「もし、わたしたちに罪はないというならば、自分自身を欺くことになり、真理はわたしたちの中にありません。罪の告白をするならば、真実で正しい神は、わたしたちの罪をゆるし、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。もし、罪を犯したことがないというならば、神を偽り者にすることになり、神のことばはわたしたちの中にはありません。
(Tヨハネ1:8〜10)

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学校経営 School Management

「カトリック学校としての学校経営の在り方」
カトリック学校としての戦略的学校マネジメントの展開
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 6     V.カトリック学校における教員のあり方 1.カトリック学校教師の資質 2007年3月7日(水) 
1.カトリック学校教師の資質
 
 まず、カトリック学校の教員はキリスト者が相応しい。
 
 かといって信者であればそれで足りるということではないし、未信者では望ましくないというわけでもない。むしろ重要なのは、神の存在を信じ、イエス=キリストの教えとカトリック教育をよく理解し、それに賛同して教育活動に献身的に奉仕するという姿勢があるかどうかである。
 
 この点においてキリスト者であるということは、受洗の有無ではなく、日頃から教会共同体に深く関わり、カトリック教育をよく理解し信仰に根ざした教育活動に邁進する意志を持っているということである。また、未信者であってもキリスト教の教えとカトリック教育を理解し、受け入れていこうという意志と、学校(学園)の教育方針に従い献身的に教育活動に当たるのであれば、カトリック学校の教員としての資質があると認められる。
 
 カトリック学校の教師の資質における重要な観点は、キリストの教えとカトリック教育を理解し、献身的に教育活動に奉仕するという点である。より明確にするために箇条書きにし、それぞれについて述べてみよう。
 
 (1)神の存在を信じていること。(無神論者では相応しくない。)
 
 カトリック学校に限らず、キリスト教系のミッションスクールや仏教等の他の宗教による学校においても、建学の精神や教育方針を宗教に委ねている学校であれば、神の存在や精神性を根幹にしているのであるから、それらを理解し受け入れるか、最低限賛同できなければ、教育活動に支障をきたすばかりか、教員個人におけるパーソナリティをも生かすことができないであろう。
 
 よって、学校教育活動の実践において、教員とは教育活動を行う主体となる者であるから、教育活動の全ての場面において重要な位置づけとなるわけで、園児・児童・生徒・学生との関わりの中で絶対者である神の存在を受け入れていることを前提としなければ、学校の建学の精神や教育方針を貫徹できなくなり、その結果カトリック学校としての存在意義を失いかねない事態を招くこととなろう。
 
(2)特にイエス=キリストの教えを学び、理解し受け入れていること。(あるいは受け入れようと努力していること。)
 
 カトリック学校の教育理念や教育方針を日々の教育活動の中で具現化していく上で、園児・児童・生徒・学生に聖書を中心としたイエス=キリストの教えに触れさせる機会は少なくないであろう。その点において、カトリック学校に奉職する教員は、日頃より自ら聖書に触れ、イエス=キリストの教えをまずは知り、理解していることはカトリック学校の教員の資質としては、非常に重要な要件となる。
 
 その上で、担当教科やクラス運営、そして特別活動における指導にどう生かしていくかの方法論の探求が、そこで初めて始まると言っていいであろうし、そのような姿勢があってこそ、初めて日常の教育活動に自然に発揮され生かされていくものなのである。そして、これらの実践こそがカトリック学校における福音宣教の出発点に他ならない。
 
(3)カトリック教育を学び理解していること。(理解しようと努力していること。)
 
 カトリック教育つまり、カトリック教会が人間そのものをどう捉え、教育の対象者となる園児・児童・生徒・学生という人間の発達過程の途上にある者たちへ、何をどのように教育するかは、カトリック学校の教員にとっては、日々の教育活動の根幹を成すものであるから、最重要事項と言っても過言ではないことである。
 
