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’06年7月3日(月)
特別な支障 もなく、最初の宿泊地 である フランクフルト の ホテル まで無事に着いた。時差 もあるので、今夜は ゆっくりと 熟睡 したい。
’06年7月4日(火)
惰眠 を貪ろう と思っていたのだが、早朝に覚醒 した。二度寝が できそうもない状態 なので、ベッド から起きる。日本 からの モーニングコール が掛かった時には、既に 朝食 を食べていた。
フランクフルト には お昼まで の滞在 なので、 S バーン で 旧市街 まで 出掛ける。ドイツ は 初めて なのだが、パソコン の スクリーンセーバー で いつも見掛ける 風景 である。とても 初めて とは思えない。
レーマー広場 は 閑散 としていた。先日は ブラジル vs フランス 戦で 沸き返っていた筈 だが、今は 祭りの後 といった感 である。ゲーテハウス を外から見ると、もう 時間は残っていなかった。
I CE で ケルン に移動。ホテル に チェック イン した後、再び I CE で ドイツ vs イタリア 戦 がある ドルトムント に 向かう。
ゲームは 慎重で低調 に進んだ。イタリア は 開催国を リスペクト(尊重) し過ぎていた。ドイツ は 変化を付けられるのが バラック 一人で、その バラック も 精彩を欠いた。
PK 方式を 覚悟 した 延長後半 終了直前 に、イタリア が動いた。こういう時の イタリア の集中力は 凄まじい。あっ と言う間に グロッソ と デルピエロ で 2 ゴール を奪い、勝敗を決 した。
’06年7月5日(水)
大聖堂 と ディオニソス ・ モザイク を見てから I CE で ミュンヘン に向かう。ドイツ 鉄道 I CE は 時刻が 全く当てにならない。一時間位 遅れる事は ザラ である。ミュンヘン 到着は 2 時間以上 も遅れた。
ホテル の チェックイン に 間に合わない ので、その旨 を 電話で連絡 したが 話が通 じない。予約の確認 もできなかった。パニック に陥る。藁にすがる思いで 日本 にいる親 と オーストラリア にいる “ 例のあの人 ” に 窮状を訴えた。
ホテル の チェックイン では、“ 各方面より 連絡を承りました ” という意味の 言葉を言われ、恥ずかしい思い をした。語学力の不足 を痛感 した。
フランス vs ポルトガル は少 し 消化不良 だった。フランス は フランス らしかったが、凄み に欠けた。ポルトガル は 戻って来た デコ に期待 したが、上手く 機能 しない。ナイーブ な面 が出たのは 優勝経験 の不足 だろうか。
’06年7月6日(木)
次の ゲーム まで 2 日間の休憩 である。ミュンヘン を基点に バイエルン観光 を楽 しむ事にする。今日は ホテル の移動もあったので 旧市街を歩いてみた。
幸運を運ぶ 煙突掃除屋さん に タッチ したり、市庁舎の 仕掛時計 を見上げたり、散策 を楽 しんだ。あちこちにある ライオン像 が気になった。
ワールドカップ の キャラクター なんだろうか。それにしては 古い。ハインリッヒ獅子公 に 由来する物 だろうか。それにしては 新 し過ぎる。
両親に電話で聞いてみると、そんな物は見なかったよ との事であった。
’06年7月7日(金)
今日は一日を 南バイエルン観光 に充てる。メイン は ノイ シュバン シュタイン だ。I CE で フュッセン に向かう。だが突然 直前の駅 で 降りろ という 指示 があった。
よく 聞いてみると 列車が工事により 不通 らしい。代替交通の バス に 乗る羽目 になった。聞いてないぜ〜! と叫ぶ。最初から 前途多難 だ。
マリエン橋 は マジ 怖かった。ノイ シュバン シュタイン の上から 聖コロマン教会 の 当たり を付け、徒歩で歩き出す。周りに何もない 近くて遠い田舎道 だ。結構 時間が掛かった。
帰りは 教会に来ていた 親切そうな ドイツ人 に ヒッチハイク を お願いした。車でぶっ飛ばすと あっ と言う 間に ノイ シュバン シュタイン に戻る事ができた。ダンケ シェーン である。
’06年7月8日(土)
三位決定戦 のために I CE で シュツットガルト に向かう。アウグスブルグ に 途中下車 の予定 だったが、豪雨のために断念 した。シュツットガルト に到着 したのは、まだ早い時間 だった。
シラー広場 は ドイツ サポーター で溢れていた。身動きもままならない状態 である。ベンツ の 自動車博物館 に入り 時間を過ごした。
その後 スタジアム に移動 し、ネッカー川 河畔 で ゆったりと 休憩する。キックオフ まで たっぷり 時間があった。
ゲーム は ポルトガル の優勢 で始まった。中盤を制 し 主導権 を握った。しかしポゼション で勝るものの ゴール が遠い。
一方 ドイツ は 相変わらず 面白味に欠けた。大きな展開 で 打開を図る。それが後半 実を結ぶ。ラッキー な面 もあったが 左サイド からの攻撃 が、ポルトガル の ディフェンス を崩 した。
3−1 での勝利に ドイツ サポーター は ご機嫌 であった。中央駅 では お祭り騒ぎ が 延々と続いていた。
’06年7月9日(日)
シュツットガルト から ミュンヘン に戻ったのは早朝 だった。荷物をまとめて 空港に直行する。7 時 20分発の ルフトハンザ で ベルリン に飛ぶ。機内では爆睡 し、気が付いた時には ベルリン に着いていた。
ホテル を間違えるという ご愛嬌 もあったが、無事に 最後の宿 に入る。S バーン で ペルガモン博物館 に向かい、ブランデンブルグ門 ・ 戦勝記念塔 等と回って ホテル に戻った。日曜日なので 店はお休み だった。
決勝戦の舞台 オリンピア スタディオン に向かう。これが 最後の観戦 かと思うと 残念である。
不可解な判定 の PK を ジダン が ソフト に決め、フランス が リード する。イタリア も コーナー から マテラッツイ が ヘッド で ゴール、同点 と した。
これから 膠着状態 に入った。イタリア は トッテイ が消え、フランス は カンナバーロ と ブッフォン を崩せない。ゴール が無いまま 延長戦に突入 する。
延長戦で フランス に 不幸 が起こる。挑発に乗った ジダン が 報復の頭突き で 一発退場。勝負は PK 方式 に もつれ込んだ。指揮官 を失った フランス は 混乱 したまま 敗退 した。
イタリア は ’94 年以来 トラウマ となっていた PK の呪縛 を払い、24 年振りの ワールドカップ を、カンナバーロ が ベルリンの夜空 に差 し上げた。
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