが,やがて仮名まじり文が作られるようになり,10世紀半ばごろには片仮名だけで和歌を記すことも行われた。やがては片仮名による散文も生じ,院政時代には片仮名は説話集や記録などに多用されるようになった。片仮名の作者を吉備真備とする説は信じられず,僧たちの間で,万葉仮名の簡略化によりできあがってきたものと考えられるが,人により流派により,どの字をどう省画するかは一定しておらず,10世紀中ごろまでは異体字がきわめて多かった。世間に流通するにつれて字体が統一され,12世紀ごろには概して現行に近い字体に統合されてきた。現行の字体が固定したのは1900年小学校令施行規則に基づく。片仮名は漢字とともに用いられるのが原則で,漢字の付属的文字であったものだけに符号的性格が強く,現在でも外来語・擬音語・電報文などに用いられている。明治時代以来,小学校の文字教育では片仮名を先に学習させていたが,第2次大戦後は平仮名を先に教えるようになった。
 11     万葉仮名 6/13(火) 
▲万葉仮名
真仮名(まがな)とも。漢字のもつ意味を捨て,音だけを用いて日本語を表音的に表記するもの。字音を借りたものを音仮名といい,〈やま(山)〉を〈也麻〉,〈うつせみ〉を〈鬱瞻〉と書く。和訓を借りたものを訓仮名といい,〈やまと(大和)〉を〈八間跡〉,〈なつかし(懐し)〉を〈夏樫〉と書く。古く6世紀ごろから固有名詞の表記に用いられ,8世紀からは歌謡・書簡文などにも用いられた。ことに《万葉集》での用法が多彩であったのでこの名がある。一般には一字一音節の単純な字画の文字が多い。9世紀になって万葉仮名から平仮名,片仮名が創案されたが,正式の漢文の書物では長く日本語の表音的表記に使用された。
 12     平仮名 6/13(火) 
▲平仮名「ひらがな」
音節文字の一つ。日本語を表音的に表記するために万葉仮名の漢字の字体が極度に草体化されてできた文字。8世紀末ごろの文書には草体の万葉仮名が用いられていたが,9世紀中ごろから極端な草体化が出現した。それらの使用者はおもに諸官省や諸大寺の書記であったらしい。また女子の世界でも万葉仮名の草体化が進められ,女手(おんなで)と呼ばれて流麗な平仮名文に発達していった。漢文の訓点記入においても一時平仮名が用いられたが,間もなく片仮名がこれにかわった。平仮名は9世紀後半からすでに歌文をつづるのに用いられていたらしいが,905年《古今和歌集》が撰進されると一躍公的地位を獲得するに至り,10―11世紀にかけての和歌・物語文学の隆盛をうながす大きな力となった。10世紀には平仮名を美的観賞の対象とするようになり,字体の複雑な草仮名も併用された。12世紀ごろから〈いろは歌〉の作者,また平仮名の作者は弘法大師とする説が起こった。仮名の種類は47文字という固定観念が浸透したうえ,平安中期以降の音韻変化に伴って,〈い・ゐ〉〈え・ゑ〉〈お・を〉などの同音の仮名が生じたため,鎌倉初期から仮名遣い(かなづかい)の問題が起こった。中世以降は平仮名文に漢字を交えることが多くなり,漢字平仮名交り文が発達した。平仮名の字体は古くは1音節に対して多種の異体仮名があったが,1900年小学校令施行規則によって現行の字体に統一された。それ以外の異体仮名を変体仮名という。
 13     鐘よう 7/5(水) 