 よって、カトリック学校に奉職する教員は、カトリック教会のカテキズムを学び、ローマ=カトリック教会教育聖省からの公式文書を学ぶとともにカトリックの教育理念や教育観を理解し身に付ける必要性がある。そして、その上でカトリック学校における日常の教育活動の中で、何を根幹としどのような具体的教育を実践するのかを深く探らなければならない。   
 
 このような実践がなされなければ、教員一人ひとりの個人的な教育観のもと教育活動が行われ、カトリック学校としての統一した教育活動の障害となり、たちまちのうちにカトリック学校の特色を失い崩壊を招くことになるであろう。
 
 前述のとおり、学校教育活動の実践における主体者は教師であるのだから、カトリック学校における教員が、カトリック教育を深く学び、理解し、実践できることは、カトリック教育における大前提となることは言うまでもない。よって、学校管理職である校長および教頭、もしくは学校経営者である法人や理事会は、自校(自学園)の教職員に対してカトリック教育に関する研修会棟を度々開き、周知徹底させる必要性がある。
 
(4)イエス=キリストの福音を教育活動のなかで伝えることができること。
 
 学校教育活動の中で、つまり学習活動や特別活動のなかで、イエス=キリストの福音をどのように伝えていくかは簡単ではない。
 
 特に、学習活動の中においては数学などのように、教科によっては非常に困難を極めるものもある。しかし、何らかの形で頻度は少ないにしろ、また直接的ではなく間接的にでも教科指導の中において、イエス=キリストの福音が述べ伝えられなければカトリック学校として十分とは言えない。そこで、全ての教科・科目の担当者は、それぞれの教科・科目の特性を踏まえた上で、どの単元でどのような形でイエス=キリストの福音を述べ伝えられるかの教材研究をしていかなければならないのである。
 
 また、特別活動における生徒指導に至っては、より重要な機会であると言えよう。なぜならば、特別活動における部活動などは学習活動における教科指導の場面以上に精神的・人格的交流が展開される場であるから、それらを担当する教師の世界観や人間観および価値観が、生徒一人ひとりの人間的成長に大きな影響力となる。そこで、この場においても教師の世界観や人間観および価値観が、カトリック教育の観点から外れているとするならば、前述のとおりこの事についても、カトリック教育の具現化の障害になるであろう。
 
 むしろ、特別活動が持つ性格上、そこにおいては教師と生徒との精神的・人格的交流が深く行われる場面であるからこそ、なおさら教師の言動や行動を含めた教育活動全体が、イエス=キリストの福音に基づいたものであなければ、カトリック学校の使命もしくは本来的存在意義である「福音宣教」が困難となり、その存在価値を自ら失いかねない事態を招くことになるのである。
 
(5)献身的に奉仕する意志と姿勢を持つこと。
 
 カトリック学校における教育活動とは、奉仕活動であるといってよい。誰に対し奉仕するのかと言えば、勿論まずは生徒とその父母と言うことになるであろうが、それは突き詰めればイエス=キリストをとおして神に奉仕するというところに帰着する。教師という立場において決して忘れてはならないのが謙遜という姿勢である。とかく教師とは、成長過程にある者を教育の対象にしているので、正しさを武器に傲慢となり、それが度を超すと独善的で高慢な独裁者とさえ化してしまう。人間の傲慢という姿勢は、旧約時代から教えられてきた最も神ご自身がよしとしない人間のあり方なのである。
 
 新約聖書のマタイ福音書23節第8章から第10章に次のようなことが記されている。
 
 「しかし、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなた方の先生はただ一人であり、あなた方は皆兄弟だからである。地上のものを『父』と呼んではならない。あなた方の父はただひとり、天におられる父だけである。また、あなた方は『教師』と呼ばれてはならない。あなた方の教師はただひとり、メシアだけである。」
 
 これはまさにわたしたち教師に対する掟ともいうべきイエス=キリストの福音と言えるものである。わたしたち教師のみならず、人間はこの謙遜という姿勢を常に忘れてはならないのであって、特に教師という立場の者はなおさらのこと、神に対する謙遜という徳を身にまとい日々の教育活動に携わらなければならないのであって、この謙遜こそが教師を教師足らしめるもっとも重要な要件なのである。
 
