1)歴史の時代区分 古代と現代
マルクス史観のように世界は一定の方向に発展しているわけではなく、歴史の時代区
分としては古代と現代と二つに区分すれば充分である。
現代史は世界史では18世紀末から始まった国民国家の時代を指す。日本では1868年
の明治維新以降であり、中国では1839/1840年の阿片戦争の敗北が現代化のきっかけと
なったと言われている。
古代史の中では13世紀のモンゴル帝国のユーラシア大陸制覇から世界史が始まる。
東西文明が結合し、現代国家群が起こり、資本主義経済が東から西へ伝搬し、海洋国家
が登場するに至った。
2)国民国家の出現
歴史の主流は政治史である。世界的にみて現代のきっかけは18世紀末のアメリカの
独立である。それ迄の君主制には国民も国境もなかった。アメリカの独立とはイギリス
王の財産を暴力で乗っ取った事で、Stateとは元来財産を意味し、王の財産を取った事
が国家の始まりである。そして王の財産権の正統な相続人として国民という観念が生ま
れ、国民が国家の所有者、つまり主権者となり、国民国家という政治形態が生まれた。
フランス革命も王の財産を誰が相続するかの闘いで、1789年アメリカ合衆国憲法の
発効に続いてフランス革命が起こった。
尚現代中国でも国家や国民という用語は日本語を借用している。又民族という用語は
20世紀に日本で出来た観念で、欧米にはそれに相当する語彙がない独特なものである。
3)国民国家普及の原因
現代では国家とか国民は当たり前になっているが、その歴史は僅か200年程度未満で
ある。国民国家という形態が急速に普及した原因は軍事面で戦争に強かったからである。
国民の最大の財産は国土であり、これを防衛するので国民軍の兵士は勇敢であった。従
って国家は戦争をするためにあり、戦争できないのは国家ではない。
又君主制を残したまま国民国家に衣替えし、国民軍を作る為に立憲君主制が発明され
た。国家としては目に見える国民統合の象徴は必要であり、万世一系の天皇制に比べて
一貫した個性を持たない共和制が優れているとはいえない。
4)日本が簡単に国民国家に転換できた理由
@ 7世紀建国当初から四方を海で限られ国土が自明であった。
A 外国とは鎖国を堅持し、正式な外交関係を持たなかった。
B 海外居住日本人国内居住外国人共に少ないので、日本人とは分かり切っていた。
C 日本列島内部に外国の領土はなかった。
D 建国時中国の侵略から自衛のため日本天皇という制度を採用して以来継続し、
殆ど自動的に新しい日本国民の統合の象徴となった。
E 最大の難関は国語であったが、新しい国語を開発した。
5)国民国家と民主主義の抱える矛盾と限界
人間はすべて神の前に平等に創られているという民主主義の前提思想は大ウソであ
る。又国民国家で国民がそれぞれ平等な立場で国家を所有しているというのも論理に矛
盾がある。皆で皆を持つとは自分が他人を所有し、自分も他人に所有されることになる。
従って国民が国家の主権者と言われても、よく考えると訳が分からなくなる。
一方19世紀から200年続いた国民国家も限界にきている。国連加盟189ヶ国の中で、
自前でやって行ける国民国家は半数以下であり、国民国家の破綻がめだつようになって
きた。又広域統合を試みているヨーロッパ連合も、従来の国民国家の枠に縛られない動
きで、今後の展開が注目される。或いは近い内に国民国家が終焉するかもしれないが、
ではどのような形になるか未だ予測がつかない。何れにせよ、人間の集団には実体がな
く、どんなアイデンティティも流動的なものである。
参考文献:「歴史とはなにか」 岡田英弘著 文春新書155
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