歴代天皇の漢風の諡号(おくり名)を選定したのは、壬申の乱で敗れた大友皇子の曾孫と言われる奈良時代の学者、淡海三船である。
天皇と呼ばれるようになるのは、「飛鳥浄御原令」(持統天皇3年、紀元689年)以後である。それ以前の称号は、死後に追諡して贈られた名前で、生前には使われていなかったものである。
中国の王朝では皇帝が一般的であるが、唐の第三代皇帝高宗の皇后であった即天武后の時代にも天皇と称した時期があった。飛鳥浄御原令の出る少し前なので、或いはそれが日本の天皇のヒントになったかも知れない。しかしそのことに触れた歴史書は未だ見たことがない。
参考の為に即天武后の一代記を紹介する。
655年:山西省下級官吏の娘武照は、唐第2代皇帝太宗の後宮となったが、太宗没後請わ
れて第三代高宗の後宮となり、皇子を生み、高宗の王皇后を冤罪で殺させ、
遂に皇后に立てられ、即天武后と称した。
666年:視力を失った高宗に代わり政事を決済した。(垂廉の政)
674年:高宗を天皇、武后を天后と称した。
684年:高宗没し、一旦は我が子中宗を帝位につけ、五四日後これを廃し、その弟睿宗
を立てたが、武后が一族と共に政治の実権を握る。
690年:睿宗を皇太子に落とし、自ら聖神皇帝と称し、国号を周と改めた。時に武后67才。
(武周革命)
705年:83才で則天大聖皇帝となるが、病篤くなり、中宗に譲位してまもなく老衰で世を
去る。在位16年、政を取ること45年。中宗即位して国号唐に戻す。
710年:中宗の韋皇后が権力をふるい中宗を毒殺するが、同年睿宗の皇子のクーデターで
一派を処刑し、睿宗を帝位につけて混乱に終止符を打った。
参考文献:
「この一冊で日本の歴史がわかる!」小和田哲男著 三笠書房
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