(6)教会共同体と学校共同体の一員としての自覚があること。
 
 カトリック学校の場合は、そのものが教会の一枝である。イエス=キリストの次の教えのとおりである。
 
 「もしあなた達の二人が、どんなことでも地上で心を一つにして願うならば、天におられるわたしたちの父はそれをかなえてくださるであろう。二、三人がわたしの名によって集まるところには、その中にわたしがいる。」(マタイ18:19〜20)
 
よって、カトリック学校もイエス=キリストの名の下、主の教えを教育の根幹につくられた教育機関なのであるから、当然のごとくそこには主イエス=キリストが中心におられる共同体、つまりは教会ということになるのである。
 
 そこで、わたしたちカトリック学校に奉職する教職員は、当然のことながら教会共同体に関わりを持つ者としての自覚が求められるとともに、教会共同体に貢献する一員であるとの事実とともに、その意識も求められることとなろう。
 
 また、それと同時に、イエス=キリストをとおしてつくられた学校共同体としての一員でもあり、イエス=キリストの福音を述べ伝える使命を託された者、あるいはそれにともに与る者としての自覚と責任も求められることになるのである。
 
(7)基本的な教育活動(学習活動と特別活動)を実践できること。
 
 最後になってしまったが、カトリック学校の教育的使命は、イエス=キリストをとおして宣 べ伝えられた神の福音宣教にあるのだが、学校教育機関である以上は、一般的教育機関が持つ教育的役割も十分果たしていく必要があることは言うまでもない。
 
 よって、カトリック学校に奉職する教員は、他の教員同様、教師としての資質を常に高めることをモットーとし、園児・児童・生徒および学生を一人の人間として、その人格を最大限に尊重しつつ、個々の能力の開発・発展・成長の手助けを職務としながら、地域社会と国家に対して貢献をしていくとともに、将来を担う人材を育成するという使命も帯びているのである。
 
 そのために、われわれ教師は、教師という職業人としての誇りと自覚を持って、確かで的確な学習指導力と、個性豊かな個々の園児・児童・生徒・学生の人格を生かしつつ、一人ひとりの成長に必要な導きができるという生徒指導力、および学習能力以外の能力を、部活動等の特別活動で引き出し、伸張させていくという指導力を持ち合わせていなければならないのである。
 
 7     2.カトリック学校における教員採用 2007年3月8日(木) 
2.カトリック学校における教員採用
 
 前述したとおり、カトリック学校の教員にはキリスト者が相応しい。よって、カトリック学校の経営における人事権所有者は、キリスト者特にカトリック教会に属する学生で、共同体内の教会学校や青年会活動に深く関わった経験と教員資格を取得しているか、その取得を目指している人材の把握に努め、カトリック教育の具現化に相応しい人材の確保ができるようにしていかなければならない。先ずはもって、カトリック学校の教員採用には、信者の教員確保を基本とすることが望ましい。
 
 この理由については、前述したところでもあるがその他の理由として、学校閉鎖社会の中で教師集団そのものが持つ特異性と、教員そのものが持つ独自の教育観や価値観そして主義主張が、学校運営の中では度々弊害となり、日々の教育活動に障害をきたす結果を招くことになるからである。しかも、多くのカトリック学校においては(多くの私立学校においてもであろうが)、人事異動がほとんどなく、固定的な人員により教師集団が構成されているので、人間関係における軋轢や教育活動に関する新しい動きや改善のために生じる対立や混乱を避けようとする配慮から、マンネリ化を招いてしまうという欠点を潜在的に持ってしまっている。
 
