後に悪魔の指導者と呼ばれる
アドルフ・ヒトラー。
1889年オーストリアの片田舎
ブラウナウで生まれたアドルフは、
最初、芸術家になろうとした。
しかし、2度目の美術学校の受験に
失敗したとき、彼に残されたものは
母のわずかな遺産だけだった。
天涯孤独となりウィーンでボヘミアン
さながらの生活を送るアドルフだった
が、1913年ドイツのミュンヘンへ。
自国の徴兵から逃(のが)れるため
に選んだ行動であったのだが、翌年
第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)
すると、外国人志願兵として入隊。
強いドイツに憧(あこが)れていたのだ。伝令兵ながらも、敵兵を
何人も捕虜(ほりょ)にして鉄十字勲章(くんしょう)を与えられる
アドルフ。しかし、4年後ドイツは敗北する。
ドイツは天文学的数字といわれた莫大な賠償金を戦勝国に支払う
ことになり、経済が疲弊(ひへい)したため、インフレと失業の嵐が
吹き荒れる恐慌(きょうこう)の時代が終戦とともに幕を開けるので
ある。当時の国際ルールでは、戦勝国が敗戦国に対し賠償金を
要求するのは当たり前だったのですが、それでも今回の請求額は
高すぎました。ベルサイユ条約で決められた賠償金の支払いは、
1921年に1320億マルクに決定。この支払額、当時の日本の
円になおすとほぼ660億円。このころの日本の年間国家予算が
約16億円なので、その41年分にあたるわけで、ドイツといえど
払える訳(わけ)がないのです。
1919年、軍の参謀大尉レーム(後のヒトラーの突撃隊の隊長)に
認められ、そのもとで働いていたアドルフは、彼の指示で各種の
政党・政治集会の情報収集に当たっていた。
その任務で「ドイツ労働者党」の集会に出席したアドルフは、
党の掲(かか)げる民族主義・反ユダヤ主義・社会主義の方針に
共感を覚え入党する。ここで並外(なみはず)れたデマゴーグ
(煽動家)の才能を開花させると、たちまち党の指導者となり、
翌年、党名を「国家社会主義ドイツ労働者党(通称ナチスだが、
これは対立する側がつけた蔑称)」に改称(かいしょう)する。
1923年、「ミュンヘン一揆(いっき)」を起こして失敗、逮捕投獄
される。約1年の刑務所暮らしの間に構想、口述(こうじゅつ)筆記
で書き上げたのが『わが闘争』である。
多くの国を巻き込み、長期化したことで未曾有(みぞう)の数の
戦死者を出した第一次世界大戦。
「再びこの悲劇を繰り返さないため、世界の国々が協力していこう」
アメリカがリーダーとなって、国際連盟の提案、ワシントン会議が
開かれ(1921)、ロカルノ条約(1925)、不戦条約(1928)などが
結ばれ、世界は軍縮の時代を歩み始めていました。
またアメリカは、ドイツの賠償金問題にも、ドーズ案(1924)、
ヤング案(1929)を出して経済援助しました。こうしてドイツは、
一応の安定をとりもどし、1926年には国際連盟に加入。
危機は去ったかに思われました。 しかし、・・・・・・。
1929年10月24日(木)、アメリカ・ニューヨークのウォール街で
株価の大暴落が起きると、不景気の嵐は全世界に広まりました。
失業者が街に溢(あふ)れ、超インフレによって、経済は破綻
(はたん)し、世界はこれまでにない混乱に陥(おちい)ったのです。
アメリカは、新しく大統領となったフランクリン・ルーズベルトの
「ニューディール(新規まきなおし)政策」によって、次第(しだい)に
景気を回復していきます。
しかし、この世界恐慌によって、ドイツの経済は完全に行きづまり、
1932年には560万人の失業者(失業率44.4%)を出すのです。
ドイツ国民の間には、戦勝国イギリス・フランスに対する憎しみと、
経済を牛耳るユダヤ人に対する猜疑(さいぎ)が渦巻いていました。
その社会不安の時流に乗って、ナチス党は巨大化。
アドルフ・ヒトラーは、ついにドイツを支配するのです。
1932年7月、ナチスは総選挙で230議席を獲得、第1党に躍進。
翌年、ヒトラーは首相に任命される(1月30日)と、直ちに総選挙を
実施(じっし)。ナチス党がさらに議席を増やし過半数を獲得した
ところで、ヒトラー内閣に全権を委任するという「全権委任法」を
成立させます。そして、1934年8月、ヒンデンブルク大統領が
死ぬとヒトラーは大統領も兼任(けんにん)し、総統(フューラー)と
称(しょう)して文字通りの独裁者となったのです。
ヒトラーが初めてムッソリーニに会ったのは、1934年6月でした。
ムッソリーニ率(ひき)いる4万人の「ファシスタ党」がローマに進軍
して、イタリアの政権を握(にぎ)ったのが1922年。その後、彼の
行(おこな)った個人の自由や権利を奪(うば)い、一党独裁による
全体主義の政治をファシズムといいます。因みに、「ファシスタ」とは
「棒(ぼう)を束(たば)ねる」という意味ですが、やがて「団結」を
表すようになったイタリア語です。ヒトラーは、諸制度や親衛隊、
党の制服や制度にいたるまで彼のやり方を真似していたのです。
1936年8月、“民族の祭典”といわれた第11回のオリンピックは、
ベルリンで開催された。49ヶ国・4060人の選手が参加した中で、
ドイツは最も多くのメダルを獲得(金メダルだけでも、ドイツ33個、
アメリカ24個)。ヒトラーは、自(みずか)らが大会総裁となったこの
大会で、国内の志気を高め、全世界にその国力を宣伝する事に
