歴史道楽

 
 

14    日本の歴史に影響を与えた人々
更新日時:
2004/10/30 
 
 日本の歴史を考えると風土の影響が大きい。しかし堺屋太一著「日本を創った12人(前編)」(PHP新書)で述べられているように、何人かの特定の人物の影響も決して小さくない。ユーラシア大陸の近くではあるが少し離れていることにより、いろいろな文化の影響があったが、それが今日のような独特な形になったのは特定の先人の影響が決定的であったろうと思われる。できるだけ客観的にそのような先人の特徴を把握したい。
 
1.聖徳太子・・・「神・仏・儒 習合思想」の発案
 日本土着の宗教である神道と、インドから中国に伝わり朝鮮半島を経て日本へ流入した仏教と、中国で生まれた生活規範的道徳律である儒教、この三つを習い合わせて行く発想の元祖は聖徳太子であったと思われる。これは考えようによっては世界的な大発明で、日本以外の国では二者択一を迫る宗教戦争と幾世代にも及ぶ憎悪が現在に至るまで繰り返されている。考えてみれば、聖徳太子時代の随・唐の文明の導入、明治維新後の西欧文明の導入、いずれも「ええとこどり」で、都合の良いところだけ取り入れてきた。この器用さの元祖はどうも聖徳太子らしい。   
 
2.光源氏・・・「上品な政治家」の原型
 光源氏は紫式部の「源氏物語」に描かれた架空の人物であるが、平安時代の貴族政治家の原型をよく伝えているといわれている。当時の貴族や、貴族が支配していた日本の中央政府の仕事といえば、地頭が徴収した年貢によって都の消費を賄い、仏式、神式の儀式を行うことで国の気風と様式を全国に伝え、日本国としての風格を保ち、全国的な心理的文化的統一を維持するのが最大の仕事であった。各地の治安や産業の問題は自治に任せていたのである。つまり一見上品で人柄はよさそうだが現実の政治は殆どやらないタイプの政治家でその典型は戦前の首相近衛文麿であろう。しかし今後のグローバル化時代には対応出来ず考え直す必要があると思われる。
 
3.源頼朝・・・「二重権限構造」の発明
 源頼朝の最大の業績は初めて幕府を開いて武家政権の基礎を確立したことであるが、それと共に、古く奈良時代から存続していた律令制を温存しつつ武家政治を全国に展開するという権力の二重構造というか権威と権力の二重構造を発明したのが、頼朝の天才的独創性である。律令制の外側に令外官を誕生させ、律令制という建前(形式)と幕府という本音(実態)を使い分けるという考え方はその後の日本に大きな影響を与えた。更に令外官によって、形式的上部機構をお飾りとして残し、実権を実質的下部機構に下ろす前例が出来上がった。おかげて゛流血の惨事は少なくて済み、武士が軍事政治を担当し、貴族は文化を担当するという分業もできた。
 
4.織田信長・・・「否定された日本史」の英雄
 信長は戦国時代の英雄としては有名であるが、「兵農分離」といって農民を兵隊にするのではなく、野盗、闇商人、流浪人を銭で雇って専業兵士を作ったり、関所と商人座を全廃して「楽市楽座」と称して規制緩和により経済を発展させたり、それによって財政基盤を確立して高価な鉄砲を3000挺も装備したり、「天下布武」と称して日本国中を一元的に支配し、その頂点にたって世界史上初の絶対王制を布くというビジョンを立てた。「天下布武」は半ばしか成らなかったが、独創性と共に後生に残したものも大きい。
 
5.徳川家康・・・「成長志向気質」の変革
 徳川家康が今日の日本人に与えた影響を主に考えると、先ず、「律儀」と「辛抱」の哲学が挙げられる。更に「お上意識」の普及と封建的秩序は未だに国民にその名残がみられる。一般に封建社会は地方分権であるが、徳川時代の日本だけは中央集権的封建社会であった。更に日本人の国際感覚の欠如、外国に対する不信感、国際的孤立化の体質といった島国根性の形成は、直接的には家康ではないが、成長志向気質を安定志向気質に変えようとした彼の遺志をついだ徳川幕府の鎖国政策の結果によるところが大きい。ただし日本国建国以後19世紀半ばまで、外国との正式の交渉は持たなかったということもあり、島国根性の根はもっと古いともいえる。
 


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