 このようにカトリック教育の具現化やそのために必要な改善・改革を実施しようとするとき、最も必要な一致団結や一丸となるということが、残念ながらわれわれ教師集団にとっては、最も苦手な作業なのである。それは、多くの学校組織の中では、形の上ではビューロクラシーによるピラミッド構造になっているようには見えても、内部構造的には企画・調査・研究・分析をおこなうスタッフ組織と、指揮・命令系統のおけるライン組織が上手く噛み合わないか機能していないというのが現状であるからだ。これもまた、教師や教師集団は、企業集団のような組織にはまるのが苦手か、それを良しとせず、自己の独自な教育観や価値観で行動するという特異性があるからなのである。この教師や教師集団が持つ特異性というものは、決してマイナス要素だけではなく、時には個々の教師の的確な判断力と行動力が臨機応変に求められる場合もあるのであるが、こと教師集団としての一致団結ということに関して言えば、困難を極めるケースが一般的傾向としてあることは否めない。
 
 そこで、一致団結がきわめて困難であるという教師や教師集団が持つ特異性があればこそ、イエス=キリストの下に一致することを前提とした教育活動を実践しようとするカトリック学校においては、大きな障害となるのである。その点、キリスト者もしくはキリストの福音を理解し受け入れた者たちによる教師集団であるのならば、どんなに意見の相違や対立があろうとも紆余曲折の末に、わたしたちの主イエス=キリストの下に一致する(一致させられる)に違いないだろう。
 
 このような観点において、カトリック学校における教員採用のあり方が自ずと見えてくるのである。といっても現実的には、信者の教員を確保することは日本のカトリック教会の現状から推測しても難しいと言わざるを得ない。そこで、いかにカトリック教育に賛同し、積極的にイエス=キリストの教えを学び理解し理想的にはそれらを受け入れながら、カトリック学校における教育活動に意欲的に与ろうとする教員を養成・育成していくのかが、大きな課題として見えてくるわけである。この事については、次項において詳しく述べることとするが、カトリック学校における教員採用の最重要条件は、イエス=キリストの福音宣教という下に集い、一致できる教員を採用するという結論に達するのである。
 
 8     3.カトリック学校における教員養成と教員研修 2007年3月16日(金) 
3.カトリック学校における教員養成と教員研修
 
 前述したとおり、カトリック学校における教員には信者が相応しいし、信者ではなくてもイエス=キリストの教えに共感し、その福音宣教に協力できる者であることが求められる。
 
 とはいっても現実問題として、はじめからそのような人材を確保することは非情に難しい。これも前述したとおりであるが、現代の日本におけるカトリック信者は減少しているのだし、少子高齢社会なのであるから、自ずと信者の教員の退職者は増え、教員を目指す信者の若者は少なくなっていくということになる。
 
 では、カトリック学校として福音宣教を根本とした教育活動を実践していくためにはどのようにしていったらいいのであろうか。それは、カトリック教育の実践者に相応しい教員を育てていくことに他ならないであろう。信者、未信者にかかわらず、カトリック学校の教員として必要な知識や姿勢を学んでもらい、カトリック学校の教員としての資質を身に付けていくことができるように教員養成をしていかなければならないのと、これらの実践のための教員研修や教員養成プログラムの作成とそのための研修所や養成所の設置が必要である。
 
 まず、教員研修であるが、すでにカトリック学校の教員として採用され、日常の教育活動に関わっている教員を対象とする者であって、「イエス=キリストをとおしての神の福音とは何か?(キリスト教の教え)」・「キリスト教の人間観」・「カトリック教育とは何か?」などの研修が必要である。中でも、教育活動の対象となる園児・児童・生徒・学生をどのような存在として受け止めて、日常の教育活動に当たるのかということが特に重要な要素となるのだが、つまるところ教育活動の対象となる者たちが、人間の成長過程の途上にある者たちで、その一人ひとりが神に必要とされ、この世に存在させられた神の計画に与る者たちであるという認識なのである。そして、このキリスト教における人間観が教育の根幹にしっかりと一本通っているのかどうかが、福音宣教ができる本来的ミッションスクールであると言えるかどうかの分かれ道となるであろう。
 
