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’95年6月3日(土)
ロンドン。ウェンブリーの銀傘を驟雨が叩く。先日広島での対スコットランド戦、雨中の拙戦が思い出されて不安になる。しかしここはロンドンだ。雨が駆け抜けると、緑のピッチは何事もなかったかのように、ベストコンディションを維持していた。
イングランドvs日本。ウェンブリーのニューフェイスが大舞台で揚ってしまうことを一番に恐れていたが、加茂ジャパンはフットボールの聖地で活き活きとしたプレーを展開した。咬ませ犬のはずの日本の予想外の健闘は、初戦の楽勝で波に乗るはずだったイングランドを慌てさせる。ミスマッチと興味不足だった地元の観衆を驚かせた。そして記念すべき井原のウェンブリーゴール。
“グッドフットボール”、私達が日本人であることが判ると、英国人はジャパンの評価をこう表現してくれた。遠い昔’66イングランドW.C.で北朝鮮がイタリアを破り、エウゼビオのポルトガルを3−0まで追い込んだ。その記憶が英国人に甦ったのかもしれない。
’95年6月4日(日)
バーミンガム、ヴィラ・パーク、ブラジルvsスウェーデン。ブラジルのベストゲームだった。点差こそ開かなかったが、内容は一方的だった。ドゥンガが後方からゲームを組み立て、ジュニーニョが中盤をドリブルで切り裂き、ロベルト・カルロスが攻め上がり、強烈なシュートを放った。娘はこの一戦ですっかりブラジルのファンになった。
’95年6月5日(月)
グディソン・パーク。ジャパンのトレーニング中のスタジアムに、特別に入らせてもらう。ツアー仲間の計らいで、娘は柱谷と北澤のサインを貰う。特に北澤との写真を撮ってもらったのが嬉しかったようだ。
続いて欧州選手権に向けて改修中のアンフィールドに潜り込む。すぐに見つかって追い出されたが、スパイオン・コップが見られたのは幸運だった。
’95年6月6日(火)
リバプール、グディソン・パーク、日本vsブラジル。最強のブラジルと、意外にもいいフットボールを見せる日本の対戦。戦前は見向きもされなかったゲームだったが、俄かに人気が高まった。当日になって券売り場に観衆が殺到した。このため開始時刻が急遽遅らせられた。
最強の相手によく戦ったと思う。しかし内容は今一つだった。失点がゲームの前後半開始早々だった事。失点が全てミス絡みだった事。そしてその余裕のためか、この前の時のようなブラジルではなかった事。ブラジルの猛攻にGK小島が大活躍した。そしてゴール裏の観衆の人気を独占した。
’95年6月8日(木)
マンチェスター、オールド・トラフォード。ここも欧州選手権に向けて改装中だった。しかし案内ツアーはいつも通り実施しており、スタジアムの中に入る事ができた。いろいろな所を案内してもらった。プレーヤーの控え室等は印象に残った。マンチェスターUのミュージアムは伝統と栄光に彩られ、一見の価値があった。そしてショップはまるでデパートみたいで、グッズの宝庫だった。いろいろ物色して一家で大散財をした。
リーズ、エランド・ロード、イングランドvsスウェーデン。ウェンブリーを離れたイングランドが、どのような戦いをするのか。対する相手は古豪スウェーデン。0−2でリードされてサポーターが諦めかけたその時、イングランドの反撃が始まる。ガスコインのコーナーからプラットが1点を返した。そして終了直前、アンダートンの劇的なチンチンゴールが決まった。
’95年6月10日(土)
ノッティンガム、シティ・グラウンド。日本vsスウェーデン。遠い遠い昔、ベルリンのオリンピックで、日本が大番狂わせを演じた因縁の対決だ。だが力の差は確実に縮まっていた。モチベーションが落ちたスウェーデンを相手に、勝利の絶好のチャンスだった。しかし日本は、それを実現させるための情熱に欠けた。その中でミラクル俊哉のプレーは光った。
’95年6月11日(日)
16時、ロンドン、エンパイヤースタジアム・ウェンブリー、イングランドvsブラジル。最高の舞台での最高の対戦だ。両国国歌で総身に逆毛が立つ。このゲームを観るためにここまで来たのだ。歴史と伝統と伝説が、曽祖父の時代から遺伝子に刻み込まれた、その地元の観衆の中で、共に歓声を上げる。至福とも言える時間。
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