成功します。 因(ちな)みに、「聖火リレー」はこの大会が最初で
あり、 第12回となるはずだった東京大会(1940)は、悪化する
国際情勢のため中止されました。
「我々ゲルマン人こそ世界で最も優秀な民族である。先の大戦で
敗れたのは、ユダヤ人や共産主義者らが政府を操(あやつ)り国を
ダメにしたからだ。奴らを排除(はいじょ)しろ! ベルサイユ条約を
はねつけ、再び戦うのだ! 神聖ローマ帝国、プロセイン・ドイツ帝
国につづく、この『第三帝国』がヨーロッパを統一するのだ !!!」
こうしてヒトラーは、理想国家の実現という大義名分のもと、ドイツを
後戻りのできない侵略戦争の道へと導いていったのです。
1938年3月、先(ま)ずオーストリアを併合(へいごう)。
1939年3月、次(つ)いでチェコスロバキアを解体。
8月、「独ソ不可侵条約」を結ぶと。9月、ポーランドに進撃。
ソ連軍も侵入して領土を分け合っている。ポーランドを助ける約束
をしていたイギリス・フランスがドイツに宣戦(せんせん)布告、
第二次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)となった。この時点では、
ソ連はドイツ側にいたことになる。
1940年4月、デンマーク・ノルウェーを。5月、オランダ・ベルギー
も破ると、北フランスに侵入。6月、パリを占領(せんりょう)、
フランスは降伏する。と、ここまで連戦連勝のドイツ軍だったが・・・
8月〜9月、ロンドン大空襲は失敗、イギリス本土上陸作戦を
あきらめたヒトラーは、何を血迷ったか「不可侵条約」を破って
1941年6月、ソ連に侵入。300万人の兵士、航空機2740機、
戦車3580台という戦力で、たちまち首都モスクワに迫りました。
しかし、あと一歩というところでソ連軍の粘(ねば)りと厳(きび)
しい冬の寒さのため、退却を余儀(よぎ)なくされるのです。
1941年12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃すると、
それまでイギリスの呼びかけにも孤立主義だったアメリカが参戦。
太平洋戦争が始まり、日本と「三国同盟」を結んでいたドイツと
イタリアもアメリカに宣戦します。 こうして第二次世界大戦は、
ドイツ・イタリア・日本の同盟国からなる枢軸国(すうじくこく)VS
ソ連・イギリス・アメリカなどの連合国の戦いとなったわけです。
しかし、大国ソ連とアメリカを敵に回(まわ)した時点で、既(すで)に勝敗は決(けっ)していたのかもしれません。
1943年2月、ソ連軍はスターリングラードで33万のドイツ軍を
破り、反撃に転じる。 7月、連合軍がシチリア島に上陸すると、
9月、イタリアは無条件降伏する。
1944年6月、32万の連合軍が4700隻の艦船で北フランスの
ノルマンディーに上陸、8月にはパリを解放する。
1945年5月、ソ連軍がベルリンを占領すると、ヒトラーは自殺。
ドイツも無条件降伏する。 8月6日・広島、9日・長崎に
原子爆弾を投下。15日、ついに日本も無条件降伏する。
こうして、悲惨な世界大戦は幕を閉(と)じた。
イタリアの独裁者・ムッソリーニは、自国が降伏したとき逮捕された
が、ドイツ空軍に救出され、北イタリアで「共和ファシスタ党」を組織
して連合軍と交戦した。しかし、1945年4月、敗走中スイス国境の
コモ湖畔の村でパルチザン(遊撃兵)に捕まり、愛人とともに銃殺
される。2人の遺体はミラノの広場に運ばれ、逆さ吊りにされた。
ヒトラーの場合、ベルリン陥落の4月30日、愛人のエバ・ブラウンと
ともに、参謀本部の地下壕で自殺したとされている。実は、側近に
よってその後焼かれたという遺体は見つかっていないのだ。
連合軍はこの後、ヨーロッパ大陸を進軍。次々と各「強制収容所」を
解放していくのですが、彼らがそこで見たのは、ナチス・ドイツによる
悪魔のような残虐(ざんぎゃく)な大量殺人の跡でした。そこには、
大量の遺体が埋葬(まいそう)もされずに積み上げられ、餓死寸前
(がしすんぜん)の人々が粗末な小屋に詰め込まれていたのです。
ナチス・ドイツによって殺害されたユダヤ人の数は、500万人から
600万人と推定(すいてい)されています。
参考文献/2003年創元社発行『図説・世界の歴史』第9巻
2003年デアゴスティーニ発行『週刊・100人』002号
2002年集英社発行『学習漫画・世界の歴史』第18巻
『学習漫画・世界の歴史できごと事典』
1999年くもん出版発行『まんが・世界の歴史人物伝』
1997年東京書籍発行『世界史図説』
1995年三笠書房発行『人物編・世界の歴史がわかる本』
[ 帝国主義時代〜現代 ]編
1991年山川出版社発行『世界史のための人名辞典』
イラスト/実はこれ、『チャップリンの独裁者』のもう一つ。
ボツにするのにはもったいないので、こっちに持ってきました。
悪(あ)しからず。ところで、ナチスのシンボルマークとなった
鉤(かぎ)十字ことハーケンクロイツは、お寺の記号とは
逆向きになっているけれど、これも右卍(まんじ)という卍なのだ。
チャプリンの映画では罰点(ばってん)が2つ(ヒトラーは帽子には
シンボルマークを使っていないようです)、駄目ダメって事かな。
(コラム製作’05.5/3)
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