つぶやき

ニュースや日常生活で感じたこと思ったことを気ままに書いていきます。

 1   戦争が残すもの
2006/12/30 
湾岸戦争で初めて使用された劣化ウラン弾は今尚その後遺症を拡大し続けている。劣化ウラン弾とはその名の通り、劣化ウランから製造された新型兵器である。劣化ウランは核兵器や原子力発電所用の濃縮ウラン精製の際に出るいわば残骸である。米国ではその劣化ウラン蓄積量が50万t以上にも上っており、大きな金属タンクに収納され戸外に放置されているという。強い毒性と放射能を発するこの劣化ウランの半減期は45億年である。米国ではこのどうしようもない劣化ウランのゴミをなんとかできないものか?と考えあぐねていた。そして、そうだ兵器に転用したらどうだろう?と思いついた。劣化ウランは比重が重く且つとても固い物質である。また、物体に衝突すると非常に高い高熱を発するという特性を持っている。もしこれをミサイルの弾頭に使用すれば、戦車の分厚い装甲板も貫通し、中の兵士を一瞬にして焼き殺すことが可能だと思いついた。
 この思いつきは湾岸戦争において予想通りの効果を発揮した。逃げ惑い撤退するイラク軍の戦車部隊を完膚なきまでに叩きのめし、殲滅させてしまったと言われる。
けれども、この兵器を使用したことによってアメリカは再び人類と地球に大きな負債を背負わせることになった。 { 劣化ウラン弾による影響か?→地上戦に加わった米軍兵士のうち二十五万一千人(約四三%)が退役軍人省に治療を求め、 十八万二千人(約三一%)が病気や傷害に伴う「疾病・障害」補償を請求した。イラクでは、前線で辛うじて生き延びた兵士ばかりでなく、市民、とりわけ子どもたちの間に白血病やリンパ性がんなどさまざま ながんが増加。先天性異常を持つ新生児の誕生も目立つ(中國新聞) }
 ジャーナリスト江川紹子氏の話によれば、湾岸戦争前と戦争後にイラクのバスラ子供病院というところを尋ねてみたが、戦争前は殆ど空っぽだった子供病院が戦争後はガンに侵された子供達で溢れかえっている光景を見て呆然としたという。戦争は国と国の大儀を巡って行われることもしばしばだが、犠牲者はいつも弱者である善良な市民、特に子供達だ。
 アメリカはベトナム戦争で一体何を学んだのだろう?脅威的放射熱を発するナパーム弾、ジャングル中にばら撒かれた地雷。そして森を消滅させるため大量に散布された枯葉剤。そうした兵器がその後どのような後遺症、悲惨さを見せたか・・・。おびただしい数の犠牲者と取り返しのつかないほどの自然破壊。今尚そのツケを背負わされている一般の人々。出口のない無意味な戦争だったけれども、少なくともそこから何かを学ぶことが可能だった。 けれども米国は、湾岸戦争において再び激しい後遺症を残す結果となる劣化ウラン弾を大量に撒き散らしてしまった。その数は知られているだけでも、米・英両軍合わせて約九十五万個(劣化ウラン約三百二十トン分)の砲弾数である。イラク国内ではかなりの病人が出ており医薬品や医療設備の不足が深刻化しているが、その被害の実態は今尚不明であるという。
 

 2   つぶやき再開
2007/01/07 
話が前後してしまいますが「つぶやき」再開にあたって少し書いておきたいと思う。以前にも「つぶやき」を掲載していたことがあった。その時その内容について少しばかりの批判や意見を耳にしたことがある。ある人からは傲慢な文章だといわれ、ある人からはなかなか上手い表現をすると言われ、ある人からは何を言いたいのかさっぱり分からないと言われた。
こんな目立たないホームページのチンケな文章にも人は様々な反応をするもんだな、と改めて驚いた。少々凹んだし、面白いとも思った。ただ、ひとつ言わせていただければ・・・完璧な意見や思想などといったものどこにも存在しないし、ひとつの意見はいつも半分当たっているし半分間違っていると思う。感情を文字や言葉にして表現したその瞬間に、言いたいことの半分は言えて半分は失われてしまう。どのような気の利いた話も諸手をあげて賛成できはしないし徹底的に罵倒するほどのものもない。一部はウソを一部は真理を含んでいる。文章も言葉も多くの場合そうした不自由さを伴っているものだと思う。一元的で絶対的意見なんてありえなし、あれば恐ろしいことになる。
  ここに書かれる文章はほんとうに個人的なささやかな「つぶやき」なので、目くじら立てずにこいつはそんなこと考えているのかぁ・・・程度で読み飛ばしてもらえると嬉しい。説明不足で多分に誤解を生むかもしれないけれど、私としては敢えて細々とした説明や言い訳は付け加えないつもりでいる。面倒なので・・・。
 

 3   納豆騒動
2007/01/24 
テレビ番組「発掘あるある大辞典」の納豆ダイエットがでたらめの偽造番組だったことが某週刊誌の記者にすっぱ抜かれた。私は殆どこの番組を見たことはないが、かなりの人気番組であるらしい。納豆ダイエットが放送された後日、日本中のスーパーの納豆が売りきれ状態となったというからテレビの力は凄まじい。人は何故かくもテレビごときに洗脳されるのか?
ところで、随分昔の話になるけれどインターネットの世界で、最初に恋愛ネットを立ち上げた堤英二さんという人がいる。(今はHPが削除されているから、どこでどうしているのか分からない)この方と少しだけメールを交わしたことがある。誠実で魅惑的な文章を書く人で、その文章の巧みさ故に多くの会員を獲得していたようだった。私も彼の文章を読むのを毎回楽しみにしていたが、あるとき一体どのような人だろうと安易にメールを出してみたことがある。そしたら直ぐに丁寧な文章で返信がきた。毎日膨大なメールが届いているだろうに、ご丁寧にわざわざ返信をしてきてくれたのだ。その堤氏とメールを交わした中にこんなのがあった。縁あって一度テレビに出演したのだけれど、その時以来テレビ番組の一切が信用できなくなってしまった、と言うものだった。というのも、これまた随分古い話だが「ホントコ」(訂正:ココロジーではなくホントのココロでした)という某番組があって、恋愛心理に卓越した堤氏がそのゲストとして呼ばれたらしい。その際 堤氏はどのような発言も自由であることを番組収録前に念を押して確認したのだが、本番収録10分前になってスタッフからカンペを手渡され、この通りに回答してくれればいいと言われたらしい。約束が違う!と・・・カッとなったのも後の祭り、すぐに本番に入ってしまった為、思ってもない話をさせられる羽目になってしまったらしい。タレントもゲストもアドリブのようでアドリブではなく、大方の筋書きがあって、それに沿って番組収録が行われるらしい。テレビ番組制作の裏を知ってしまった彼は、その後一切の番組がしらけて見えるようになったという。
民放は利潤追求のマスメディアである。考えてみれば‘やらせ’なんて日常茶飯事なのかもしれない。
そう言えば、一時期流行ったミスターマリックさんの暴露本を書店で立ち読みしたこともあるけれど、タレントも観客もみんなサクラである、というようなことが書かれていて唖然としたことがある。一体何が本当で何がウソなのか全く分からない。
 

 4   知りたいのは本当のこと・・・
2007/06/12 
先日、学生時代の友人から封書が届いた。中にはパソコンで打たれた挨拶文と「リオの伝説のスピーチ」が入っていた。ラジオで「リオの伝説のスピーチ」を聞いたのだけれど、あまりにも感動したので書店へ行って本を購入した、それでも尚その感動は抑えがたく他の人にも伝えたくなった、ということだった。それでわざわざパソコンで全文を打って私のところへ送ってきてくれた。
 12歳の少女が語った「リオの伝説のスピーチ」は、実はこのホームページ立ち上げの際にも紹介させていただいたが、著作権法にひっかかるのではないかと思い、早々に削除してしまった。
 けれども、今改めて読み返すと、私もやっぱりこの伝説のスピーチに感動を覚えるし、友人と同じように少しでも他の誰かに伝えたいと思う。
 スピーチの冒頭で、12歳の少女セヴァンは「私の話にはウラもオモテもありません」というところから始める。人々を感動の渦に巻き込んだのはまさにウラもオモテもない話だった。
 子供の頃には誰もが持っていたウラもオモテもない純真な心は、大人になるに連れて少しづつ失われる。そして大人になる頃には「オモテ(建て前)の顔と言葉」をしっかり身につけて生きるようになる。それを世間では「大人になること」「社会的常識を身につけること」だという。でも、現実にはそうした建て前と本音を使い分けるが故に、様々な問題を引き起こしたり、本質の部分を見えにくくしたりしていることも多い。
 「政治問題」も「環境問題」も「教育問題」も言ってみれば同じ「心の問題」であり、底の部分ではつながっている。テレビのニュースを見ていると、なんとなく毎度同じような印象を受けるのは、それは相変わらずのオモテの会話、オモテの論争、オモテの謝罪だからある。
 大それたことをしなくてもいい。いじめ問題をなくそうとか、地球環境問題や難民問題に寄与しようとか、そんな大層なことを考えなくてもいい。そういうことの前に本当を考えること、本当を想うこと、本当を語ること、子供の前でオモテを語らないこと、常識を押し付けないこと、全てはそこから始まるように思う。
 
 

