乞う容赦!!

COLUMN

お母さんの激辛コラム
辛すぎて ○○ ション しないように・・・
象牙の箸
 リサイクル ショップ で 象牙の箸 二膳 を手に入れた。菓子皿の縁を かんかん 叩く 為にである。いい音を出すには 矢張り 本物の象牙 でなければならない。
 
 以前から意識 してはいたのだが 形状に違和感 があった。しかし ワシントン条約の締結 以降 象牙 は希少な モノ なのである。もう 贅沢を言ってはいられない。
 
 安っぽい感 じが 本物感に欠けるが、その重量から考えても 偽物とは思えない。同じ箸が二膳 揃っていて 格安である。ここは まぁ 手を打つべきだろう。
 
 箸の先を加工すれば 愛着が湧くかも知れない。細くすれば かんかん という音色も 良くなると思う。
更新日時:
2008/08/22(金)
知識と知恵
 知識 が豊かであっても、知恵 を欠く人がいる。また 知識 は左程でなくても、立派な 知恵 を持っている人がいる。昨夜の 岡田ジャパン の ウルグァイ 戦 を観ながら そんな事を思い出 していた。
 
 ウルグァイ とか スコットランド とかと闘うと 痛感させられる 彼我の差 だ。テクニック では 追い越 しているかも知れない。基本 も 追い付いているだろう。だが 知恵 は 明らかに不足 している。
 
 与えられた 知識 は 実戦では役に立たない。実戦を通じて 知識知恵 として 蓄積せねばならない。そして それは一度で済む というものではない。不断に継続 しなければならない。
 
 プレーヤー も 指導者 も サポーター も マスコミ も含め、フットボール に関する 知恵の総合力 で列強に伍さなければ、基本 テクニック だけで その差 を埋める事は難 しいだろう。
更新日時:
2008/08/21(木)
冤罪
 ホエーブス の ポンプ の ゴムパッキン として 外径 20 mm 内径 15 mm 厚 2 mm の既製品を流用 している。ニトリルゴム製 なので 石油器具には不向きだが 定期的に交換すれば実用的に問題は無い。
 
 この タイプ を置いてある D I Y 店 は少なく 、その例外であった近くの店は 今春 閉店 した。だから 今後も継続 して 購入に努める必要があるのだ。
 
 夫の使っている財布は 黒蜻蛉印伝 である。ある時 その財布の表面に 変な模様 が浮かんでいるのを発見 した。それは ○○ ドーム と呼ばれる ゴム製品 の様に しか思えなかった。
 
 有事の事態に備えて 敵はその様な 不埒なモノ を常備 しているのだろうか。長い年月の間に それ が型となって 動かぬ証拠 と化 したのであろうか。妄想は膨らむばかりである。
 
 徐に 引っ張り出 してみると 果たして それゴムパッキン であった。サイズ の確認の為に 現物を一つ 携帯 していた だけ なのだ。
更新日時:
2008/08/20(水)
大陸輸
 娘の誕生日の祝に 原チャ を贈る事にした。学生時代に使っていた モノ を 当地で メンテナンス したのだ。古い型のバイク だが 新品同様になった。
 
 これを 陸路 忍びの里 まで 1 ボックス カー で 輸送するのである。乗せ込むのは 我が家の駐車場で 楽勝に出来る。オールド ・ ロー ン ・ コート との 段差 が ピッタリ だからだ。
 
 問題は 忍びの里 での 荷降 し作業 である。新名神 を降りてから 適当な場所 を物色 しながら走った。しかし 見当たらない。だが 我々は慌てなかった。上野運動公園 で 何とかなる と思っていたのである。
 
 目算は見事に外れた。娘の駐車場も 駄目である。我々は 段差 を求めて 忍びの里中 を彷徨する羽目に 陥った。
更新日時:
2008/08/19(火)
温故知新
 発明王 エジソン は 電球の フィラメント を 日本の竹 を使って実用化 した。最新の機械にも 意外に 古典的な素材 が利用されている場合が多い。開発の歴史は 温故知新 の歴史でもある。
 
 娘の扇風機の スイッチ が壊れた。プラスチック製 の回転方式で タイマー設定 の 回転 トルク に 耐えられなかったのである。止む無く ドライバー で 代用 していたけれど 非常に不便だった。
 
 夫がこれに挑戦 した。お得意の 接着パテ で スイッチ を原形に復元する。強度も 相当あって ON ・ OFF の切替は バッチリ だった。だが タイマー の方の トルク は大きい。何度か繰り返す内に また破損 した。
 
 次に使ったのがだったのである。適当な太さの 古い筆 の柄の端から 欠損 した部品を削り出す。これを スイッチ 本体と接合 した。竹の部分は見え隠れだから 外観に問題はない。
 
 修繕された スイッチ は完璧だった。古竹 は軽いが その強靭さは格別なのである。
更新日時:
2008/08/18(月)
アオスジアゲハ
 アオスジアゲハ は デザイン性 に優れた蝶である。その色彩は鮮烈で 一目見たら忘れられない。希少ではないけれど 印象深い昆虫の一つだと思う。
 
 その日は 義弟の 49 日の法要が粛々と営まれていた。暑い夏の日であった。納骨の段になり 一族は累代墓の周りに集まる。喪主が水を打った。
 
 その時である。何処からか一羽の アオスジアゲハ が降りて 墓に止った。大方 水を求めて 飛んで来たのであろう。蝶は暫く墓の周りを乱舞 し、弔問客の間を飛び交ってから空に消えて行った。
 
 故人の叔母が 溜息を尽きながら呟いた。“ あぁ、○○ちゃんが 喜んでらっせる。” 何だか 私達にも そう思えたのである。
更新日時:
2008/08/17(日)
畢竟
 中学生の頃 芥川龍之介 の “ 侏儒の言葉 ” で 畢竟 という語彙を覚えた。その頃は熟読 した筈なのだが その内容が記憶に残っていない。そこで 40 年振りに読み返 してみた。
 
 巻頭の “ ” の辺りは 朧気ながら お懐かしい。しかし それからは 全く 未知の文学 と言っていい。記憶の脱落感性の変化の所為 に依るものだろう。
 
 一寸 気になった箇所があったので 次に記 してみる。これは 本編ではなく 遺稿に当る所である。
 
 自 殺
 
 万人に共通 した 唯一の感情は 死に対する恐怖である。道徳的に 自殺の不評判であるのは 必ずしも偶然ではないかも知れない。
 
 
 
 自殺に対する モンテェエヌの弁護は 幾多の真理を含んでいる。自殺 しないものは しないのではない。自殺することの出来ない のである
 
 
 
 死にたければ いつでも死ねるからね。
 では ためしに やって見給え。
 
 運 命
 
 遺伝、境遇、偶然、―― 我々の運命を司るものは 畢竟 この三者である。自ら喜ぶものは 喜んで善い。しかし 他を云々するのは僭越である。
更新日時:
2008/08/16(土)

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Last updated : 2008/9/5(金)