 次ぎに教員養成であるが、これからカトリック学校の教員となることを目指そうとする学生やその立場にある者たちが対象である。そこでいうのだが、カトリック学校の教員としての資質はもとより、教員の資質などというものは、生まれつき備わっているわけではない。確かに教員全般に求められる要件として、人を見極める力や他者を受容すること、リーダーシップや正しい判断力、そして教科をはじめとする指導力など、求められることはあまりにも多いと言わざるを得ないほど沢山ある。しかし、これらのことを初めから持ち合わせている教員がいったいどれほどいるというのだろうか。そう、本当のところ教員の資質というものは、天性から身についているものというよりは、学んで身に付けていくところのものが多いということである。いわんや、カトリック学校の教員としての資質などというものは尚更のことなのである。
 
 では、どこでそのような教員研修や教員養成のためのプログラムを策定し、将来にわたってカトリック学校の教育を構築していけばよいのだろうか。一昔前までのように、それぞれのカトリック学校の設立母体であった教育修道会が理事会や教育現場に会員を派遣し、教育活動の中核をなしていた時代であればいざしらず、現在のように司祭や修道者がどんどん減少していく中、カトリック教育の維持・発展のためには、既存のカトリック教育を育成・発展させてきた教区や・修道会を補うか、それに代わる機関が是が非でも必要となってきている。中には、いくつかの学校法人が合併しカトリック教育を堅持しようとの取り組みも見られる。
 
 そこで、わたしは教区もしくは地区を中心としたカトリック学校教員研修養成所の設立を提言したい。この提言についての詳細は、次項の「4.教区におけるカトリック学校教員研修養成所設立の提言」で後述するが、カトリック学校にとって最も重要な福音宣教を基盤とし、信仰に基づいた精神性が息づく教育活動の展開を考えるのであれば、自ずと司祭や修道者に代わり、それぞれのカトリック学校に奉職する教員自体がその役割を受け継いでいかなければならないであろう。さもなければ、カトリック学校は他の公立教育機関や私立の教育機関との差別的優位性を失うと同時に、その存続の危機をも招く結果とになり兼ねないのは目に見えているのである。
 
 カトリック学校には、教会共同体との関わりが、その設立の目的である福音宣教という観点から、なくてはならない要件である。そのためにも、カトリック学校に奉職する信者の教職員は、教会共同体との関わりを密にし、カトリック学校が教会共同体の一枝でるとの証を示していかなければならない。そして、それがカトリック学校に奉職する未信者の教職員に対する福音宣教にもつながることとなるであろう。
 
 9     4.教区におけるカトリック学校教員研修養成所設立の提言 2007年8月9日(木) 
4.教区におけるカトリック学校教員研修養成所設立の提言
 
 前項で前述したように、現在のように司祭や修道者がどんどん減少していく中、カトリック教育の維持・発展のためには、既存のカトリック教育を育成・発展させてきた教区や・修道会を補うか、それに代わる機関が是が非でも必要となってきている。そこで、わたしは教区もしくは地区を中心としたカトリック学校教員研修養成所の設立を提言したわけである。
 
 現在もしくは将来に渡って、カトリック学校における司祭・修道者の教職員数の激減が目に見える状況においては、カトリック学校にとって最も重要な福音宣教を基盤とした信仰に基づく精神性の息づく教育活動の継続と発展を考えるのであれば、自ずと司祭や修道者に代わり、それぞれのカトリック学校に奉職する教員自体がその役割を受け継いでいかざるを得ない事は明白である。では、カトリック学校に奉職する私たち教職員が、その役割を受け継ぐための意志を持つと共に、それに係る知識を身につけ行動を起こすことが求められよう。さもなくば、カトリック学校は他の公立教育機関や私立の教育機関との差別的優位性を失うと同時に、その存続の危機をも招く結果とになり兼ねないのである。
 
 カトリック学校教員研修養成所の設立とはいっても、誰が、どこで、どのようにすれば、実現の運びにまで到達できるのであろうか。それは、現実的に言ってかなり厳しく遠い道のりであることが予測されるのであるが、それは以下の理由による。
 
