自分をもっと愛しましょう
自分の体が一番快く感じる状態というのは、自分を愛することなのです。
でもみんなが誤解してしまうことは、イメージで作り上げた自分を愛してしまうことです。そのため、自分のイメージが悪くなってしまうと自分が嫌いになってしまい自分を責めたりしてしまう。
だから自己評価が高くなったり低くなったりするのです。
そうではなく、イメージとして作られる以前の自分を愛する。
それって何?どういうこと?
それにはイメージに左右されない自分を見つけること。それはあなたの生命です。
生命の現れは自分の体。だから自分の体を大切にすることが、本当に自分を愛することにつながるのです。
からだの声を聴きましょう
感性的著述が続きますが、つまりはうつ病や神経症に罹る人というのは多く本来感性で行動したほうがいいのに、理性で行動してしまっているために心と体のハーモニーが崩れてしまっているのです。
だから、そのハーモニーを取り戻すためには、からだの声を聴き「からだの感覚」に沿って考え行動するのが癒されるための回路となります。
では、からだの声を聴くとはどういうことか?
それは「快い」という感覚に従うことです。これに沿って考えることも快い考え方をする。
例えば物事を深刻に悲観的に捉えることは快いでしょうか?
そうじゃないのは明らかですね。
だったら楽天的な快い考え方をしましょう。
考え方が暗くなると、食べること、動くことすべてにおいて快さが感じられなくなり、ついには体に悪い食べ物を食べたりしてもそれが不味いと感じられなくなる。
つまり感性が鈍くなるのです。こうしてどんどん体を壊していくのが自律神経失調症です。
でも身についていない楽天思考はしろと言われても出来ない。
そこでまずは何も考えない、頭を空っぽにしてポカーンとする時間を持つことです。
私の行う整体ヒーリングは受けているだけで頭がポカーンとしてきます。
そして、なんとなく気分に任せてからだを動かしてみる。
それには活元運動が一番いいのです。(気の会のページをご覧て下さい)あるいはヨーガのポーズを行うのもいいでしょう。
私はあなたのからだの状態に合わせて活元運動やヨーガのポーズを指導しています。
そしてある程度活元運動やヨーガに慣れて来たら、動かしながら「快さ」を追いかけます。どういうポーズが快いか、からだのどこがとくに快いか?
決して考えてはなりません。ただ感じるのです。
それは日によって違いますので「これが快い」とか「自分に合う」と決め付けてはなりません。
快さがわかってきたら、さらに深くからだの声を聴くことをします。
<エクササイズ>
体の内側に意識を向けます。
その中で今気になるところをじっくりと感じます。
そこに違和感や不快感があったとしても、今はそれを受け入れるように、感じられるものを出来るだけ丁寧に味わいます。それは、重たさ?熱さ?冷たさ?固さ?あるいは内的な動きが感じられるでしょうか?
もし重さを感じているなら、その重さをもっと感じるように、固さがあるならもっと固くなってみる。
動きを感じたなら、その感じに従って手足や胴体を動かしてみます。
痛みがあるなら、少しの間、10分くらい我慢して、痛みをもっと味わってみる。そしてその様子、特徴を捉えてみる。
こうして不快感や違和感から逃げるのではなくその反対に、どんどん近づいていくのです。
そして、出来たら違和感、異常そのものになってみる。先ほどまでは、あなたの意識と違和感は対立してましたね。
そこから一歩進んで、あなたの意識と違和感を重ねるようにする。
違和感そのものになったとき、あなたの意識はどう変化しているでしょう?
どんな気分でしょう。
そこから、つまり違和感の立場から、自分自身、自分の日常を眺めてみましょう。
どのように自分の姿が映りますか?
