Mr.トリックの独り言

2007/06/07    笹峠の新道は
 カタクリの会定例観察会で、午前中は笹峠の新道を歩いた。
 要するにアスファルト道路である。
 とはいえ、全面開通されていない。
 県境まであと数百メートルの所で、工事がストップされている。
 岩手県から側は毎年何メートルかずつ工事は進んでいるようだが、秋田側は現在工事がストップしていることもあり、全面開通まではまだまだかかりそうである。
 おまけに、毎年、土砂崩れが起きたり道路が流されたりとその度に補修工事が入るのだ。
 その道路を歩いてみた。
 側溝に小動物の抜け道や法面に在来種の植物の種子をまいたりと工夫が施されている。
 この道路早期開通の期成同盟も設立され、毎年大会が行われているようだ。
 それでも工事は進まない。
 自然の力は、人の力を遥かにしのぐ。
2007/06/06    子規も歩いた笹峠
 先日のカタクリの会定例観察会で、秋田の美郷町(旧六郷町)と岩手県の西和賀町(旧湯田町)を結ぶ笹峠を歩いた。
 午前は、途中工事が中断されているアスファルト道路、午後は山道いわゆる旧道である。
 じつは、この山道を明治26年にかの有名な正岡子規が歩いたと言うから驚きだ。
 子規27歳の時であるという。
 若いが決して健脚でない、それどころか病気を持っていた(おそらく結核)子規が30キロ近い道のりを歩く姿を思い浮かべながら歩いた(といっても子規の歩いた一部に過ぎないが)。
 ちょうど歩き始めた場所に子規の句碑が建っていた。
 それには、子規のこんな句が書かれていた。
 
 蜩(ひぐらし)や夕日の里は見えながら
 
 この地を歩いたのは、明治26年の8月16日だという。
 この頃といえば、夏の終わり、ヒグラシは盛んに鳴いていたのだろう。
 子規は、山道を歩きながら、日が傾きかける。
 ふと山の麓に里が見えるのだが、行けども行けども到達しないー何を思いながら歩き続けたのだろうか。
 句碑をみながら様々な思いを寄せた。
2007/06/05    不快な体験を自然から学ぶことの大切さ
 抽象的なもののいい方で申し訳ないのだが、最近、様々な場面での気になる保護者の言葉に「子どもたちがかわいそうだから・・・・」というのがある。
 この言葉自体は問題ないと思うのだが、それがゆえにあまりに先取りした子どもの保護に辟易することも多い。
 そのために本来子どもが成長すべき場面で成長できないでいるのではないかと思ってしまうこともある。
 子どもたちにはもっと「不便」だとか「気持ち悪い」だとか「痛い」とか「つらい」とかいわば不快な体験をさせたいと願うのは、それこそかわいそうなことだろうか?
 その点、自然の中にはいると自然は様々なことを教えてくれる。
 自然の中は気持ちよいのだが、すべてがそうとは限らない。
 自然の中には、怖いもの、痛いもの、気持ち悪いものなどいわば不快なものがたくさん存在する。
 危険なことも多い。
 時には、怪我をすることだってある。
 しかし、だからこそ、その中で子どもたちは体験し、学習し、成長していけるのである。
 自然は、子どもたちを成長させる源である。
2007/06/04    ショウジョウバカマはクローンができる
 ショウジョウバカマはもちろん種子で増えるが、それだけではない。
 地面についた葉っぱから根を出し、そこから新たな花を咲かせる。
 いわばクローンを創り出すわけだ。
 さしずめ、人で言えば手から新たな子どもが生まれるようなものだ。
 まだ雪消えまもなく気温が低い悪条件の中で生きるためのショウジョウバカマの生き残り戦略と言ってよいかもしれない。
2007/06/02    羽づくろいをするミゾゴイ
 コウノトリより数が少なく全世界に1000羽といないと言われるミゾゴイがまた近くの里山にやってきた。
 すぐ近くの住民の方によると今年もペアでやってきたらしい。
 産卵しているかどうかは確認できていないというが、ペアで生活しているとなるとその可能性は大である。
 もう数年前からこの地を訪れている1羽のミゾゴイは、それほど人を恐れず、こうして近くの里にも下りてくるようだ。
 餌となるミミズやカエル、それにイモリが豊富なこともあるだろう。
 時には、水浴びをし、写真のように羽づくろいもする。
 まだまだその生態が知られていないミゾゴイ、それがこの里山に毎日のように姿を見せている。
 彼らは、私たちに何を教えているのだろうか。
2007/06/01    昆虫少年を絶滅危惧種にしないで
 はっきりとしたデータがないので、印象で物事を言うのだが、最近はめっきり捕虫網を持って歩く子どもの姿が見えなくなった。
 これもまた、印象なのだが、子どもたちは休日といえどもスポ小や習い事、それに家の中でのゲームといった類の生活になっていないだろうか。
 もちろん、それらはそれで教育的意義はあるだろうが、かつての昆虫少年だったおじさんたちにしてみるとあまりに寂しい。
 果たして、この子らは将来、自然に対してどう向き合ってくれるだろうかと思えばとても不安になるのだ。
 一方では、学校の「総合的な学習の時間」などでは、一様に「地球温暖化が進んでいる」「絶滅危惧種が増えている」などとレポートを書けている。
 しかし、昆虫1匹取れない子どもが果たして、「絶滅危惧種うんぬん」といってもどんな価値があるのだろうかと思うのは、かつての昆虫少年の戯言であろうか?
 それでも今でもまだ少しだが、昆虫少年はいる。
 しかし、このような昆虫少年を決して「絶滅危惧種」だと言わせないようにしなければならない。

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最終更新日:2008/1/19

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