 5   「生む機械」発言を巡って
2007/02/12 
柳沢厚生労働相の「生む機械」発言が延々緒を引っ張って、国会審議が進まない。
その後、弁明と謝罪の言葉を繰り返したが、謝罪を繰り返すたびに墓穴を掘る結果となって、本人も周囲も頭を抱えている。さすがに各方面から「ちょっと騒ぎ過ぎではないか」「他に議論すべきことが山のようにある」との意見も相次いでいる。
 なんであんな発言をしてしまったのか?と首をかしげる人もいるだろうが、既成概念とはそういうものだろうと思う。なにも柳沢厚生労働相だけに限ったことではなく、団塊の世代と呼ばれる方々の多くは(と言って一括りにしてしまうのも御幣があるが)多かれ少なかれ強烈な既成概念を持って育った世代だと私は感じている。男尊女卑、確固たる上下意識、金権優位などなど、人間の差別意識を核として持って生きてきた世代と言っても言い過ぎではないだろうと思う。いくら時代が変わっても骨の隋まで染みついたそうした差別意識を変えることは容易ではない。ついつい口をついて出てしまうのは自然なことなのかもしれない。
  失言しない周到な用心深さや会話技術があるかどうか、ということと元々平等感覚があるかどうかというのとでは全然ちがう。あの世代の男性を見る限り、誰が厚労相になっても頭の中は大差ない・・・と私は思う。「生む機械」発言を巡る攻防戦は日本の社会常識、既成概念を見事に表現した典型的事例だと思える。
 ところで、外部からの声が大きくなっているように、国会はもっと他にやるべきことが山のようにあるのではないだろうか?どんどん審議を進めて様々な問題を解決していかないと、その結果如何によって明日の命さえ左右されている人達が世の中には大勢いるのだから・・・。
 

 6   静岡空港
2007/02/18 
 500億円という巨額の資金を投じて建設途上にある静岡空港。あと2年で開港予定である為、最後の詰めの工事が急ピッチで進んでいる。当初の開港予定はH13年。それが8年遅れのH21年になった背景には様々な問題があったようだ。静岡空港の建設地は島田市の山間であり中小都市からも随分離れた場所にある。それにもかかわらず新幹線との結線を全く考慮していなかったという大きな落ち度が痛手となっている。この為需要が見込めないとの専門家の意見が圧倒的だ。加えて冬場は比較的強風の吹く地域でもある。遠州の空っ風と言えば有名で、近隣の御前崎は世界でもっとも強風の良く吹く場所として知られている。飛行機の離発着に適している場所とは思えない。
決定的なのは県民の意識アンケート調査結果で、毎回「静岡空港は不要」という結果が6〜7割を占めている。全く暗澹たる先行きである。
それにも拘らず何故工事は進められてきたのか?答えは簡単である。誰かの懐が得するからである。多くの県民の得ではなく、ごく少数の特定の誰かの懐が膨らむからである。殆どの県民が不要だと言っているのに工事が進むのだから、特定の権力者が利得を得ている(または得てきた、得ようとしている)のは明々白々である。とても分かり易い。
 ところで、もし静岡空港が開港して巨額の赤字を出した時、その付けは一体どこに来るのかと言えば「空港なんか不要だ!」と言ってきた静岡県民である。しかもその付けは赤字が続く限り半永久的に延々と支払わされる破目に陥る。多少なりとも飛行機を利用する人ならともかく、関係のない人までもが全く意味のないお金を支払らわされることになる。そんな理不尽なことがあるもんか!と憤ってみても完成してしまえば後の祭り。
新幹線とリンクしない静岡空港に需要は見込めないとする専門家の予測が的中すれば、我々静岡県民の増税は必至となるだろう。もっとも どれほど巨額の黒字を出そうとも私個人にとって不要なものであることには変わりはない。
 

 7   ホームレス連続殺害事件に想う
2007/03/01 
 愛知県岡崎市において69歳の女性が複数の少年に殺害されたのはつい最近の出来事である。少年達はお金欲しさから女性ホームレスを襲い、鉄パイプなどで滅多打ちにし、最終的に内臓破裂させ殺害、現場に放置した。
殺害された女性、花岡さんは心根のやさしい女性で、ホームレス支援の炊き出しでは、率先して自ら手伝いを買って出ていたという。気さくで優しく、心使いが細やかな人だったとボランティアの男性が話している。その他にもオシャレな女性でいつも身奇麗にしている方なのでホームレスと聞いて驚きました、との声もある。
 ごく普通の主婦がちょっとしたことがきっかけで、職を失い、住む先を失い、やがては公園や橋の下を住処とせざるを得ない日本社会の現実がある。そのような不幸に追い討ちをかけるように僅かな所持金をむしり取られ、殴られ死んでいった悲惨さを思うとやりきれない気持ちになる。
 ところで、強いものが弱いものをいじめるという構図は、子供達の間だけでなく、社会のいたるところで見受けられる。競争社会、能力主義という世の中のシステムが生活の隅々にまで浸透しているかのようである。
 昨今、マスコミでは連日のようにいじめや教育問題についての報道が流されているが、その報道の中にも、いじめられる側にも問題があるのではないか、という意見が度々取り上げられる。何故弱者ばかりかばうのかと・・・。何か原因があるからいじめを受けるのだから、いじめられる側はその点も考えるべきだ、と・・・。また、少々のいじめでへこたれているようでは仕方ない、もっと強くなれ!と・・・。
 しかし、これらは全て強者の側の意見である。人は時として、背中を少し押されただけで、死に追いやられるほど弱くなるときもある。ネクタイの柄ひとつ選択できないほどの虚無が襲うこともある。自分の力ではどうしようも出来ないときもある。いつも強くいられる人生などどこにもない。
強者弱者という言い方があるとすれば、人は結局のところ、弱者で生まれ、弱者で死んでいく定めにある。人の手を借りて育ち、人の手を借りて死んでいくのが人生。そのことをしっかり認識していれば人の心に傲慢は育たない。
 川べりで息絶えた女性の姿を思い浮かべる時、襲われたときの恐怖心、殴られている時の痛みを想像せずにはいられない。ひとつの人生の、一人の母の、あまりに悲しい末路である。
 

 8   地球環境問題
2007/03/18 
アル・ゴアの「不都合な真実」が話題を呼んでいる。
しかし、環境問題は本当のところ、現状、何がどの程度悪化しているのだろう?
自分なりに本を漁って主な問題を簡単に列挙してみた。
 
極地の氷棚、氷床の溶解
2070年まではなんとか持つと思われていた北極圏の氷の溶解が推測よりはるかに早く2040年頃に消滅する可能性が高くなっている。
熱波の襲来
2003年にフランスを襲った熱波は1万人以上の死者を出したが、今後は全世界規模で多発すると考えられている。
オゾンホールの拡大
2006年、南極で史上最大のオゾンホールが確認された。日本でも1990年と比較して2006年時点で10〜20%紫外線量が増えていることが確認されている。
熱帯感染症の拡大
熱帯感染症ウィルスを運ぶ媒体蚊が既に北上を始めている。日本への上陸も懸念されはじめている。
世界規模での山火事
急激な温暖化の加速で森林が乾燥。本来自然が引き起こす山火事を遥かに超える高頻度、大規模な山火事が世界中で頻発している。この為、温暖化を更に加速させている。
酸性雨
スウェーデンでは、15000の湖沼が酸性化。4500の湖沼で魚が死滅。1800の湖沼では水生昆虫すら生息できない「死の湖」となっている。この他、東欧と北欧の針葉樹は壊滅的な状態となっている。
絶滅危惧種の増加
2004年時点でざっと確認されている絶滅危惧種は約6050種。
過去の自然界で起こる100倍のスピードで起こっているとされている。
サンゴの白化
5億年の歴史と複雑な生態系を有するサンゴであるが、それも白化現象により後50年でほぼ壊滅すると推測されている。
水不足
温暖化により旱魃が年々深刻化し、農業生産物に多大な被害を出しはじめている。ドナウ川、ユーフラテス川、ナイル川、リオグランデ川などの流域では利水権を巡って紛争が起きている。
海洋汚染
今日では大海を泳ぐいかなる魚もまったく汚染されていない魚は存在しないと言われる。海洋における生物濃縮によって高濃度に汚染された魚が私達の口へ入るようになってきている。
人口爆発
18世紀の世界人口は10億人。1950年代は25億人。2005年には65億人に達した。十数万年かかってようやく10億人に達した人類はその後たった100年でその6倍にまで膨張した。そのうちの96%が発展途上国の人口である。食料危機と貧困はさらに深刻な問題となっている。
竜 巻
竜巻の本場といえばアメリカだが、2006年11月に北海道佐呂間で発生した竜巻は日本では始めてスーパーセルと呼ばれる巨大積乱雲が確認された。竜巻もいよいよアメリカ並になってきたわけだ。台風と竜巻は年々巨大化している。
環境ホルモン
環境ホルモンには、PCB、DDT、ダイオキシン、エポキシ樹脂、ビスフェノールAなど約2000種類があり、これらが女性ホルモン受容体に結合する可能性がある、とされている。一度体内に取り込まれると、排出されにくく胎児に集中しやすい。世代を追って生物濃縮する可能性がある。
              ・・・etc        
 
個人で出来る温暖化を食い止める最善策は今のところ植樹活動がもっとも効果的とされている。けれども、植樹活動に参加していつも思うのはその参加人数の圧倒的少なさである。いかにも世の中は環境意識が高まっているように見えるが、本当のところ、人はまだまだそれほど気にしてはいない。海や川、道路の路肩などに積もるゴミの山を見ればその意識の低さは歴然としている。けれども、自然保護活動は他人から進められてやるものではない。ゴミの分別作業や省エネ生活、植樹ボランティアなどは、所詮やったところで個人にとっては何の利益ももたらさない。それどころか面倒で余分な労力を使うだけだ。折角の休みの日にプライベートな時間を削って植樹なんて冗談じゃない、と思うのは当然のこと。植樹作業は環境問題をなんとかしようという意識では出来ない。自然への憧れ(大好き!この景色を大切にしたい!)その純粋な想いだけが人を動かす。世の中には夢のように美しい景色が沢山ある。そういう景色や自然を見て、触れて、体験してみる。自然に生かされているという感覚を感じてみる。世界や自然がどれほど美しく、複雑で微妙な生態系を維持しているか、どれほどの奇跡や神秘を帯びているか。それを知ったらゴミは捨てられなくなるだろう。
 
