(1) 建国以前
スイス連邦共和国の独立は1291年であるが、当然ながらその前に長い歴史がある。BC16世紀頃から人々はアルプス地方にまで住み始めた。BC450年にはケルト系ヘルウェティ族が入植し、やがてローマ帝国が侵入したが、東部にはラェティー族がいた。
259年には西ゲルマン人の一派アレマン族が侵入する。後期ローマ帝国時代キリスト教会が組織され、司教区が各所に誕生した。
スイスの西部には東ゲルマン系ブルグント族、東北部にアレマン族が定住し始めたのはローマ支配の最後の50年であったが、6世紀前半にはフランク王がローマ帝国の後を継ぎ、彼等に君臨した。尚南部はランゴバルト族のロンバルディアであった。
10世紀には、フランク王国分割、イスラム教徒、マジャール人の侵入、神聖ローマ帝国への編入と続いた。しかし、ブルグント(フランス語)、アレマン(ドイツ語)、ラェティア(ロマンシュ語)、ロンバルディア(イタリア語)は、王国であれ、公領であれ、これらの数世紀、小部族国家の性格で残っており、高地アレマン語が「スイスドイツ語」の源となった。現在も上記4カ国語がスイスの公用語である。尚南東部のクールには司教区があり、第一ラェティアとしてローマの遺風が残り、ロマンシュ語が残ったものである。
神聖ローマ帝国のシュヴァーベン公領から11世紀にはシュタウフェン家が登場し、13世紀半ばには西部にサヴォア家、エルザスからハプスブルグ家が権門として現れた。
10世紀以降、農業技術が発展し、手工業と商業が生まれ、都市が誕生し成長した。都市は帝国都市となり、一方「ラント」と称する自治・自由農民共同体が出現した。
(2) スイス連邦共和国
1291年8月1日、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの三森林邦同盟が成立、
現在のスイス連邦共和国の独立記念日となった。
1353年 ルツェルン、チューリッヒ、ベルン等を含め八邦同盟成立。
1499年 シュヴァーベン戦争で皇帝マクシミリアンに勝ち、事実上の独立を獲得。
ハプスブルグ家の支配拒絶から同盟が始まっている。
1513年 年々同盟拡大し、バーゼル等を含め13邦同盟となる。
1647年 全スイスの国防規定が定められ、スイス武装中立の出発点となる。
1648年 30年戦争を通じて中立と独立を維持した結果、ウェストファリア条約で、
神聖ローマ帝国からの完全独立を国際法上認められた。
1798年 ナポレオンに攻略され中央集権的ヘルヴェティア共和国成立するも内乱。
1803年 19カントンの連邦制に戻る。
1815年 復古体制(同盟規約)で22カントンの連合体となり、独立回復で永世中立
1847年、宗教対立、産業革命で急進派と保守派対立し、盟約者団崩壊の危機に陥った。
1848年 最初の連邦議会が開かれ、連邦憲法が制定され、スイス連邦国家が誕生した。
1859年 傭兵制が禁止された。
1874年 憲法改正して軍隊制度の中央集権化が図られた。現在も国民皆兵制度で、武
器を家庭に保持している。
1979年 ジュラがベルンから分離独立し、全国が23カントン制となった。実際に
は20カントンと6つの半カントンから成っている。
スイスは地域主義が強く、カントン(小さな県のような地域)が主体で準国家的であり、連邦は代表権、外交、国防、税関、鉄道・郵便等の大規模事業を担当し、大臣は7名である。その他司法、教育、税務、保健はカントンに委されている。尚直接民主制といっても青空議会は少なくなった。しかし国民投票は多い。武装中立政策は、周辺国の要請と内部統一の両面で実利的であった。
尚スイスの正式国名はヘルヴェティアであるが、意味する所は「世界における使命と世界に対する責任を自覚した自由な国」だそうである。
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