(1) アフリカ史を学ぶ人のために
先に「東アフリカ歴史紀行」という本を読んだらまるきりちんぷんかんぷんだったので、まともなアフリカの歴史の本がないか探していたら、岡倉登志編「アフリカ史を学ぶ人のために」(世界思想社)という入門書が大田図書館で見つかった。三部作で第一部が「世界−アフリカ−日本」で世界とアフリカの関係や日本の関わりを述べ、第二部が「アフリカ−古代王国から現代まで」というアフリカ史の概略であり、第三部に「アフリカ史を学ぶ人のために」参考文献と解題を列挙している。本来の狙いは東アフリカ及び南アフリカの歴史を体系的に知りたいということで、第三部から適切な参考文献を見つける事ができたのでそれらについては次節以降に紹介することとする。。
(2) 奴隷貿易
アフリカの歴史といっても、サハラ砂漠以南のブラック・アフリカの歴史であるが、日本ではあまりよく知られていない。何故かと思ってアフリカと世界の関係をいろいろと見てゆくと、日本人が世界の中で特別にアフリカとの関係が薄く、従って関わりも少ない事が分かる。五十以上もあるアフリカの国の名前を全部知っている日本人は殆どいないのではないかと思われるが、奴隷貿易などを通じて世界各国との関わりは結構深い。又奴隷貿易がイギリスの産業革命の筋肉となり、逆にアフリカはそのため人口増加率が低く低開発が助長されたという指摘は成る程と思わされた。。
(3) 日本とアフリカの関係
日本では福沢諭吉の文明論の概略でアフリカは野蛮というイメージを植え付けてしまったが、台湾、朝鮮、満州の経営には英仏のアフリカ植民地経営を参考にしたという。又間接的ではあるが、第二次ボーア戦争と重なったために、極東におけるロシアの進出を抑える目的で、英国は光栄ある孤立を放棄して日本を頼り日英同盟ができたと言われている。しかしアフリカ側では、1926年にエチオピアで「日本に習って我は進まん」という歌ができたり、1960年以降アフリカ人は日本の工業化を近代化のモデルと見なしていたそうである。
(4) 古代・中世・近世
アフリカは人類発生の地でありながら、文字による伝承がないため古代の歴史はあきらかではない。クシュ王国(BC800〜AD350)はエジプト第25王朝となった。一世紀で敗れたが、メロエに都を移して再び繁栄した。シバの女王とイスラエルのソロモン王との間に生まれたメネリク1世を起源とするエチオピアのアクムス王国がこれを敗ったが、6世紀末サザン朝ペルシャに敗れた。この他西アフリカにガーナ王国やマリ王国、ソンガイ帝国が13〜16世紀に現れた。南部ではショナ人を中心とする部族連合のムノモタバ王国(11〜15世紀)が現れ、グレートジンバブエの遺跡をもたらした。これをついでロズウィ王国(15〜19世紀)、又コンゴ王国(14〜19世紀)が中部に現れた。
(5) 西欧列強の植民地化
16〜19世紀には大西洋の三角貿易が行われ、奴隷貿易と文明の破壊、植民地化が行われた。一方東海岸は紀元前からペルシャ、ギリシャと交易があり、4〜10世紀は東アフリカ史暗黒時代と言われるが、7世紀末にはイスラム教が入り、アラブ商人が交易を主導してスワヒリ世界が形成された。15世紀末ポルトガルがきて大打撃を受けたが、以後オランダ、イギリス、フランスが相争い、ドイツ、ベルギーまで之に加わった。18世紀オマーンの台頭でルネッサンスを迎え、インド洋最西端の商業拠点になった。
(6) 独立、しかし深刻な問題を抱える
西アフリカ、東アフリカ、南部アフリカの植民地分割と抵抗を経て、英領ついで仏領アフリカの独立が続いたが、二度の大戦を通じて、ヨーロッパ人が軍事的、経済的、人種的に優れているという神話が崩壊して独立が促進されたという。最後に現代の南アフリカで1994年4月全人種の総選挙が行われ、権力の重心がアパルトヘイト政策等白人少数派にあったものがはじめて黒人多数派に移り、民主的南アフリカ政府が誕生した。しかしアフリカの抱える問題は依然深刻で、未だに各地で紛争や虐殺事件が絶えない。歴史を通して少しでも世界の一部としてアフリカに対する理解を深めたいものと思う。
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