 

 9   地下鉄サリン事件と村上春樹
2007/03/18 
この時期になると、毎年この事件を思い出すことになる。朝、いつものように、いつもの会話を交わして家を出た人が、その日のうちに多大な被害を受け、あるいは殺されてしまったことを、単なる過去の事件や結果として済ましてしまうにはあまりに多くの問題を孕んでいる事件だった。
 ジェノサイドは人が人に対して犯す最悪の事態である。そこには突っ走る思想や妄想があり、罪の意識や命の重さを解する力が全く働かない悲劇がある。傘の先端の一突きで多くの人を無差別に殺してしまったこの事件の特異性が人々を混乱に陥れ、ニュースは瞬く間に世界中に広がった。無差別大量殺人の罪の重さは、単に多くの人を殺したという枠に留まらず、一人一人の人生を「集団化」「数値化」あるいは「統計化」して否定してしまうという浅薄な思想故に尚重い。殺された人々を「集合」としてではなく、血の通った一人一人の人間、すなわち「個」として、その生活や命の重みを理解しない限り、およそ、その一点から出発しないかぎり、この問題は拡散をまぬかれない。
  事件当初とその後に、多くの報道やインタビュー記事や評論が流れる中で、唯一、この拡散に対して真っ向から逆送するという全く違った形態でこの事件に切り込んだ人がいた。作家 村上春樹氏である。その成果は「アンダーグラウンド」という本に結実して出版されたが、ニュースキャスターの筑紫哲也氏は「優れた作家が成す仕事というものは・・・」とこの本を絶賛した。確かに、村上氏がこのような仕事を残さなければ、地下鉄サリン事件はただ単にひとつの大きな事件、大きなニュースとして通り過ぎてしまっただけかもしれない。
 拡散ではなく縮小へ、告発ではなく内省へと向かうこの作家には、社会や集団が持つ思想に対する抵抗がある。このことは彼の多くの小説が物語っている。
 彼の作品の多くに共通しているものは「個」というものを非常に重んじているということ、そしてその個を通してしか世界を理解し得ないということ。物語はいつも奇妙な人物が登場し、暗闇を手探りで進むように進行する。人が人と関わりあうということが、本当に可能なのだろうか?人が、肉親を、異性を、すぐ隣に座っている人を、長年知っていると思われてきた人を理解することは一体どこまで可能なのだろうか?という人類史始まって以来の回答なきテーマを取り扱ってきている。こうした彼の思想なり想い入れなりが直接的に「アンダーグラウンド」を書き上げたきっかけとなったかどうかは定かではないが、その背景にはやはり一貫した村上氏の思想が深く働いているように私には思われる。
だたひとつ違う点は、「アンダーグラウンド」は小説家として読者を惹きつけることとは無関係に、別の次元、別の意識で進められ完成したことは間違いないだろうと思う。そこには明らかに(加害、被害問わず)集団化や集合化というものに抗している作者の意思が現れている。
 普通の人の普通の生活がどのようにして存在し、事件によってその後どのように変化したか?あるべき平和な日常の姿が一瞬にしてどのようにして崩壊してしまったのか?家族一人一人の心とその生活の変化をクールなまでに真摯に追ったことは注目に値する。「狂った宗教集団」「洗脳された若者達」という、一方向からの見方で終わってしまうことを予見したかのように、その横で、違う視点から静かに書かれた本である。
 ところで、この事件に直接関与した実行犯達は、その受刑の中で、次第に本来の思考や感情を取り戻し、失われた命と自らが犯した罪の重さに涙を流すようになったという。妄想を取り除き、悔恨の情を取り戻すことを可能にしたのは、かつて存在した人達の日常風景とその家族の想い、そして現在の苦渋に満ちた生活とその心境を読み聞かされたからである。しかしどれほど悔やんでみても失われた人達の命は帰らない。「ジェノサイド」この言葉ほど最悪な言葉はこの世にはない。
 
 

 10   お酒を通して人を見る
2007/03/30 
私はお酒がまったく飲めない、この体質のおかげで、これまでどれほど苦労してきたか分からない。最近でこそ医療サイドからの警告もあって、パワーハラスメントや飲酒運転リスクとして強引な勧めは控えめになってきたが、私が社会に出たばかりの頃はまだまだ「俺の酌んだ酒が飲めねえのか!」的な雰囲気が横行していたから、宴会の席で飲まずに逃げきることは至難の業だった。無謀な押し付けに対し喧嘩したこともあったし、耐えて飲んで潰れたことも数知れない。断りきれずに飲まされ嘔吐する度に、激しい動悸と頭痛に苦しんだ。吐いて内容物が無くなっても更に吐くという極端な嘔吐は惨めなほどに辛かった。あまりの苦しさにこのまま死ぬのかもしれないと思ったことも何度かあった。練習をすれば少しは強くなるのかもしれないと晩酌を続けたこともあったが、その効果は全くなかった。どうやら、練習してもある程度強くなる人と、どんなに練習しても無駄な体質というものがあるようだ。
お酒が飲めない私には、本来楽しいはずの宴会の席が苦痛な場としてしか感じ得ない。そして更に苦痛なことに会話の内容がある。「腹を割って話す」というのがあるけれど、腹を割って話される内容は、上司や同僚の悪口か、仕事に対する愚痴のようなものばかり・・・後は「バカになる」と称して隣人の迷惑も顧みずにわめき散らすか、ひどい場合は裸踊りにまでエスカレートする。それはそれで構わないのだけれど、自分本位な人はそういう場に合わない人までも強引に引き込むから厄介である。
人が他人を理解するということは本当に難しい、ということを強く私に印象づけたひとつに、お酒を通して見てきた人間像というものがある。飲める人、飲ない人、楽しめる人、苦痛に感じる人、“いろいろな人がいる”ということを “そのまま受容できる人”はほとんどいない。目の前にいる人をそっとしてあげる。認めてあげる。この自然な行為を取れる人は本当に少ない。
  事実、これまでの様々なお酒の席で「私はお酒飲めませんので・・・」と言って断ったとき、別段気にもせず「そうですか・・・」と当たり前のように自然に受け止めてくれた人は、ほんの数人しかいなかった。
お酒を勧める・・・それを断る・・・一瞬の交流の中にも、人柄やものの考え方、受容度の高さというものが明らかに露呈する。
 

 11   個と帰属の狭間で・・・
2007/04/08 
新谷弘実という医師の本がベストセラーとなり、その影響を受けて牛乳業界の売り上げが激減、大きな打撃を受けているらしい。牛乳は身体に良くないという理由をその著書の中で克明に書いた為、牛乳神話をつき崩している。牛乳業界は即刻 新谷氏に公開質問状を突きつけ「牛乳が身体に良くないことの科学的根拠を説明せよ」と迫っている。回答期限は4月末である。
 ひとつの巨大な組織に大きな痛手を負わすほどの告発をするというのは度胸のいることである。度胸だけでなくそれなりの力量も冷静な判断力も必要になる。特に会社という組織が告発によって打撃を受けるとき、その傘下には多くの家族があり人生があることを忘れるわけにはいかない。リストラや減給を余儀なくされれば、想像もつかないような様々な問題が個々の家族やひとりひとりの人生に降りかかる。そうしたリアルな生活問題は机上の想像や鳥瞰視からは推し量れない。個々の人生は複雑な人間関係と細やかな心の反応の連続であるからだ。何が起こるか分からないし、何が起こっているのかも分からない。そうした予測不可能なことを押して尚それでも告発するというからには、やはり冷静な判断力と覚悟と勇気がいる。無責任や安易な気持ちでの発言は許されるものではない。
 かかる問題は他人事ではなく私達一人一人の問題でもある。誰もが何処かに所属し、他者との関連ともたれあいの中で生きており、そこでは常識や責任というものが絶えず自然発生する。そうした中で自分は一体「どこからどこまで話し、どこから守秘していこう?」「どこまで許し、どこから拒否しよう?」というのは意識的にせよ無意識にせよ常時心の葛藤を生んでいる。同時に正義や倫理を絶えず拘束し凌駕していく。特に情報過多な現代にあっては、不評、悪評は瞬時に公となって広がり本人の想像を超える大事に至る。
私の知人の知人に(要するに又聞きであるが)介護職員をクビになった人がいる。本来なら(組織の常識としては)言ってはいけないことを当事者とその家族に言ってしまった為に大事になり、施設としては辞めてもらわざるを得なくなった。でも、よくよく聞いてみるとその話してしまった内容というのは善意であり、当事者とその家族のためを想って話された内容であることが分かった。個人と組織の狭間に揺れる良心の葛藤は往々にしてその軋轢の中で悲鳴をあげる。鈍感になりさえすれば、ただ単純にだんまりを決め込めば事は何事もなくスムースに流れるはずなのに・・・繊細な感性を持つものはその良心故にに絶えず苛まれ弾かれてしまう。
 前述した新谷氏と牛乳業界の争いも、介護職員の解雇の問題も、個人と組織の間に横たわる溝がいかに深い溝であるかを示唆している。どちらが正しいとか間違っているという問題ではなく、実像と虚像の曖昧なラインをどこに引いたらよいのかという極めて個人的な心の問題にまで根ざしている。要するに誠実さの問題であるのだろうと思う。
 かく言う私もささやかではあるけれども「言ってはいけないこと、でも本当のこと」が雪のように内部に降り積もっている。長い年数かかって降り積もった雪は全く解けることなく尚降り積もるばかりである。誰かがその雪の山を吹き飛ばしてくれるといいのだけれど、現実はなかなかそうもいかない。
 
