ベトナムの歴史は日本より古く、且つ複雑である。日本との関係もあったが、日本人は
あまり気付いていない。そこで長い歴史を簡潔にまとめて概観できるよう試みた。
[1] 先史文化:今から30万年前の前期旧石器時代の石器も発見されているが、紀元前
10,000年以来原始農業の発生でホアビン文化をはじめ数多の文化が現れ、BC500年頃
には紅河沿いに文郎国ができ、BC257年には甌駱国となった。
[2] 中国支配の時代(前編):中国の秦代末期、広州を首都とする南越国ができてBC208
年甌駱国を征服し、更にBC111年漢が南越国を滅ぼし、以後約1000年間中国がベトナ
ムを支配した。但し南部には1世紀にクメール族の扶南というインド文化の国ができ
たが、550年に真蝋に滅ぼされた。又中部では192年フエにチャンパ王国ができ、海の
シルクロードとして栄えたが、北部から圧迫され、南部に逃れたが1471年遂にベトナ
ム軍に敗退滅亡した。
[3] ベトナムの成立:907年唐が滅び、広州に南漢国ができたが、938年呉権が之を破り
中国支配を脱した。呉朝、丁朝、全黎朝と900年代短期政権が続いたが、チャンパを
破り、ベトナムに朝貢させ、実質的に統一に成功した。
[4] 李朝−大越国:1010年最初の長期王朝ができた。文廟、科挙制度など宋から文化を
導入し、チャンパへも3度遠征したが、農民への圧政に起因する反乱で滅びた。
[5] 陳朝:1225年李朝を破り、固有文字を作って漢字から独立し農業、商工業、貨幣
経済を振興した。特に日本に二度侵攻した元軍がその直後ベトナムを襲ったが、ゲリ
ラ戦に敗れ再び日本を攻めるのを断念した。しかし1400年黎氏に政権を奪われた。
[6] 中国支配の時代(後編):内乱状態のベトナムに、1414年中国から明が侵入し、黎氏
の後の胡王朝を滅ぼし、1427年まで支配した。しかし言語・風俗など中国風を強制し
暴政を布いたのに民衆が反発し蜂起した。
[7] 動乱の時代:1418年決起した黎利は1428年ベトナムを解放、チャンパを支配しベト
ナムを統一した。後黎朝という。しかし1527年南北に分裂し、北部は鄭氏、南部はフ
エに阮氏が政権をとった。1700年代後半西山党の乱があったが、1788年 阮映が巻き返す。
[8] 阮朝とフランスの進出: 阮映が1802年ベトナムを統一したが、フランスの志願兵と宣
教師の助力を仰いだ。しかし次の皇帝が彼等を拒絶したのでフランスは1858ダナンを
砲撃開国を迫り、徐々に勢力を強め、1822年ハノイを占拠し実質的に植民地化した。
[9] 仏領インドシナ時代 :中部、北部の農村中心に排仏運動が起きた。日露戦争で日
本が勝ったので、日本の援助を期待したが、日本はフランスの要請で日本国内のベト
ナム人を迫害して裏切った。フランスは生活破壊を行ったので半奴隷状態に陥った。
[10] 日本軍の進駐と独立運動、フランスの再侵略:1940年フランスがドイツに敗れ、
日本が進駐して大東亜共栄圏を唱えたが、ベトナム人は一度裏切られているので信じ
なかった。むしろ日仏二重支配となり激しい弾圧と掠奪を繰り返す。ベトナム独立同
盟会が北部山岳地帯を解放した。1945-8-19 日本の降伏でハノイで革命、フエでも蜂
起して阮朝が崩壊したが、9月よりイギリスの支援でフランスが再侵略し、46-2月ま
でに北緯十五度以南を平定し南北分裂した。
[11] 南北分裂国家時代とアメリカの弾圧、ベトナムの戦争:日本の戦後、ベトナムはフ
ランス、アメリカ、中国と戦争を行い、91年11月中国と、95年7月米国と国交正常
化がようやくできた状態である。第1次インドシナ戦争は1946-11月フランス軍のハ
イフォン攻撃で始まり、54年5月ジュネーブ会議で停戦南北分裂する。60年12月南
ベトナム解放民族戦線がアメリカとジェム政権に宣戦布告したのが第2次インドシナ
戦争である。アメリカは本格軍事介入と共に無差別攻撃が国際的に非難され、73年
パリ協定で撤兵し、75年サイゴンが陥落し、76年ベトナム社会主義共和国が統一し
た。これと平行して1970年代初め頃より中国との関係が悪化し、79年2月ベトナム
北部に中国軍が侵攻し紛争状態となった。86年12月ドイモイ政策で 農業・工業の改
革が行われ、96年以降周辺各国と交流して現在に至り、経済が活性 化しつつある。
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