おそらく、違和感そのものになったらもっと不快になるんじゃないか、症状は悪化するんじゃないかと心配するでしょう。
確かに、一時的にはそうなるのですが、それを通り過ぎると「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の如く、時にはすっきりしてしまうこともある。まぁそれは稀ですが不快感は軽減し症状も軽くなってゆきます。
しかし、ここまでやれたら大したもんです。大半の方はその手前で怖くなる、不安になり、これ以上ワークを出来なくなりますが、途中まででも時々やるようにすることをお勧めします。
すると、少し心に余裕が出てきますよ。(ただし精神薬を服用中の方は主治医に必ず相談してから行ってくださいね)
気持ちを言葉で表現しましょう
うつ病や神経症に罹る人々は、多く対人関係の中で傷ついています。
対人関係の傷は、本当の対話が求める相手となされていないために起こります。
それは気持ちの表現とそれの受容です。(関係性と身体のページも併せて読んでみてください)
そのためにまずはセラピストに対していろいろ話してみることです。私はあなたと対話する時間もじっくり取ります。
気持ちが十分表現出来るというのは、息を吐ききるのと同じこと。
息が吐き切れれば自然と吸う息になります。
このとき相手が言葉だけを受け止めて気持ちを受け止めないと、話す人は息を吐ききれないのです。
吸う息というのは話を聞く状態です。
だから気持ちが十分表現でき受け止められると、人は自然と相手の話を聞けるようになるのです。本当に対話が出来ると、それは
お互いに深呼吸することになり、体も快く元気になります。
仲間をつくりましょう
そしていろいろ話せるようになったら、語り合う仲間を増やしてゆきましょう。同じ病気や悩みを抱える人たちと交流するわけです。
私のようなセラピストや医師は当然必要ですが、やはり立場も違い、感じていることも考えていることも異なる。だからいくら私があなたの話を聞いてあげたとしても、立場や感性の違いから受け止めきれないものはどうしてもあります。
だから心の病、あるいは体の病についても同じ立場の人たちが交流して心を支えあうことのほうが、実は大切なことであり、その関係が治癒に一番作用するのです。
薬について
私のような整体や自然療法を好む人、それを職業とするような人たちは、薬を飲むことを嫌います。だからあなたにも出来るだけ飲んでほしくないのは当然ですが、心の病については、私はまず薬を飲んでもらう、つまり精神科医に罹ってもらうことを勧めます。
それは、自分をコントロールする中枢が疲労してうまく機能しないわけですから、こうした状態の中で薬を飲まないことは、足を怪我してるのに富士山に登ろうとするようなもの。つまりは無理な行為なのです。
でも、逆に薬に依存してしまいずっと飲みつづけることは、足の怪我が治ってもまったく歩こうとしないようなもの。これでは足の筋肉は萎縮したままで、少し歩いただけでもつまずくような、常に怪我のしやすい状態になりますね。
同じように自分の心にいつまでたっても自信が芽生えず、病気に罹る前よりもストレスに弱くなってしまいます。
ですから、落ち着いてきたら少しずつ薬を減らしてゆくことを勧めています。
自然の流れに任せましょう
働かないでいることは、当然時間の問題で経済的にゆきづまります。そのことを本人も周りの家族も心配して、なんとか早く治そうとします。
でも、この早く治そうとしてあれこれいろいろな治療を試すことが、かえって治癒を遅らせます。これは身体の病についても同じです。
商売のヘタな私は、たまに経済的に苦しくなるといろんな宣伝行為に走りますが、すべて空回りして、経費をかえって増やしてしまう。これと同じですね。
整体やプロセスワークでは、病気自体に何か目的があると捉えます。
そう言われると、大概の方は「目的ったって、病気になろうなんて考えてないよ!みんなと同じようにバリバリと働きたい!」と言うでしょう。
でもそれは意識、つまり頭で望んでいること。あなたの無意識や生命はそうは望んでないのかもしれません。
「でも働かないと経済的にゆきづまる、将来の夢や希望に至る道が絶たれてしまう」と心配します。
ところが、今まで私が多くの心の病んでいる人たちや仕事のない人たちを観察してきて思うに、
病気をしていられる間、つまり病気を出来る条件が整っている間は治らず、その条件が変ってくると自然と治る。
仕事についても同じこと。働かなくても十分な金がある間は仕事が決まらず、本当に働かなくては明日の生活に困る状況になると、求めてなくても仕事が向こうから来るのです。
それでは引きこもりの人たちに住居も生活費も与えないような、病気をしてられないような状況に追い込むことは効果があるのかというと、そうではないのです。
それは、秋に収穫する米を夏に収穫しようとあれこれ肥料をやってもそうはならないのと同じこと。
やはり、時期を待たなくてはならないのです。でも時期が来ると、
自然と薬を飲み忘れるようになり、飲まなくても割と平気であることに気づく。この時が薬をやめるタイミング。
誰から説得されるわけでもなく「自発的に」外へ出て働いてみたくなる。そのタイミングが丁度よければ、職安へ出かけて即日仕事が決まるようなことが起こります。
不思議ですが無意識や生命は、事のなりゆきを先の先まで知っているみたいです。
ただし、競争社会の中で出世し地位や財を得たいと相変わらず望むなら、このようにはなりません。
このように書くと、まるで何もしないで機が到来するのをじっと待っていればいいような感じを受けるかも知れません。でも実は、理想はそうなのです。ただしそれは私たちの思考が無意識や生命の声に沿っていればの話です。
でもそうではないから病むのであり、また私たちの思考で作り上げている社会構造、経済システムが無意識や生命の欲求とはかけ離れているから病むわけです。
だから、あなたの思考の流れを生命の流れと一致させてゆくために、多少のケアは必要となります。