歴史道楽

 
 

21    日本はなぜ勝てない戦争をやったのか?
更新日時:
2004/10/31 
 
 大東亜戦争は初めから勝つ見込みがなかったのに、なぜ日本は戦争に踏み切ったのか? これは多くの人が疑問に思っていることで、そのような疑問を頭に入れていろいろ調べてみると、今まで知らなかった事実が色々と浮かび上がってくる。
 
 たまたま田原総一郎が同様な疑問から、小学館より「日本の戦争」という本を出して、幕末以来の歴史を見直しているが、肝心の点は別として、種々の点で従来にない新味がある。以下箇条書きでトピックスを列挙する
 
○「日本」をデザインした「富国強兵」の走りは島津斉彬であった。
 
○「教育勅語」は儒学者元田永孚の作で、新しい国家の道徳体系という地方長官の要望に
  応えたものであった。
 
○「征韓論」の由来・・・日本開国後も韓国は鎖国政策を続け、日本が開国を求めると、 
  逆に15世紀から続いていた朝鮮通信使外交に基づく通商まで拒否した。そこで日本
  はやむなく釜山で密貿易をやっていたが、明治6(1873)年朝鮮政府は密貿易の取り締 
  まりを強化して、その文中の「近頃日本人の所為を見るに無法の国と言うべし」とい 
  う文言が維新政府首脳たちを怒らせて「征韓論」に火が点いてしまったものである。
 
○ 伊藤博文の父は下層農民で、本人の特徴は周旋家であった。
 
○ 日露戦争は桂・小村など維新の第二世代が仕掛けたものである。
 
○ 日英同盟に英国が応じたのは、ボーア戦争で兵力をとられ、北清事変に対して日本に  
  大量派兵を求めざるを得ず、弱気になっていた為である。
 
○ 閔妃暗殺で、駐韓公使三浦悟楼は日本の裁判で証拠不十分による無罪となっていた。
 
○ 二・二六事件(昭和11年)は経済も好転し、社会も安定した良き時代であった。
 
○ 軍人は選挙権を持っていなかった。軍の政治介入を誘導したのは政友会。
 
○ 支那事変が長引いたのは、近衛の優柔不断、陸軍現地の独走もあったが、最後は蒋介 
  石の工作で日本は手を抜けなくなった。
 
○ 大東亜戦争の発端は、ドイツの快進撃でオランダ、フランスが敗れ、イギリスも怪し くな
  り、アジアの広大な植民地がドイツやイタリアに狙われる前にということで日本 が手を出
  した。
 
○ 陸海軍と民間で纏まりかかった日米交渉をぶちこわしたのは松岡洋右と外務省で、ヨ 
  ーロッパ情勢の見通しを誤ったのが原因。本件に関しては別途取り上げる予定である。
 
○ 結局島国根性と政治的未熟が失敗の原因と思われる。(現在も同様か?) 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


| Prev | Index | Next |

| ホーム | プロフィール | コラム | 歴史道楽 | 異文化探訪記 | What's New | リンク集 | フォトギャラリー |
| 掲示板 | | | フォト・シチリア・マルタ | フォト・ミャンマー | フォト・英国 | フォト・アメリカ西海岸周遊 |


メールはこちらまで。