 
「もし君が私を殺さなければ、私が君を殺すことになるだろう。君に悪意はない、私にも悪意はない。しかし、これは良いとか悪いとかの問題でなはないのだよ。単純な決め事だ。戦争とおんなじ。やらなければやられる。さあ、勇気を出してやりたまえ!」
 
 

 12   べてるの家に思う
2007/04/20 
 べてるの家のことを始めて知ったのは5年ぐらい前だったと思う。某学校の教室で「べてるの家」のビデオを見せて頂いたのが最初だった。その時は「へぇ〜」と思った程度で気にも留めなかったけれど、それからどういうわけか度々「べてるの家」という言葉をテレビや新聞や他人の口を通して見たり聞いたりするようになった。
 「べてるの家」は北海道の浦河町にある精神障害者社会福祉施設である。精神障害者施設とはいうものの、統合失調症の他に、引きこもり、リストカット、アルコール依存、薬物依存、気分障害など様々な症状を抱えた人がいて、そういう人達があちこちの精神病院を流れ歩いて(あるいはたらい回しにされて)最終的に辿り着く場所としても知られている。
 そのような言わば札付きの?障害者達の集まりだから、当然のように地域住民にかける迷惑は計り知れないものがあったらしい。喧嘩、脱走、徘徊、大騒ぎ、それに伴い、パトカー、消防車、救急車がやってくる。何か事件がある度に「また、べてるかよ!いい加減にしてくれよ!」みたいな雰囲気が住民の間にあった。そんな彼らが今日では浦河住民に溶け込み、浦河町の名を日本中に知らしめ、もはやなくてはならない存在となっている。  障害者自信がビジネスを起こし、年商1億以上を稼ぎだし、「精神障害で村おこし」「安心してサボれる会社つくり」「三度の飯よりミーティング」などジョークなのか本気なのか分からない合言葉を多用して着実にビジネスを軌道に載せてきた。「べてるの家」の障害者が行う講演は日本中どこへ行っても引っ張りだこであり、常に満席であり、立ち見も一杯である。「べてるの家」の何がそんなに人々を引きつけるのだろう?
  精神障害の最大の困難は妄想であり、ストレス耐性の低さである。世間にある厳しい企業の中ではとても生きぬけない。それなのに世の中にある精神障害者施設は社会復帰施設とも呼ばれ、世の中へ返すことを最大の目的として作られている。昨今成立した障害者自立支援法も社会の中で自立することを目的としている。どのようなハードもソフトも全ては「治療と自立、社会復帰」という視点で設立されたものである。そうした考え方のそもそもの出発点が大きな勘違いであることは障害者自信が一番良く知っている。彼らは敢えて言うなら諦める(明らかに見定める)ことを運命から宣告された人達である。どんなに頑張っても、頑張ろうとすればするほど、幻聴や幻覚やパニックによって反作用的に強く病態の中へ引き戻されるように強いられている。そういう病気を抱えながら人間関係を維持し、働くということがいかに困難なことかは当人でなければ分からない。そんな理解され難い現実の中で強い光を放っているのが「べてるの家」である。
  べてるの家では遅刻、欠勤、早退は当たり前。朝、遅刻して出社し、2時間仕事して、やっぱり今日は調子悪いから帰ります、と言って帰ってしまうことも許される。1週間お休みなんてことも珍しくない。しかも何か分からないことがあれば即ミーティング。何か不満があっても即ミーティング。問題があれば何でもかんでもミーティング。一体いつ仕事してるんだという感じ。これじゃあ仕事にならないと誰でも思うところだけれども、ビジネスは着実に利益を伸ばし、地域経済と活性化に大きな影響を与える存在となっている。
  ところで、世間一般では「仕事は厳しくて当たり前」という既成概念で成り立っている。それは経営者にとって正に好都合の概念である。「働かざるもの食うべからず」は戦後日本の高度経済を支え続け、利潤追求のみが島国である日本を世界経済の中で成立させる唯一の道だと説いてきた。それは経済が成熟しきった今日でも全く変わらず、企業は常に成長し続けなければ生き残れないと言い続けている。搾取される側の一般社員の私達にはそれが「本当」なのか「まやかし」なのかはなかなか分からない。
  本当は週休3日だって今と変らずやっていけるのかもしれない。もしかしたら午前のみ出勤だって問題なく今日的生活を維持できるのかもしれない。何も世界一位の経済大国を目指さなくても、程ほどに過ごし易い国は十分作れるはずである。でも世の中は決してそのようにはならないことを私達は知っている。だとすれば、疲れた人は、もう頑張れない人は、頑張りたくない人は、降りる人生を選択し、その選択権を周囲の人が認めてあげてもいいように思う。様々な福祉論はそうした根本的大転換が必要だろうと私は思う。
 
 

 13   御前崎にあるもの
2007/05/06 
ウィンドサーファーの聖地と言えば御前崎。
全国各地からこの地を目指して多くの若者(たまにおじさん)がやってくる。
結婚もせず、仕事も辞めて、ただただ風と波を求めてやってくる。
登山家が高い山に挑戦するように、最高の波と風を求めてやってくる。
だけど、御前崎に来ても海の他に何があるというわけでもない。
どんなに高等な技を身につけても、どんなに早く走っても、拍手もなければ歓声もない。大会で優勝したって、他のスポーツのような賞金も出ないし、英雄になれるわけでもなれない。将来の保障も何もない。
あるのは、ただただ自分自身の自己満足だけ。
自己満足だけの為に、ただそれだけのために、
結婚もせず、仕事も辞めて、たった一人で御前崎にやってくる人もいる。
そこには本当に海の他には何もないのに・・・。
格差社会も、リストラも、いじめ問題も、環境問題も、政治問題も、そして家族や親族のしがらみさえも彼らには関係ないように見える。
求めるのは・・・波と風だけ。青く広大な海原が広がるだけの世界。
必死で考えることは・・・最高のゲレンデで好き放題ウィンドする為には、自分がどういう選択をしなければならないか?そのことだけ。
他人の目から見るとなんとも破壊的な人生に見えるし、羨ましくも見える。
「ただの馬鹿じゃん。いい歳こいて」という大人が大半かもしれない。
でも、そんな声すらも彼らの耳には届かない。
反発することもしない。
何故なら、海に出ることが最高の幸せだと知っているから・・・。
 
何が幸せな人生か?なんて誰にも分からないけれど、自己満足できることほど幸せなことはないだろう。
 
 

 14   自殺と哲学
2007/06/02 
それは今夜かもしれず、明日かもしれず、明後日かもしれず、一週間後かもしれず、一年後かもしれず、10年後かもしれず、運のいい人は50年後かもしれない。しかし、あなたは確実に死んでしまう。あなたはこの地上ばかりか、この宇宙の果てまで探してもいなくなる。そして生を受けたこのチャンスはたぶん一度かぎり。もう二度とあなたが「生きる」ことはない。(哲学者:中島義道)
哲学は人生の根本原理を理論的手法によって追求しようとする学問である。思考の出発点は「この一瞬の生にいかなる意味があるか」を真摯に探求することから始まる。それは輪廻転生やあの世を信じることではなく、見えざる力や不可解な現象への好奇心でもない。この回答なき不自由な学問は不自由ながらも理論的であり、科学的であり、実存的であり、アウトサイドであり、アンチテーゼである。そして常に世の嫌われものであるかもしれない。何故なら、真理は(真理があるとすれば)往々にして世の中の思想や実像とは相反してしまうから・・・。そして人々はそういう無意味な問いに沈むことを忌み嫌うし、回答なき理論には意味を感じない。「哲学は意味がない」「哲学で飯は食えない」「哲学は暗い」「哲学は狂気である」そのようなイメージが哲学にはある。ニーチェは発狂して死んでしまったし、カントは不幸を引き寄せ、かろうじて生きる意味につないだ。漱石は「行人」の中で人類の狂気をテーマに扱い自らを狂人と化した。ヘッセはニーチェを探求し「荒野の狼」を出版し、自殺と生きる意味を問うた。人は何故かくも執拗に生きる意味を問うのだろうか?
 ところで話は急転するが、昨年の日本国内の総自殺者数は3万2千5百人で相変わらず交通事故死亡者数を大きく超えている。その殆どが経済困難や精神障害やその他病苦を主因としていると分析されているが、それ以外の数パーセントは「生きる意味」を見出せない人達、言わば「死に憑かれた人々」である。
既存の精神医学からはみ出たそのような一群は投薬効果がほとんど無く、淡々とした日常生活を送り、救命信号を発することなく、ひとり潔く命を絶つ。そしてそうした自殺リスクを抱えた一群が意外と多く一般社会に潜在していると言われる。それに比べれば精神科範疇の患者の方がまだ扱い易いのかもしれない。巷の心療内科には「死にたい」「生きる意味が分からない」と訴える人が後を絶たないと言われるが、この哲学的問いに今のところ精神科医は答える術を持たない。何故なら彼らの元を訪れる人は病気ではなくただただ純粋に生きる意味を問う人達だから・・・。
彼らの鋭敏に研ぎ澄まされた繊細な感性の前では医師も心理士も専門家としての自己愛的幻想は容易に暴露されるという。(自己愛的幻想とは治療者が患者に対し「心の変容を促そうとする心理」言わば治療者側の幻想的自惚れを指す)自殺を企てようとする者はこの企みを容易に見抜き、心の中で嘲笑する。
この極めて繊細で脆く、且つ攻撃的な人達には、既存の精神医学も心理学も宗教もほとんど役に立たない。ただ、もしかしたら・・・これはひとつの可能性としてではあるけれど、自殺に関して言えば、哲学というものが少しは何らかの役に立つことができるかもしれない、と私は思う。少なくとも「死を意識すること」が「生きる意味を問うこと」である以上、そうした難問を真っ向から受けて立つ者は哲学する者ぐらいしか思い当たらない。冒頭の中島義道氏が主催していた「無用塾」は国内ではその唯一の場所だったが、残念なことに既に閉鎖してしまった。閉鎖の理由は「私は自分の哲学道を究める為に塾を開いた。けれども次第に自殺志願者が集まり自殺予防施設みたいになってしまった。私は他人を救う為に熟を開いたわけではない」ということらしい。もっともである。
 