 まず第一に、本来カトリック学校も教会の一枝であるのだから、小教区並びに教区に所属する機関であることは言うまでもない。よって、本来的には、所属する教区が主体となってカトリック学校教員研修所や教育研究所の設立をすべきところだが、そもそもそのような教育機関をカトリック学校の教職員が実現していかなければならない第一の要因が、司祭や修道者の激減にあるのであるから、教区の司祭や修道会に発想という観点は別としても、その人的余力や財的観点においては乏しいと言わざるを得まい。
 
 第二には、カトリック学校における信徒の教職員の現状である。カトリック教育の精神の継承し伝えていくべき役割を、司祭や修道者に代わって担うべき信徒の教職員の現状も、実は司祭や修道者の状況と大差はないということである。そればかりか信徒の教職員が抱える問題は、数の問題以上に意識や行動の観点においてのものであることから、司祭や修道者のものよりもより困難なものと言えるかも知れない。
 
カトリック学校における信徒が抱える意識や行動における観点の問題とは、教員特有の個人的教育観や協調性の希薄、批判精神からくる新しい行動に対する否定的見解傾向と小教区との関わりの希薄または欠如の問題である。つまり、言うには言うが行わず、必要性を見出すには見出すが忙しさにすり替え、結果としては行動はしないというところである。そして、教会との関わりをいかに粗雑にしている信徒の教職員が多いことかということも大きな問題点であろう。
 
結論的には、カトリック学校教員研修養成所設立のためのに現状分析するならば、楽観的要素は皆無に等しく、困難ばかりが浮き彫りになるというところである。とは言っても、これで終わるのならば、このわたしも前述のとおりの一教員となってしまうので、そうならないためにも次のような地道な行動をしていきたい。
 
 (1) まずは、HPをとおしてカトリック学校教員研修養成所設立の必要性を訴えコミットして行く。
 (2) 教区長である司教や教区の司牧担当司祭にカトリック学校教員研修養成所設立を働きかける。
 (3) カトリック学校研修会等をとおして他のカトリック学校の教職員とのネットワーク作りをする。
 (4) 自分が働く職場の教職員にカトリック学校教員研修養成所設立の必要性を訴える。
 (5) 自分が所属する小教区においてカトリック学校教員研修養成所設立の必要性を訴える。
 
 カトリック学校教員研修養成所の構成は次のように考える。教区の司祭、修道会員、現職信徒教員、現職未信者教員、定年退職信徒教員、専属教員(カトリック学校教員経験者信徒)、事務職員(カトリック学校事務職経験信徒)これらの構成員でそれぞれ数名ずつ約十名の構成が最小限で必要ではないだろうか。そして、これらの構成員を教区を構成する各県のカトリック学校から選出する。
 
 研修所に係る人件費および運営費等は、受益者負担と指導および管理・監督の観点から、全体の約7割程度は教区またはその地区に所属するカトリック学校が負担し、残りの3割程度を教区負担とするのがよいであろう。
 
 以上、今後時代に即したカトリック学校本来の存在価値を保持・継承していくためにも、カトリック学校教員研修養成所を早急に設立することが望まれる。なお、カトリック学校教員研修養成所の業務は以下のとおりである。
 
 (1) 教職員研修の企画運営。
  (初任者研修・中堅者研修・管理職者(主任・部長)研修)
 (2) カトリック学校のプロファイリングと各学校への指導・監督
 (3) 教員養成(カトリック学校教員免除認定)と教員派遣
 (4) 教頭・校長研修および教頭・校長養成研修と人材派遣
 (5) カトリック教会カテキズムの教授
 (6) 宗教教育指導(宗教教育教科書の編集を含む)および研修
 (7) 教科指導におけるカトリック教育の実践指導および研修と教務業務研究・指導
 (8) カトリック学校における生徒指導の研究・指導
 (9) カトリック学校における進路指導の研究・指導
 (10)カトリック学校における広報・入試の研究・指導
 (11)機関誌の発行
 (12)カトリック学校教育研修会の企画運営
 
