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’88年の 当時 には、まだ ベルリンの壁 が存在 していた。私達は 北回り の アンカレッジ 経由で フランクフルト空港 に着いた。そこで 初めて目にした ドイツ語 の文字は、自己責任 についての 掲示 であった。
’88年6月17日(金)
欧州選手権
イタリア vs デンマーク
ケルン ミュンガース ドルファー スタジアム
若い イタリア は 新鮮で、且つ 老獪だった。彼等には ゲーム運び という概念が、自然に 身に付いている。19 才の マルディーニ には驚かされた。あの若さで 成熟を感 じさせる。
デンマーク の発見は 若き GK シュマイケル であった。名高い イタリア代表の ゼンガ より、高い可能性 を感 じさせた。ゲーム が劣勢 であったため、彼の良さ を確認できた。
’88年6月18日(土)
イングランド vs ソ連
フランクフルト バルト スタジアム
ロブソン を中心とした イングランド に期待 したが、良く言えば オーソドックス、はっきり言ってしまうと 時代遅れ であった。ホドル の展開力 も ソ連 の アグレッシブなプレッシング の前に 機能 しなかった。
ディナモ ・ キエフ 勢で固めた ソ連 は、代表チーム とは思えない程 チーム として完成 されていた。敢えて問題を挙げると 単調さ である。意図的な チェンジ ・ オブ ・ ペース の意識 が薄いような気がする。
’88年6月21日(火)
準決勝
西ドイツ vs オランダ
ハンブルグ フォルクス パルク スタジアム
地元 西ドイツ は苦境にあった。マテウス はまだ 輝いておらず、トーン は若過ぎた。ベルント ・ シュスター が不在 だったのである。
オランダ の出来は 蓋を開けてみないと わからない。潜在能力 では No.1 だ。優勝できる 可能性 も感 じさせる。だが 呆気ない敗退 の危険も 同時に持ち合わせている。この ゲーム は ファン ・ バステン が終了寸前に、芸術的な 技あり ゴール を流 し込み 勝利を奪った。
ただ イグナ主審 の レフェリング には 問題があった。
’88年6月22日(水)
準決勝
イタリア vs ソ連
シュツットガルト ネッカー スタジアム
観戦 した中での ベストゲーム。ソ連 の精練された モダン ・ フットボール が、若い イタリア を 一蹴 した。決勝戦は ソ連 が勢いで やや優勢か と感 じさせた。
’88年6月25日(土)
決勝戦
オランダ vs ソ連
ミュンヘン オリンピック スタジアム
個の力が 組織の力を 粉砕 した。これは ブラジル以外 では、オランダ にしか出来ない 芸当 だろう。その 象徴 が ファン ・ バステン の センチュリー ・ ボレー である。これを 引き出 したのは まだ 23 才だった ファン ・ バステン に、12 番 を与えた リヌス ・ ミケルス の 手腕 である。
ゲパック
西ドイツ は比較的 治安の良い国 であった。色々散策 したが 危険な目にも、フーリガン騒動にも 巻き込まれなかった。旅程を終えて 私達は帰路に着いた。ミュンヘン から フランクフルト に飛び、再び アンカレッジ経由 で 北回り をするのである。
その事件は フランクフルト で起こった。飛行機テロ対策 のために 荷物の再確認 をするのである。家内の荷物は すぐ見付かった。名前を確認をすると 再び運ばれて行く。ところが 私の荷物は、何時まで待っても 出て来ないのだ。
搭乗時刻は 迫っている。私達は焦った。そして 近くの係官に噛み付いた。マイネ ゲパック イスト ヴェ〜ッグ!。係官は 冷静に名前を尋ねると、まあ待て と答えた。そして すぐに、見覚えのある 黒いトランク がやって来た。
成田で確認すると、トランク には 合い鍵 で開けられた 形跡 があった。レントゲン に感光 しない為の 鉛入りの袋 が、撮影 した フィルムで 大きく膨らんでいた事が、当局の不審 を招 いたらしい。
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