 
「本当に重大な哲学の問題はひとつしかない。それは自殺である。人生が生きるに値するか否かを判断すること、これこそが哲学の根本問題に答えることである」(アルベール・カミュ)
 

 15   もうひとつの自己満足(孤独をつらぬく)
2007/06/12 
 
中島義道の本を読んでいたらとても興味深いことが書かれていたので紹介してみたいと思う。
 
  
  『私の父はもともと一人でいることが好きな人だったが、老後の孤独に徹した生活ぶりは見事だった。70歳で友人の会社を手伝って2年間北陸へ単身赴任した。その間母は一度も父を訪れなかった。白内障で入院したときも行かなかった。「あの人は一人が好きなのよ」と言っていた。ほんとうにそうなのだ。
73歳で会社を辞めて83歳で死ぬまでの10年間 悠々自適の時を過ごした。毎日のように一人でお寺巡りをしたり、書斎にこもって膨大な本を読んだり、庭に出て草むしりをしていた。友人に会うこともなく、家族と話すこともほとんどない。父の周りの空間だけが、他から切り取られたようだった。
家族を含め他人には何も要求せず一人で自足していた。そして癌にかかり、ただ死を待つために入院した七里ヶ浜の見えるホスピスのような病院にいたときも、まったく寂しそうではなかった。家族が見舞いに行ってもとりわけ嬉しそうでもなかった。そしてある朝誰にも看取られずに一人で静かに死んでいった。
家族は救われた。誰も泣かなかった。父がいなくなっても、いた時とあまり変らないのだから。まるであたかも存在しないように生きていたのだから。私が父を「えらい!」と思うのはこれだけかもしれない。それほどに孤独というものを肌に馴染ませているのは潔いものであった。と言っても父は何もしなかったわけではない。80歳を過ぎても旺盛な知識欲があり、経済、法律、哲学、文学、宗教。あらゆる分野の本を読み漁っていた。
父はいつも「死んだらまったくの無になると思うね」と言っていた。この世にもあの世にもなんの期待も抱いていないのだった。たぶん、その人生はあまり幸せではなかったであろう。何故なら幸せを望まない人だったから。だから、皮肉なことに安心して死ねたのだ。例え自分が死んだことを家族の誰ひとりもが悲しまないことを知ったとしても、なんともないであろう。だから、悠然と死んでいけたのだろう。
その人が死んでも誰ひとり悲しまない死に方はいいものだ。初めからその人が生きていなかったように死んでしまうのはいいものだ。 プラトンは哲学とは「死の練習」だとも言ったが、まさに最後のそのときに、その意味での哲学が必要になるかもしれない。 』
 
 
*世の中にはいろいろな生き方があって、いろいろな自己満足の仕方がある。何をどう選択するにしても結局、最後は自分の深い内面の問題へとぶつからざるを得ない。人生が終わりに近づけば近づくほどそのことの重みは増してくる。そして、そのことからは何人たりとも逃れられない。
 

 16   ディベート
2007/07/10 
私は論争とか議論といったものが苦手だ。口喧嘩や緻密な意見のやりとりというものも苦手だ。これまでも様々な会議の席で 様々なシーンでしどろもどろになることが多かったし、誰かと議論になって勝ったという記憶もほとんどない。ちょっとした口喧嘩でもあっけなく凹まされてしまったし、言い返せずに無言になってしまうことも多かった。気も小さいし、頭の回転も悪い。だから・・・昼間誰かと議論した回答が夜布団の中に入ってからようやく見つかるということも珍しくない。「何故、あんな回答しか出来なかったのだろう?何故もっと別の言い方が出来なかったのだろう」と我ながら不思議に思うのだが、こういうことは直そうと思って直るものではない。まあ、どうでもいいやと思う。
ところで、学生の頃に出会った恩師(哲学者)はディベートの達人だった。生徒のどんな意地悪な質問にも、名誉教授が放つどんな偏屈な質問にも要点を得た見事な回答をした人だった。大講堂での議論でも、会議の席での論争でも、負けたところを一度も見たことがなかった。大きな論争で某大学のA教授を怒らせたところを見たことがあるが、そのA教授は議論の最中に徐々に追い詰められて無言になってしまった。そのときの顔は真っ赤で手は握りこぶしを固く握ってブルブル震えていた。恩師は論争になるとまるでヘラでジャガイモをすり潰すように相手を伸した。そんなことばかりやっていたから当然のことのように教授陣からの嫌われ者で絶えず孤立していた。
ただ、本質的に意地悪な人ではなかったから、生徒には好かれていたように思う。単純に本当のことしか言えない人だったにすぎない。すり替えや、誤魔化しをするということが我慢ならない人で、哲学者であることにある種のプライドを持っていた。本当のことは何なのかを絶えず模索している人だった。それでも自分の思想や理論に過信することはなかった。「理屈などといったものは後からいくらでも考えつくものだよ」と平然と言ってのける人だった。圧倒的ディベートの達人でありながらもそのことに何ら過信も執着心もなく、一心不乱に実践哲学している人だった。
 
    文武両道 ただし文は常に武に先立つ』
 
卒業式をサボってゼミ室で遊んでいた私に最後に贈ってくれた恩師からの手向けである。
「経験したり体験するということはとても大事だけれど、ただそれだけで自分で勝手にアレコレ考えていたって駄目だよ。時代の波に洗練された本には確かな思想があるから、できるだけそういう本を沢山読みなさい」と言われた。久しぶりにその達筆なサインが書かれた恩師の本を書棚から取り出し読み返していたら、しみじみと懐かしく思い出されてしまった。今はどこでどうしているだろうか? 一所不住、放浪を常としている人だったから、今頃またどこか遠い偏狭の国を一人で歩いているかもしれない。
 

 17   プロウィンドサーファー:飯島夏樹
2008/11/03 
城和、合志、アンダース、山田、そして飯島夏樹。ウィンド界のトッププロを真近で何度か見たことがある。ウィンド界のトッププロというのはスターでありながら、とても身近な存在でもある。それはウィンドサーフィンというスポーツが特異で、とても狭い世界のスポーツだからに他ならない。波に乗りたきゃサーフィンすればいい。風にのりたきゃヨットに乗ればいい。ハイジャンプしたけりゃカイトサーフィンすればいい、早く走りたければマリンジェットに乗ればいい。
ウィンドサーフィンは、どの要素も兼ね備えていながら、そのひとつひとつのアクションはいずれにも劣る。そういう意味ではとても中途半端な乗りである。そして、その中途半端さゆえにいつもマイナーなマリンスポーツであり続けた。だからこそプロとアマが身近な存在として接することができるのかもしれない。御前崎でも牛臥でも湘南でも、プロには会えるし、話もできる。うまくすれば単独で教えてもらうことだってできる。毎年、日本にやって来ては手取り足取り懇切丁寧に教えてくれるアンダース・ブリンダルは世界大会のあらゆるレースに参戦、優勝を飾り続けた男である。ウィンド界のカリスマ的存在であり、国内外問わず様々な雑誌にその勇姿が飾られる。それでも私達にとってそれほど遠い存在ではない。親しく話しかけてくれる友人のような人である。
 そして、日本では飯島夏樹さんが、そのような人だった。私はグアムのココス島で一度会ったきりだったけれど、屈強な身体とは相反するような優しい穏やかな表情、温和な話し方は今も印象に残っている。ハイウィンドを購読されていた方はご存知だと思うが、毎月掲載されていた彼の筆力には確かなものがあった。多分に読書好きな人なのだろう。私がココスへ行った時も、短パンにビーサン、麦藁帽を被ったまま、木陰で長いすに寝そべって文庫本を読んでいた。
「あれ?お客さん?ごめん、ごめん、本に夢中で気がつかなかった」
初めて交わした会話がこれだった。世界中を転戦してきた彼はグアム島ココスを最終目的地としてセーリングセンターを設立した。その事業が当たり、貧乏暇なしのレース人生から脱却した。けれど、彼は決してそれだけで満足するような人ではなさそうだった。
「僕の夢はまだまだ沢山あってね。世界中の子供達にアプローチし続けたいんだ」と話してくれた。ボランティア精神がとても強い人で、地球環境や子供の未来について密かに真剣に考えているようだった。
私がココスに滞在した3日間、ついに一度も風は吹かなかったけれど、そのことに彼はとても申し訳なさそうだった。「折角遠くから来てくれたのにごめんね」自然相手だから当然そういうこともあるだろうに・・・。どのようなお客さんにもその都度彼はこうやって頭を下げているのだろうか、と思うと胸に染みるものがあった。 別れの日、彼は「グッドラック!良い風が吹きますように・・」とピースサインを送ってくれた。それが最初で最後に見た彼の笑顔である。
その後、テレビで彼の病気の番組があり、奥さんや子供達の姿も見たけれど、その内容は辛らつで壮絶だった。そして、奥さん曰く、「彼は私にとって、白馬の王子様のような存在でした」と言われた。たぶん本当にそうだったのだろう。優しく強い人とはまさに彼のような人なのかもしれない。 8月25日から全国東宝系ロードショーで飯島さん原作による映画「天国で君に逢えたら・・」が封切りされる。是非とも観てみようと思っている。
 
