11世紀初めにはアフガニスタンからイスラム王朝軍が侵入し始めたが、デリーを占拠した将軍アイバクは1206年独立して王朝を興し、ここにインドにおけるムスリム時代が開幕する。
アイバクを祖とする奴隷王朝に始まり、デリーには16世紀初めまで引き続き五つのイスラム政権が出現し、それを総称して「デリー諸王朝」と呼んでいる。イスラム勢力はインド各地に及び、この時代は各地方でイスラムとヒンドゥーの相互影響作用が進行した。イスラムと戦うために、戦闘に弱いヒンドゥーを改革したスィク教の開祖ナーナクが現れたのもこの時代である。
14世紀にはデカン中部にヒンドゥーのヴィジャヤナガル王国が興り、南の半島部を統一し、デカン北部のイスラム勢力と対抗したが、16世紀半ば、イスラム5王国連合軍に敗れ、衰退に向かい、17世紀中葉滅亡してしまった。
デリー諸王朝のうち、14世紀のトゥグルク朝の勢力はかなり強大であったが、14世紀末から15世紀に中央アジアの草原からティムールがインドに侵入し、王朝は弱体化した。1526年、今度はアフガニスタンからティムールの血を引くモンゴル系トルコ人バーブルが侵入してデリーを陥れ、ここにムガール朝の支配が始まった。
ムガール帝国では5代目、6代目時代、その栄華は頂点に達した。5代目シャー・ジャハーン帝は愛妃ムスターズ・マハルの墓廟としてアグラーに壮麗なタージ・マハルを建て、デリーには新たに広大な王都を建設した。3代目アクバルはヒンドゥー教とイスラム教の融和をはかり、自ら統一的新宗教を創始したが、6代目のアウラングゼーブは熱心なイスラム教徒でヒンドゥー教徒に対して不寛容であった。
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