 10     W.カトリック学校における学校運営 1.教育活動における能動的教育活動と受動的教育活動 2007年8月21日(火) 
W.カトリック学校における学校運営
1.教育活動における能動的教育活動と受動的教育活動
 
 学校における教育活動は、学習活動と特別活動の二つに大別できるが、教育活動全体を学校に主体を置くか生徒およびその父母を主体に置くかで、能動的教育活動と受動的教育活動に分類できるであろう。
 
 能動的教育活動は、学校の校訓やプロファイル等の教育方針を元に生徒を教育するもので、それに対して受動的教育活動とは、生徒やその父母および外郭団体等の要望に応えるかたちで行うものである。
 
 では、カトリック学校における能動的教育活動と受動的教育活動の最も重要な要件とは何であろうか。能動的教育活動においての第一には、カトリック学校の本来的目的・存在価値である教育活動をとおしての福音宣教であると言える。この観点においては、日々の教育活動全般の中においての福音的宗教指導ということが出来るであろう。そして、第二には、受動的教育活動における生徒および父母のニーズを教育活動に反映させるということである。
 この二つの観点において、論述する。
 
(1)福音的宗教指導
 
 福音的宗教指導は、宗教科のみならずすべての教科指導をはじめ、特別活動を含めた学校教育活動のすべての場面において行われなければならない。そして、それらの指導は、断片的にではなく連続的にかつ一貫性と統一性をもって、教育活動全体から総括的に生徒に伝わるようになることが理想的であると言える。
 
 福音的宗教指導が、断片的にではなく連続的にかつ一貫性と統一性をもって、教育活動全体から総括的に生徒に伝わるようになることとは、宗教科目の聖書等の授業や宗教行事の時間のみで、福音的宗教指導を行うというのではなく、その他の教科指導の中でも生徒会活動や部活動等の特別活動の中でも、それぞれの範疇において指導するということであり、その指導の在り方も、個々の教員による個人的主観や独断・偏見によるものではなく、キリスト教の原理ないしは教会のカテキズムに乗っ取った体系的で普遍的なものでなければならないということである。そして、そのような指導は一時的、一過的なものに終わることなく連続的・恒常的に日々の学校教育活動の中で日常的に行われていかなければならない。
 
 そもそもカトリック学校の存在意義は、イエス・キリストの福音宣教(福音の喜びを多くの人々に述べ伝えること。)にあるのだから、学校教育の全ての場面において福音に基づいた教育活動が行われなければならい。それは取りも直さず、教育を施す側である教員がいかにキリストの福音を学び理解した上で、教育活動に具現化しているのかということに他ならない。よって、教員が信徒であろうとなかろうと福音の理解を深め、それを日々の教育活動に生かしていこうとする姿勢を持つことが不可欠となる。この点においても前項で提言した「教区におけるカトリック学校教員研修養成所設立」がに望まれるわけである。
 
 教育活動にとって、教員という人材こそが最大の要であることはいうまでもない。それは、「人間は人間によって教育され成長していく」という観点から、教育の対象となる園児・児童・生徒・学生が「人間」であって、教育を施す教師もまた「人間」であるところに教育の教育たる所以があるのであって、そこに「人間」たる教師がいかに「人間を理解」し、「人間の成長」に何が必要で何をすればよいのかが問われるということになる。
 
 福音的宗教指導とは、容易に実行・完成させられるものではないかも知れないが、毎日の教育活動に関わる教職員が、是が非でも学び、理解し、体得してそれぞれの教育活動に具現化していかなければならないことである。そして、これがカトリック学校としての要であり、自校が本来的で真にカトリック学校としての存在意義を打ち出し、カトリック学校として存続していけるかどうかの境目となる要件であるのである。
 
 今後日本のカトリック学校は、神父や修道会員及び信徒の減少と少子化の進行に伴い、多かれ少なかれ学校運営上それらの影響を受けざるを得なくなっていく。今一度、「今」という「時のしるし」を読み、現在及び将来にわたってカトリック学校に何が必要とされ求められているのかを早急に問い直さなければならない。
 