 

 18   本物を見分けるコツ?
2007/08/26 
類は類を呼ぶという諺がある。私も知らず知らずのうちにこれまでずっと自分と同じような種類の人と付き合ってきたように思う。ただ、その中の多くの友が、何らかの宗教に入っていたか、入っていってしまったことを思うと今更ながら不思議な気持ちになる。何故そうなってしまうのか分からないけれど、なんとなく気が合いそうな人だな、と思って付き合っていると、どういうわけかその友人は何かの宗教に入っているか、あるいは何かの宗教に引き込まれていってしまう。そしてそこで縁が切れてしまうというパターンが何度も繰り返された。
ということは、たぶん、そういう傾向や素質が自分の中にもあるのかもしれない。ただ私自身の考えはいつも無神論と無信仰に貫かれてきたし、たぶん今後も変らない。若い頃には友人や知人に誘われて何度か教会やお寺に足を運んだこともあるのだけれど、敬虔な信仰心はついぞ一度も芽生えたことがない。つい先日も久しぶりに逢った友人と積もる話をしていたら、その友人が唐突に「僕は神様に逢った」などという話を始めたものだから、そこから先の会話は私の中では全くしらけてしまった。
 以前にも書いたことがあるかもしれないけれど、私は宗教にも超常現象にもあの世にも占いにも関心がない。そういうものは自分が生きることとは関係のないものだと思っている。50mを全力で走り、その後25mのプールを泳ぎ切るぐらいの体力があれば、神や奇跡を信じなくても、様々な困難をなんとか乗り越えていけるだろうと思っている。
 生の苦しみからなんとか逃れたい気持ちや、不死への憧れはよく分かるし、偶然重なって起きる軌跡が人間の想像を超えたものであることも理解できる。でも例えそうであったとしても「自らの意思で生き抜くこと」と、「全ては無に帰す」という自然な死の受け入れは必要だろうと思う。そういえば何かの小説に「永遠に死ねない罰に処す」という一節があったけれど、それほど恐ろしいことはない。死んでも死ねないあの世なんてあったらたまったものじゃないと私は思う。
 ところで、私の妻は細木さんとか江原さんのテレビ番組が好きでよく観ている。細木さんの番組はちょうど夕飯後のひと時ということもあって私も一緒になって観ることが多い。そうした番組を観ていると「全くその通りだよな」と思う話しもあるし「それは全然違うんじゃない」と思う話しもある。正論と邪推、反感とカリスマの適度な混合が番組継続の心理戦術なのかも知れない。ただひとつ、彼らが本物かどうかということになると私の考えは否である。私の友人曰く、聖書にはこう書かれているらしい・・・その人が本物かどうかを見分けるコツというのは、その人が「話す内容」に関心を寄せるのではなく、実際にその人が「どんな生活をしているか」「どんな風に生きているか」見れば分かる、と書かれているらしい。ごもっともだ、と思う。

 19   心の専門家はどこへ行くのか?
2007/10/08 
「心の時代」と言う言葉が流行り始めたのはいつだろう? もう随分昔のような気がする。児童虐待や中高年の自殺問題が俄かにクローズアップされた時期に、そうしたキャッチフレーズを何度も聞いたように思う。そして私もその言葉の流行に乗り、心理学だとか、精神医学だとかについて興味を抱き、趣味が高じて国家資格まで取得してしまった。その後も、日々勉強することで、少しでも技術を蓄積させようと結構本気で勉強したりしていた。それと同時に、その分野で働く多くの専門家達(精神科医、臨床心理士、カウンセラー、相談員)にも出会った。そんなこんなをしている中で、得体の知れない疑問と居心地の悪さが、どんどん膨らんでいった。そして何年もかかってようやく分かった確かなことがひとつある。それは、「心の問題」というものは知識や技術の集積などという確かな拠り所となるものが何もないということだった。勉強などといった類のものが殆ど意味をなさないだろう、という結論に達した。
今にして思えばそんなことは、始める以前から薄々気づいているはずだったが、敢えて盲目となり、確固たる拠り所を捜し求めていた気がする。
 このような体験は恐らく心理学を始めた人の中の半分ぐらいの人が体験しているかもしれない。多少敏感な感性を持っている人なら容易にそのことに気づいてしまうだろう。そしてその気づきを得たとき、どのような進み方や方向転換が出来るかが重要なポイントであるように思う。諦めて切って捨てるか、引き返すか、別の道を模索するか・・・。もっとも何十年も全く気づかずに日々邁進して知識や技術の蓄積に励む人も沢山いて、精神分析だのロールシャッハだの、より高度で複雑な技術?の取得に突っ込んでいく。それはそれで幸せなのかもしれないが、人の心を知識や技術でコントロールしようという鈍感さは如何ともしがたい。
  私が感じた(というか嵌ってしまった)このような極めて個人的な疑問は、実は学会レベルで30年以上も前から喧々諤々の論争として今尚続いている。心理学というものが本当に有効であるのかどうか?専門家支援というものが実際の生活レベルに適当であるのかどうか?また、心というものがいかなるものか?という根本的な問題も今だ未解決のままである。それにも拘わらず、臨床心理士という専門家達がマスコミの力を利用することによって社会的ステータスを獲得し、スクールカウンセラーを席巻した背景には、様々な売り込みや派閥問題、策略や権力行使があったようである。けれども、そもそもスクールカウンセラーは本当に必要だったのか?そして実際に、どの程度の実績を上げているのか、その実態と真相は一般的にはほとんど知られていない。
 
 
「2001年11月、埼玉県久喜市で中学3年の女子生徒が二人で飛び降り自殺をした。彼女達は校内併設のスクールカウンセラーにかかっていた。
 教室へ戻る努力と、出来ない自分との葛藤に疲れ死を選んだ。もし二人に学校以外の道もあることが知らされていれば、また違っていたと思われる。あくまで学校復帰に拘る教育政策と価値観変革を強く訴えたい」(不登校新聞 東京シューレ 奥地圭子 2001年12月15日)
 
「学校で暮らす仲間が子供の悩みを引き受けずにカウンセラーに預けるようになったら学校の意味は終わる。教職員は他の雑用をやめて、自分達で考えあう時間を作らなければならぬ」とある教員は語った。この言葉に学校という場への希望を託したい(日本社会臨床学会運営委員 小沢牧子)
 
 

 20   まったく!しつこいなぁ・・・
2007/10/27 
ここ数日テレビのニュース、ワイドショーは亀田問題で持ちきりである。あの問題をこれほど長く引きずる理由は何か? 相手の内藤選手は「もう終わった、終わった」とっくの昔に言ってるのに。マスコミも世間もなんとまあ・・・しつこいこと・・・。なんのかんの言っても世の中はお金で流れていて、世間が注目するから・・・儲かるから、延々と放送し続けるのだろう。 他に大きな事件でも一発起これば注目は一気にそちらへシフトするのだろうけれど、今のところ金になりそうな大したニュースはない。気の毒なのは世間とマスコミの餌となった亀田家の少年達だ。最後の血の一滴まで吸い尽くそうと集られている。
  ところで、ボクシングはスポーツだと世間ではよくいうけれど、格闘技の本質は相手を立てないほどに殴りつけ、ダメージを与えることにある。空手では「一撃必殺」と言って一発で相手を殺してしまう急所も教える。プロレスにしてもK-1にしても同じこと。満席の武道館で熱狂している集団を見ると私は胸が気持ち悪くなる。人の本性(男の本性は)太古の時代から何も変っていない。人間の精神はどこまでが動物で、どこからが人間なのだろう・・・いづれにしても残酷なシーンを見るのが大好きな動物であるのは確かだ。
 
 
 

 21   風と波と缶コーヒー
2007/11/15 
まだ風の吹かない午前中に海へ行くと、風待ちセイラー達が、防波堤の上に座って海を見ながら仲間同士で話をしている風景がある。
彼らは時折、遠く水平線を見つめては、また話をして楽しそうに笑う。
そんな光景が私は好きである。
私はそんなとき、いつも缶コーヒーを買ってチビチビ飲んでいる。
柔らかい潮風が頬や腕を撫でていくのを感じながら飲むコーヒーは胃の隅々まで染み渡る。
 
正午を過ぎ、遠く水平線が黒く変色してくると、風がやってくるサインである。
仲間達が会話を切り上げて、一人、二人とセッティングに取り掛かり始める。
十分なセッティングをするには20分くらいはかかるだろうか。その頃には風はもう沿岸付近まで迫っている。
 
上手くすればホワイトキャップが沖合い全域に広がっている。
風が迫る。胸の鼓動が高まる。
最後のセッティングにセイルトップの開き具合や風抜け具合を確認する。
 
穏やかだった海面に吹奏流と呼ばれる美しいさざなみが立ち始めたら出廷可能となる。
一人、二人と離岸し、少し高くなり始めた波を飛沫をあげて超えていく。
セール一杯に風を孕ませて・・・その姿はあっと言う間に小さくなっていく
腕の良いセーラーは波を蹴って空中へと舞い上がる。
 
風と波と缶コーヒーがあれば、それだけでいい。それだけで休日の一日は幸せに過ぎていく・・・
 

 22   村上春樹について語る時に僕の語ること
2008/03/10 
 
(「完璧な文章などといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね。」僕が大学生のころ、偶然に知り合った作家が僕に向かってそう言った。僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧な文章などといったものは存在しない、と。)
 
