2004年12月11日、95年前「白峰の麓」に著されたる場所をたどり、写真を撮った。暖かい陽射しの日だった。
各写真タイトルの日付は、「白峰の麓」に基づく明治42年(1909年)の日付である。
「」内は、「白峰の麓」より引用。
氷室神社社殿からの富士(11月13日)
「社前に富士を写す。すぐ前の紅葉せる雑木林がむずかしい。」
本殿横の杉林の間からかろうじて、富士山が見えた。
平林から舂米に(11月14日)
「14日の八時半平林を発足して、山際を川に沿うて下ると、一里ほどで舂米(つきよね)という村に出た。」
平林から舂米まで5km程である。川は、利根川といい、富士川にそそぐ。
舂米の集落(11月14日)
「一里ほどで舂米(つきよね)という村に出た。人家二、三十、道路山水としては格別面白くはないが、川沿いの色がいかにもよいので、三脚を据えた。川には殆ど水がない。その岸にある四、五本の柳は、明るいオレンジの色をして並んでいる。背景は甲州盆地の平原で、低い山がうす霞んで、ほんのりと紅味を帯びた空は山にも木にもよく調和していた。」
天神中條天満宮(11月14日)
「何処を見ても物の色は佳い。暗く影の深い鎮守の森、白く日に光る渓川の水、それを彩るものは秋の色である。」
鎮守の森とは、天神中條天満宮の森のことか。現在は、3月25日のお祭りの頃、菜の花が美しい。(写真04/3/28撮影)。
川の堤(11月14日)
「青柳の町を、遙かに左に見て,堤の上をゆく。槻の並木の色は比ぶるものもない美(うるわ)しさである。堤の尽くるところに橋がある、鰍沢の入口で、ここにまた柳を写生した。粉奈屋へ帰ったのは午後の二時。富士川通船の出るあたりに往って見たが、絵になるような場所はない。」
増穂町最勝寺、鰍沢町との堺の橋に向かう戸川添いの道。
大下氏は、この後15日7時半に鉄道馬車で甲府に向かい、11時甲府発の汽車で新宿に着いている。
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Last updated: 2005/2/27