鍾よう(しょうよう) 151‐230
中国,三国の魏の政治家,書家。字は元常。河南の人。初め後漢に仕えて侍中尚書僕射となり,魏の建国に当たっては,曹操を助けて軍功があり,太傅にまで至った。書は劉徳昇に学び,銘石書(八分の碑文),章程書(楷書(かいしょ)の公文書など),行狎書(行書の尺牘(せきとく))の3体をよくしたという。その書風は後世,鍾法と称して尊ばれた。上写真は(薦季直表)せんきちょくひょう
 14     張芝 6/29(木) 
張芝(ちょうし)
中国,後漢の書家。字は伯英。生没年不詳。太常の官に上った名士張奐の子として生まれ,幼時から学問に励んだが,終生仕官せず,書の修練を積んで,特に草書をよくした。鍾【よう】(しょうよう)・王羲之とともに,古今の三筆の一人。
 15     王羲之 6/29(木) 

王羲之「おうぎし」 307?‐365?
中国,東晋の書家。字は逸少。琅邪臨沂(山東)の人。青壮年期には政治家としても知られた。楷書・行書・草書の三体を芸術的に完成させ,古今第一の書家として名高く,書風は優美典雅で,しかも力強い。代表作は,楷書《楽毅(がくき)論》,行書《蘭亭序》,草書《十七帖》など。手紙は《淳化閣帖》その他の集帖に多く収められ,ほかに彼の字を集めた《集王聖教序碑》がある。子の王献之も書家で,父と並び〈二王〉と呼ばれる。
 16     王献之 7/5(水) 

王献之(おうけんし)344‐388?
中国,東晋の書家。字は子敬。王羲之の第7子。在世当時から父と並ぶ書家として知られ,書風は父よりもさらに逸気にすぐれた。その作品は《淳化閣帖》その他の集帖にも多く収められており,楷書《洛神賦十三行》,行書《地黄湯帖》,草書《中秋帖》
淳化閣帖 (じゅんかかくじょう )が主作品。中国,宋代,淳化3年(992年)太宗の命により,王著(おうちょ)が内府所蔵の歴代の書跡を刻したもの。歴代帝王法帖(巻1),歴代名臣法帖(巻2〜4),諸家古法帖(巻5),王羲之(巻6〜8),王献之(巻9,10)の全10巻。翻刻本が多く作られた。
写真は(廿九日帖)
 17     鄭道昭 7/5(水) 

鄭道昭(ていどうしょう) ?‐516
中国,北魏の書家。字は僖伯,号は中岳先生。光州刺史に任ぜられて,山東地方に碑文を多数残した。北朝には珍しく,南朝風の丸い字体の楷書(かいしょ)が多い。作品は《鄭羲上下碑》等。写真は下碑
 18     智永 7/5(水) 

智永 (ちえい )
中国,南北朝,隋代の書僧。俗姓は王氏,名は法極。生没年不詳。王羲之の子孫で,王家の書法を伝えて諸体の書をよくした。会稽(浙江省)の永欣寺の閣上に30年こもって真草千字文800余本を臨書し,浙東の諸寺に施したという。作品は《真草千字文》の真跡本と拓本が残る。
写真は小川本(真跡)です。
 19     欧陽詢 6/30(金) 

欧陽詢(おうようじゅん)557‐641
中国,唐の書家。字は信本。潭州臨湘の人。楷書(かいしょ)にすぐれ,清峻(せいしゅん)な風格と均整のとれた書風をもつ。虞世南(ぐせいなん)と並んで唐代の代表的な書家。代表作《九成宮醴泉銘》《化度寺僧【よう】禅師塔銘》。
 20     虞世南 6/30(金) 

虞世南 558‐638「ぐせいなん 」
中国,唐の書家。字は伯施。浙江の人。隋の煬帝(ようだい)に仕えた後,唐の太宗にその人物・学識・書芸を高く評価された。智永に王羲之の書法を学び,温雅で含蓄のある書風を作りあげた。欧陽詢,【ちょ】遂良とともに楷書(かいしょ)の完成者と目されている。代表作《孔子廟堂碑》。
 21     ちょ遂良 6/30(金) 