村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」が口伝えで俄かに広まったのは私が大学生の頃の話だ。友人に「面白い本を見つけたからお前も読んでみたら」と紹介されて読んだのがこの本だった。そのときの震えるような快感は今尚忘れられない。その小説はそれまで自分の中にあった小説のイメージをそっくり変えてしまうような刺激的な文体だった。
主人公の名前どころか、登場する人物全てにまともな名前がない。僕という一人称で進行する物語。生き方や人生を扱う重く深いテーマをノンシャランとした文体で平易に切り崩していく高度な技術。ユニークな隠喩表現。そして無駄のない要を得た文章。今までにない新しい文体は何かワクワクするような希望のような感情を呼び興しさえした。
ある意味初めて小説に魅了された最初の一冊目だったのかもしれない。今にして思えばと言うと語弊があるけれど、自分の精神年齢と、そのときの感性がその小説内容にピタリと一致したかのようだった。
村上春樹の小説の魅力は何と言っても平易な読みやすさと豊富なメタファー、そしてストーリーテリングの巧みさにある。
例えば、小説の中にどうしようもない意地悪な少女を登場させるとき、他の作家ならどんな風に書くだろうか?
 「彼女は底意地の悪い少女で、その性格はまったく性質の悪い両親から授かったものだった。そういう娘に限って皮肉にも美しいものである」とか、表現するだろうか?
村上氏はそんな時、まるで流れる音楽リズムのように無駄のないスリムな表現をとる。
 こんな風に・・・「大事に育て上げられ、取り返しがつかなくなるほどスポイルされた美しい少女の常として、人の心を傷つけることが天才的に上手かった」
 誰でも書けそうで絶対に書けない、誰もが思いつきそうで絶対に思いつかない言葉をつむぎ糸のように編み出していく。一見平易で誰にでも書けそうでいながら、絶対に誰にも書けない小説というのが村上氏特有の文体と「物語る力」である。
彼がデビューしたとき、多くの評論家達はそれをジャンクと笑ったけれど、若い読者層は小説の底に流れる切ない人生観とそこからくる共感を見逃さなかった。そして作家、吉行淳之介は「この新人の作品は近来の収穫である」と高く評価した。そういう意味ではデビュー当初から極端に好き嫌いの物議をかもした作家であることは間違いない。
  村上氏の作品の特徴とは別に、村上氏自信の生き方というのも面白い。彼は大学に7年間も在籍し、その間に同棲、結婚し、ジャズ喫茶を開き、多額の借金と多難な人生経験を積み、小説家としての下地を築いた。そして真夜中のキッチンから細切れの小説らしき文章を叩き出した。その結晶が「風の歌を聴け」である。そう言われてみれば、この小説には一環したストーリー性がなく、ブツブツと細切れな文章の集積であることが分かる。全体としてはとても面白いのだけれど・・・。
  小説家は3作目で飛べ!と言われるように、村上氏も3作目の「羊を巡る冒険」で渾身の力を込めて書き上げて飛翔する。そしてその後「ノルウェーの森」が本人の想像を超えて大衆受けしてしまい、近代作家としての地位を否が応でも確立してしまうことになる。 彼が有名になってからというもの(有名になるほどに)評論家達や一部の作家は彼の小説についての非難を週刊誌やその他の雑誌に掲載するようになる。 村上氏はそれでも多くの非難や中傷を横目に、そしてそれに反発するかのように、文壇との付き合いは一切せず、煙草を止め、早朝に起きてマラソンをこなし、午前中にはカッチリと仕事をして、夜は早々に寝るという作家らしからぬ健康スタイルをより一層確立していく。作家は夜更かしで、遊び人で、自殺願望があり、酒と煙草が欠かせないというそれまでの無頼派イメージから遠くかけ離れた生活を徹底する。そして、文壇やマスコミや編集者などの世間の雑音を避けて作家活動に専念するために、一年の殆どを海外で過ごすようになる。傍から見れば正に成功への階段を一足飛びに駆け上がったわけだけれども、にも関わらず彼はこんなようなことを度々言っている。
  「僕はたまたま小説が好きで、たまたま作家になったに過ぎない。例え作家にならなくても僕という人間は何も変りはしないし、その性向は何も変りはしない。確かに周囲の人が言うように僕は偏屈で偏狭な人間なのかもしれないけれど、僕は誰かに、(あなた、作家になってくれませんか?)と頼まれて作家になったわけではない。僕は自分の為に、自分という人間を知るために、そして自分の好きな小説を思う存分に書くために作家になったに過ぎない」と・・・。
 たぶん・・・と私は思うのだけれど・・・世の中には沢山の作家ではない村上春樹がいて、世間とウマが合わない自分に悩みつつも、反面どこかで自分を肯定しつつ、敢えてどうしようもないナルシストであることを自覚しながら生きているのではないかと思う。不毛に生きる、とはそのようなことかもしれないけれど、それでいいじゃないかと思う。
 
 
(「風の歌を聴け」ハートフィールド、再び・・・)から抜粋
何年か後、僕はアメリカに渡った。ハートフィールドの墓を訪ねるだけの短い旅だ。墓の場所は熱心なハートフィールド研究家であるトマス・マックリュア氏が手紙で教えてくれた。「ハイヒールの踵くらいの小さな墓です。見落とさないようにね。」と彼は書いていた。
 ニューヨークから巨大な棺桶のようなグレイハウンド・バスに乗りオハイオ州のその小さな町に着いたのは朝の7時であった。僕以外にその町で降りた客は誰ひとりいなかった。町の外れの草原を越えたところに墓地はあった。街よりも広い墓地だ。僕の頭上では何羽もの雲雀がグルグルと円を描きながらフライトソングを唄っていた。
 たっぷり一時間かけて僕はハートフィールドの墓を探し出した。周りの草原で摘んだ埃っぽい野ばらを捧げてから墓に向かって手を合わせ、腰を下ろして煙草を吸った。五月の柔らかな日差しの下では、生も死も同じくらい安らかに感じられた。僕は仰向けになって目を閉じ、何時間も雲雀の唄を聴き続けた。この小説はそういうところから始まった。そして何処に辿りついたのかは僕にも分からない。
「宇宙の複雑さに比べれば」とハートフィールドは言っている。「この我々の世界などミミズの脳味噌のようなものだ」そうであってほしい、と僕も願っている。
 
 

 23   つくられていく病・・・
2008/05/29 
「心の病」とか「心のケア」とかいう流行語が一時的な現象に終わらず、昨今ではすっかり定着してしまったように私には思える。私の周囲の知人には3人のパニック障害者と1人の欝病患者がいる。実際には知人の家族だったり、知人の知人だったりなので、直接的な私の友人ではないのだけれど・・・。たぶん、聞けばもっと大勢、精神疾患を抱えた方々がいるのだと思う。私がPSWだということを知ると、以前は私も薬を飲んでいたんです、という話を打ち明ける方も結構いる。その他に、ドメスティックバイオレンスや離婚問題で悩んでいるという話もよく聞く。そして街中の心療内科はいつも予約でいっぱいである。けれども、私はこういう話を聞いて最近はいつも疑問に思うようになった。
なぜ、こんなに多くの人達が病院で受診するほどの精神疾患をもっているのだろう?この人達は本当に「心の病」と呼ぶに値する精神疾患をもち苦しんでいるのだろうか?と・・・。
 そもそも「心の病」とは一体なにものなのだろうか?と・・・。いつから誰がそう呼ぶようになったのだろう? 「心が病にかかる」ということはこれまでの精神医学ならば、脳に何らかの異常があることを意味していた。特に統合失調症(精神分裂病)はその代表的な病気なのだろうと思う。でも最近の「心の病」という言い方はかなり曖昧で、性格的問題や人格障害なども含んで、広範囲な意味合いで呼んでいる。そして、それに追随するように「心のケア」なる呼び方も流行語として広がってきた。特に阪神淡路大震災以後は繰り返しメディアを通じて流されるようになった。また、最近では災害被災者のみならず、犯罪被害者にも「心のケア」の重要性が問われるようになった。
ところで、被災者や被害者で、特に多用される病名にPTSDなるものがある。PTSDはもともとはベトナム戦争の帰還兵が度々引き起した「フラッシュバック、過覚醒、強烈な幻聴や幻視体験」などの共通なる症状を、その総称として呼んだのが始まりである。この症状は極めて重く、喚き散らす、震える、気を失うなど極度の恐怖心が出現し、明らかに命の危機に曝されたことを示していた。もし、この重症な状態をPTSDとすれば、PTSDはそう簡単にあちここちで発生する病ではなく、かなり稀な病である。
同様に多重人格も本当の意味ではかなり稀な病気である。実際には世界的に見てもほんの数例しかないと言われる。多発する似たようなケースの殆どは演技性あるいは過表現にしか過ぎないという。もっとも当の本人は本気で多重人格だと思い込んでいるのだが・・・。人は思い込むと、ひたすら自己演技に落ちていき、演技していることすら自覚症状がなくなってしまう。
 そして今、最も多く作られている病が欝病ではないかと私は思っている。うつ病診断テストという質問紙法があって、気分が落ちた時や悩みがある時にこれをやると殆ど欝病と判定されてしまう。人生において15%の確立で発症すると言われ、風邪や花粉症のように安易に罹ってしまう当たり前の病気と言われるけれど、単なる悩みからくる抑鬱気分と欝病とはやはり違うだろうと思う。悩みは心の問題であり、欝病は脳内物質の異変である。もちろんその見分けは難しく、抑鬱気分から欝病に変移することもあるだろうし、甘えと欝病を見分けることは困難だろうと思う。それでも誤解を恐れずに言えばやはり気分の落ち込みと欝病は違うだろう。「私は欝病です」と自由に公言できるようになったことはメディアによる功績が大きいけれど、単なる悩みと病気には差があるのだということを、知識として知っておく必要があるかもしれない。もし、欝病という病気がメディアによってこれほど安易に流されなければ欝病患者はもっと少なかっただろうと思う。
 
