(1) 東アフリカの定義
東アフリカとは、狭義には独立前に三国共同体を構成していたケニア、ウガンダ、タンザニアの三国を指すが、広義には、地域的にナイル河谷地域のスーダン、東部角状地域のエチオピア、ソマリア、ジプチと冒頭の東アフリカ地域三国に場合によりザイール等中央アフリカに分類されることもあるルワンダ、ブルンジの2ヶ国を加えて、合計9ヶ国を指している。
(2) 四つの言語グループ
東アフリカの住民は言語グループで4グループに分けられ、それぞれ文化的特色もある。コンゴ・コルドファン語族(通称バンツー)はBC10世紀以後西アフリカのカメルーン地域付近からアフリカ中・東・南部へ南東方向に移動してきた東アフリカ最大の人口グループで農耕民が主体である。ナイル・サハラ語族は牛牧文化でスーダン南部に多い。アフロ・アジア語族はクシュ語派のエチオピア、ソマリア地方の大多数で割礼の風習があるグループとセム語系のアラビア語を話すスーダン北部とエチオピア高原部の住民がいる。最後のコイサン語族はブッシュマン等タンザニアの一部に残るだけでごく少数である。
(3) 三つの公用語
東アフリカの共通語はスワヒリ語、アムハラ語、アラビア語の三つである。このうちスワヒリ語はバンツー系住民がインド洋沿岸部のアラブ人と接触してできたもので、タンザニア、ケニア、ウガンダ、ソマリア南部、ルワンダ、ブルンジ、ザイール東部、マラウィ、ザンビア北部で通じ、タンザニアの公用語であり、ケニアでも英語と共に公用語になっている。アムハラ語はエチオピアの公用語であり、アラビア語はスーダンの国語となり、ソマリア、ジプチでも公用語に近い。
(4) 植民地化
古代はクシュ王国やアクムス王国などエチオピアが活躍したが、4〜10世紀は東アフリカの暗黒時代といわれたが、8世紀には東アフリカ沿岸にアラブ居住地ができ、次第に内陸部と交易が行われるようになった。しかし15世紀末の西欧大航海時代以降、ヨーロッパ列強がやってきて分割し、植民地とした。エチオピアは1936年イタリアに占領されたが、1941年に独立を回復した。スーダン、ケニア、ウガンダはイギリス、ソマリアはイタリア、ジプチはフランス、ルワンダとブルンジはベルギー、タンザニアの前身タンガニーカは当初ドイツ、後にイギリス、ザンジバルはオマーンのスルタン後にイギリスにそれぞれ統治された。
(5) 独立の達成
第二次大戦後民族主義運動が各地で高揚し、ヨーロッパ人、アラブ人、インド人などの権益を苦心しながら排除してスーダン(1956)、ジプチ(1977)を除いてはほぼ1960年代前半に次々と独立を達成した。しかし農業・牧畜主体なので、工業・鉱業をはじめ輸出産業の育成に各国とも苦労し、王制を打倒するだけでなく、社会主義化したり軍政になったところもある。ルワンダ、ブルンジのようにツチ族(牧畜)とフツ族(農耕)の対立の根深い所もあり、前途は必ずしも楽観を許されない。
(6) 中国の援助?
アフリカではイギリスとフランスの植民地競争がよく知られているが、東アフリカではその他としてイタリア、ベルギー、ドイツ、オマーンが参入していた。特にドイツが南部で活躍していたことはあまりよく承知していなかった。更に1970年代に中国がタンザニアの首都ダルエスサラームからザンビアのカビリ・ムボシまで1900キロの鉄道を約4億ドル(無利子30年返済)で建設し、ザンビアの銅搬出も可能となり、中国は東アフリカで多大の尊敬を受けるに至ったという。日本からODAを受けていて、他方アフリカを援助する中国の在り方というか日本のやり方に疑問を感ずる。
(7) ケニア、ウガンダ、タンザニアの状態(1975年)
国名 ケニア ウガンダ タンザニア
政体 共和国 共和国 連合共和国
首都 ナイロビ カンパラ ダルエスサラーム
面積 58.3万平方キロ23.6万平方キロ 94.5万平方キロ
人口 1355万人 1117万人 1520万人
独立 1963年 1962年 1961-63年
住民 多部族 多部族 多部族
言語 英語 英語 スワヒリ語
スワヒリ語 (スワヒリ語)
宗教 キリスト教 60%キリスト教 1/3イスラム教
(イスラム教) 5%イスラム教 1/3キリスト教
産業 農業・牧畜 農業・牧畜 農業・牧畜
工業 銅 ダイアモンド
参考文献:アフリカ現代史U東アフリカ(世界現代史14) 吉田昌夫 山川出版社 1978
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