 
(2)生徒および父母のニーズの反映
 
 私立学校の生徒及び父母の学校に対する主なニーズはいくつかの点にまとめることができる。そして、これらのニーズに応えることが、学校運営上は受動的教育活動となり、更には私立学校にとっては学校マネージメント上の非常に重要な責務ともなり、その実現の有無が学校評価を大きく左右することにもつながるわけである。
 
 では、その主なニーズとはどのようなものであるかというと、一つに学習面に関連すること、二つめには、教職員に関連すること、三つ目には、生活面に関連すること、四つ目には、施設面に関連すること、そして五つ目には教育方針に関連することに大別される。なお、これらの5分野を更に分類すると以下の7項目に分けることができる。
 
 @大学等への進学や就職等の進路達成
  (この点に関しては、なるべく偏差値の高い大学や一流企業であることが望まれる。)
 A進路達成のための充実かつきめ細やかな学習指導や進路指導ならびに課外講習
  (この点に関しては、一人ひとりを重視した個別指導が望まれる。)
 B指導力に優れた教師陣と充実した教育施設をもとにした安心できる教育環境
  (教師の指導力には、教科や部活動および担任指導が含まれる。)
 C個人を尊重する規律ある生徒指導
  (この点に関しては、校則や制服等、毎日の学校生活およびアルバイト規定など校外生活に関連するものが含まれる。)
 D特別活動に対する期待
  (この点に関しては、高体連や高文連等の大会で上位入賞を果たすことが望まれる。)
 E授業料の軽減
  (この点に関しては、公立高校の授業料との比較からくる割高感が問題となる。)
 F一人ひとりの人権や個性を尊重した教育方針
  (この点に関しては、学校教育全般に渡って個の尊重を最重要視することが望まれる。)
 
 では、これらの生徒及び父母からのニーズを実現させる能動的教育活動を、成功に導くためには何が求められるであろうか。
 
 単刀直入に言ってしまえば、「結果を出すこと」の一言に尽きるのであろうが、(1)で前述したが、教育活動の成果とは、断片的にではなく連続的にかつ一貫性と統一性をもって、教育活動全体から総括的に実現させることが理想的であるから、ただ単に一過的に結果を出せばよいというわけではなく、特にカトリック学校においては福音的宗教指導である能動的教育活動との兼ね合いも重視しなければならない。とは言っても、学校評価が実施されていく今日において、教育活動においても結果を出すことは最重要課題であるとも言える。
 
 よって、自校におけるマーケットリサーチや的確な現状把握をもとに、より現実的な学校マネージメントをしていかなければならない。それは、前述した5分野7項目に関する具体的な行動計画をそれぞれの関連部署が策定し、それを学校運営委員会等の中核組織が統轄し実施していくことに他ならない。ここで、今までの学校運営上なかったマネージメント部門の必要性がどうしても生まれてくる。これからの学校評価やその時々のニーズに即した学校経営を実現し、少子化社会の中、私立学校がその使命や伝統および特色を維持しながら生き残りを図っていくためには、学校マネージメントは欠かせないものとなっている。その機能を果たすべき組織や人材を早期に組織・登用して具体的策定案を作成し、それらを学校の中核である教務・生徒指導・進路指導の三指導部門や入試・広報等の必要部署に的確に指示・監督しながら、学校組織全体が一丸となって行動して「結果を出す」ことを連続的にかつ一貫性と統一性をもって実現していくことである。
 
 そのためにも、学校長の明確なリーダーシップと学校マネージメント上の経営手腕による各部署における長の連携・団結そして教職員全体の統率が必要である。それが、学校組織全体の一致をもたらすエネルギーとなり、ひいてはカトリック学校である自校を本来の福音的価値観のもとに存立する学校として、将来にわたって永く存続させることとなるであろう。
 

Last updated: 2008/11/4