 
(狂気の偽装:岩波 明著)
  『 マスメディアは、しばしば凶悪な犯罪と「心の病」を関連させて述べ、これに多くの時間をかける。これはメディアの良心でもなければ、報道の義務を果たしているからでもない。それは単に面白いからなのだ。視聴者は悲惨な上に理不尽な事件を待ち望んでいる。そしてマスコミはそのことをよく知っている。
「このような悲劇を二度と繰り返してはならない」
メディアは一応そういうであろう。しかし、視聴者は(むろん全ての人とは言わないが)わくわくしながら、テレビ画像を見て週刊誌の記事を読む。そして理由の分からない犯罪について「心の病」と関連させることで一応の納得をするわけである。 』
 

 24   子供は手がかかるか?
2008/08/24 
今日は久しぶりに書いてみたいと思います。
今年に入ってウィンドサーフィンは殆どやっていない。それは一言で言ってしまえば忙しかったから・・・。本当に忙しすぎるくらいに忙しかった。特に仕事は多忙を極めた。平日は子供との関わりが全く保てなくなってしまったため、せめて休日だけはと、朝から晩まで一緒に遊んだ。今の子供というのは、近所の子供達同士で一緒に遊ばない。どこの家でも犯罪が恐いから子供が外出して遊ぶことを極端に嫌う。ゆえに親が遊んでやらないとなかなか遊ぶ機会がない。特に一人っ子は・・・。
また、ゲーム機が進化してますます面白く刺激的になってきているため、子供は更に外出しにくくなってきている。親の意向とゲーム機がますますマッチングしてきているようだ。
ところが、時々親御さん方と話をしてみると、ゲームは本当はやらせたくないし、外で遊んでほしいと言う。現実とのすれ違いを感じる。子供は外で思い切り遊んで欲しいと思う反面、犯罪に会うのは困るという親の矛盾した心理がちらほらと見え隠れしている。
家の子供も例に漏れず、私が相手をしないといつも自宅に籠もっている。最初のうちはあちこちの家に電話させて子供達を外へ引き出そうとしたが、それは効果がなかったし、単なる押し付けでしかなかった。結局休みの日の殆どは自転車に乗ったり、ドライブしたり、海や山へ連れて行ったり、二人でゲームしたり・・・そんな休日が何年も続いてきた。子供が大きくなれば少しづつ離れていくだろうと思っていたが、実際は大きくなるにつれてますますに手がかかるようになってきた。
友達同士で遊ぶという習慣が消えてきている以上、どこの家でもこうしたことが起こっているに違いない。それが今後、子供達の成長にどのような影響を与えるかは分からないけれど、時代の流れであるなら受け止めていくしかない。因みに私はウィンドも子供との遊びもどちらも楽しい。忙しい忙しいと言いながらも本当は楽しいことをやっているのだから、忙しいと文句は言えないかもしれない。だから結局は「子供に手がかかる」とも言えない。「子供に手がかかる」とは・・・たぶん親の側の養育、育児嫌いの心理からきている言葉なのだろう。
 

 25   生きる意味
2008/10/05 
生きる意味が分からないという人がいる。
僕もずっとそう思ってきたし、そう感じてきた。
そこに答えを見つけるのは難しい。
こんな苦しいばかりの人生。
生きている意味が分からない。
他の人が何故あんな楽しそうに笑っていられるのかも分からない。
私はできることなら死んでしまいたい。
でも、その勇気もない。
そう訴える人にどんな言葉をかけてあげたらいいだろう?
私は思う・・・私も思う。
生きることに目的なんかない。
生きることには何の意味もない。
生きる価値を見出すことも求めない。
私はずっとそう思ってきたし、その考えは多分今後も変わらない。
それでも敢えて生きる意味をどこかにつなぎとめておきたいとすれば、それはたぶん「感じること」だけしか残らない。
幸福であれ不幸であれ、優雅であれ悲惨であれ、その人生の一瞬一瞬を感じきっていくことしか残らない。
「生きることは感じることそのもの」
人は、喜怒哀楽。泣いたり笑ったり、ドタバタ生きて死んでいく。
そこには優も劣もない。
 

 26   人はどのようにして犯罪者になるのか
2008/10/19 
凶悪犯罪が起こる度に、マスコミはそこにもっともらしい理由付けを行い、視聴者に共感や納得を押し付ける。けれども、ひとつの犯罪や事件が起きるに至る過程には、遠い過去から引きずられ、増殖されつづけた陰鬱な陰のようなものが必ずある。それを心理学や精神医学ではトラウマと呼ぶが、現実にはその一言で片付けられるほどシンプルなものではない。それは個人の力では変えようのない未知なる大河の流れと言ってもいいかもしれない。作家 五木寛之はそれを「他力」と呼んだ。もし「他力」が人の心のひだの状態をも左右するものだとしたら、個人の意思など一体どこにあるのだろう。でも、もしかするとそれは本当なのかもしれない。
 
1976年7月の終わりの暑い夜にユタ州プロヴォで二人の青年が何の理由もなく突然銃で撃たれて殺された。一人はガソリンスタンドの店員で、もう一人はモーテルで働く店員だった。どちらもモルモン教の青年で、あとには奥さんと子供達が残された。この不運な二人の青年達とその家族はこの瞬間が来るまで、突然襲いかかる人生の理不尽を予測することなどできなかった。彼らは死ぬ瞬間まで自分に起こった身の上の現実を理解できなかった。犯人はゲイリー・マーク・ギルモア(35)。彼はこの事件によって第一級の殺人者となり、全米にその名を知らしめ、その後の彼の処刑は世界中の死刑問題へと発展することになった。
ゲイリーの生い立ちを垣間見ると、生まれた時、既にして殺人者としての道を生きる意外他に、どんな道が残されていただろうと思うほどである。その非情な人生は既に少年時代に生きる意味を完全に失っている。彼は死刑になるその瞬間まで自分の中にある激しいトラウマの中に生き続け、精神の内外に対しありとあらゆる反抗と犯罪を行いつづけ、その反動として自分自身を激しく痛みつけ、殺し続けた。 
彼の母は愛に飢え、ヒステリックで絶えず夫と喧嘩して殴られていた。一方父親は粗野で気分屋で、何か少しでも気にいらないことがあると、妻や子供を手当たり次第に殴りつけた。
『ゲイリーの兄フランクは一度母に尋ねたことがある。そんなに父に殴られて、どうして我慢していられるのかと。とくにそのときは、母の顔の形が変わるくらい激しい殴打を受けていた。顔は酷く黒い瘤と切り傷だらけだった。母は応えた。だって私が悪いのよ、と・・・』
子供が目の前で母親が激しく殴打されるのは、自分が殴られることより精神的ダメージを受けるだろう。そして、それを受け入れる母親の態度をみるのはもっと辛く、精神の混乱をきたすはずである。そこから人生に対する反抗と憎しみが生み出されることは容易に想像がつく。
『子供達はことあるごとにそんな光景をみせつけられ、悲鳴をあげて泣いた。兄フランクの話によれば、とくにゲイリーは正常な睡眠がとれないようになった。両親の激しい喧嘩は、自分が処刑されるという彼のもうひとつの夢に結びついていった。ゲイリーはしばしば夜中に寝小便をし、悲鳴をあげて目覚め、自分の汗と小便の中に座りこんでいた。』
ゲイリーには兄も弟もいるけれど、殺人者になったのは彼だけであり、兄フランクはいつも真面目で気弱だったし、弟マイケルは本を執筆するほどのインテリとなった。一体何が人を殺人者にしてしまうのだろう?けれども、この兄弟達は全員がおそらく強い絆で結びついている同胞である。その絆は「自虐と反抗、死刑と絶望」という絆である。ゲイリーと他の兄弟の唯一の違いは犯罪を起こしたか起こさないか、それだけである。
『母の話によれば、面会室に入ってきたゲイリーはまるで別人に見えた。顔と両手は水死体みたいにむくんで、無感覚なフランケンシュタインの怪物みたいによろよろとした歩き方をしていた。殆ど話をすることもできない。舌はもつれ、言葉と言葉のあいだに、口から涎がこぼれ落ちた。コーヒーを飲もうとするとき、カップを両手でしっかりと持っていることが出来ず、カップの縁から中身がぼとぼと下にこぼれていた。膝の上にコーヒーが落ちてもその熱ささえ感じないようだった。』
ゲイリーはことあるごとに犯罪を繰り返し、逮捕され刑務所へぶち込まれた。刑務所内では手の追えないほどの反抗を行い続け、その度に彼は凄まじい暴行を受けたり、精神薬を打たれたりした。彼は常に何かに対し反抗し、自らを激しく追い込み、自虐し続けた。
人の精神の忍耐には限界がある。その限界点はもちろん人によって様々だろうけれど、そこを越えてしまえば人はもう二度と立ち上がれない。
私は若い頃にはそれがどういうことなのか分からなかったし、人はいつでもどんな状況からも立て直しがきくものだと考えていた。たぶん教育によってそのように教えられていたから・・・。けれども今の私には人の精神が治癒不能な状況に陥ることもあるのだということがはっきりと理解できる。ある人は精神疾患を発症し、ある人は自殺し、ある人は犯罪者となる。哀しいけれどそれは事実だし、栄光に輝くわずかな人より、そのように苦しみ喘ぎながら死んでいく人の方が圧倒的に多いことも知っている。そして結局のところ、それは個人の力ではどうしようもないことなのだ。
ゲイリーが処刑されるまえに残した最後の言葉はこうだった。
「いつもそこには父親なるものがいる(there will always be a father)」
この一言からは小さな子供の心が捻り潰される時の悲鳴が聞こえる。
 
(参考図書「心臓を貫かれて」マイケル・ギルモア著)
 
 
 


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