中学生の頃 芥川龍之介 の “ 侏儒の言葉 ” で 畢竟 という語彙を覚えた。その頃は熟読 した筈なのだが その内容が記憶に残っていない。そこで 40 年振りに読み返 してみた。
巻頭の “ 星 ” の辺りは 朧気ながら お懐かしい。しかし それからは 全く 未知の文学 と言っていい。記憶の脱落 と 感性の変化の所為 に依るものだろう。
一寸 気になった箇所があったので 次に記 してみる。これは 本編ではなく 遺稿に当る所である。
自 殺
万人に共通 した 唯一の感情は 死に対する恐怖である。道徳的に 自殺の不評判であるのは 必ずしも偶然ではないかも知れない。
又
自殺に対する モンテェエヌの弁護は 幾多の真理を含んでいる。自殺 しないものは しないのではない。自殺することの出来ない のである
又
死にたければ いつでも死ねるからね。
では ためしに やって見給え。
運 命
遺伝、境遇、偶然、―― 我々の運命を司るものは 畢竟 この三者である。自ら喜ぶものは 喜んで善い。しかし 他を云々するのは僭越である。
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