【ちょ】遂良(ちょすいりょう ) 596‐658
中国,唐代の書家。字は登善。杭州銭塘の人。太宗の王羲之書収集事業にあたって筆跡を鑑別し,また諫官(かんかん)として朝政に参与した。王羲之を基本とする書は婉美(えんび)と評され,欧陽詢,虞世南(ぐせいなん)とともに初唐三大家の一人とされる。代表作《雁塔聖教序》《孟法師碑》。
 22     唐太宗 7/5(水) 

唐太宗(とうのたいそう) 598-649
唐の第二代皇帝。李氏、諱は世民。唐代の政治。文化の推進者となり、書では王羲之を溺愛し、内外の名跡を収集した。僧弁才から「蘭亭序」を臣下に奪い取らせ、のちに自分の墓に埋めさせたという話もある。「晋祠銘」(しんしのめい)「温泉銘」(おんせんめい) *上写真
「屏風書」(びょうぶしょ)などの行書作品に優れたものが多い。
 23     孫過庭 7/5(水) 

孫過庭(そんかてい) 648ころ‐703ころ
中国,唐代の書家。字は虔礼(けんれい)。一説に名は虔礼,字は過庭。40歳ころに仕官したが,讒言(ざんげん)を受けてしりぞけられ,不遇のうちに没した。書は王羲之・王献之を学び,草書をよくし,臨模に長じた。著書《書譜》2巻は,南朝以来の伝統的な書論を集大成したもの。(上写真)
 24     張旭 6/24(土) 
張旭 (ちょうきょく)
中国,唐代の玄宗朝ころの書家。生没年不詳。字は伯高。蘇州呉の人。草書の法を変革し,狂草(奔放な草書)を創始したという。酔うと草書の大字を書きなぐり,時には髪を墨に浸して書いたという奇行から張【てん】(ちょうてん)と称された。楷書《郎官石記》,草書《自言帖》がある。
 25     顔真卿 6/29(木) 

顔真卿 (がんしんけい ) 709‐785
中国,唐代の政治家,書家。字は清臣。顔之推(がんしすい)の5世孫。長安の人。文官として仕官したが,安史の乱の平定に尽力。剛直な性格のために,時の権勢家と合わず,政治的地位は不安定であった。李希烈の叛にあい殺された。書は形式的な調和美よりも,むしろ人間精神の深部にうごめく生命の抑揚を端的に表現,近代的な書風のよりどころとなった。代表作,楷書《顔氏家廟碑》,草書《祭姪(さいてつ)文稿》《争坐位帖》など。
 26     懐素 7/5(水) 

懐素(かいそ) 725?‐785?
中国,唐代の書僧。俗姓は銭氏。字は蔵真。湖南の人。幼くして仏門に入り,かたわら書に親しんだ。張旭の後に出た草書の名家として知られる。酒を愛し,酔って興に乗れば,壁や衣装などに手当たり次第に狂草(極端に書きくずした草書の一種)を書き,世に〈張【てん】素狂(ちょうてんそきょう)〉と称された。代表作《草書千字文》 上写真 《自叙帖》。
 27     柳公権 6/24(土) 
柳公権(りゅうこうけん) 778‐865
中国,唐代の政治家,書家。字は誠懸。陝西省の人。官は翰林侍書から太子太保に至り,没後太子大師を贈られた。楷書をよくし,顔真卿を学んだうえに諸家の長を取り入れ,勁媚(けいび)な書風で一家を成した。代表作《金剛般若経》《玄秘塔碑》。
 28     王鐸 6/24(土) 
王鐸(おうたく) 1592‐1652
中国,清代の画家,書家。河南の人。字は覚斯。詩文書画にすぐれ,絵では山水画を得意とし,また花鳥画,四君子など当時主流の南画に抵抗し五代の荊浩,関仝を範とした墨調の強い作品を描いた。書は奔放自在な筆致で,董其昌(とうきしょう)と並び当代随一といわれた。著書に《擬山園集》がある。
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Last updated: 2006/7/5