東京裁判の正式名称は極東国際軍事裁判で、占領軍GHQのマッカーサー元帥によって仕組まれたものである。1946年5月3日開廷し、第2次世界大戦の連合国11ヶ国が日本の政治エリート28人をA級戦争犯罪人として起訴し、凡そ2年間に亘る審理の上、1948年11月12日判決が出て刑罰を宣告した。翌月の12月23日午前0時から7人の絞首刑が執行され、1949年2月15
十五日総司令部国際検察局が閉鎖された。
この裁判は国際法に基づかないもので、主役はオーストラリアのウェッブ裁判長、アメリカのキーナン首席検事で、英米法によった為弁護団は非力であった。しかしスミス弁護人、ブレークニー弁護人など優秀な弁護人もいたが、基本的な異議は占領者の権力ですべて却下されてしまった。尚オーストラリア、ソ連、中国、フィリッピンは天皇の責任を追及したが、マッカーサーが占領政策から反対して却下した。
訴因は当初次の3類55項目あった。
第1類 平和に対する罪(1〜36)(戦争遂行計画、開戦、遂行)
第2類 殺人及び殺人共同謀議の罪(37〜52)(宣戦布告前、俘虜及び一般人の殺害)
第3類 通例の戦争犯罪及び人道に対する罪(53〜55)
尚一般の軍人の裁判は戦闘の行われた各地で行われ、東京では対象が幹部に限られた。判決時には訴因は次の10項目に絞られた。
1、1928〜45年の侵略戦争遂行の全般的共同謀議、
27、対中国、29、対米国、31、対英国、32、対和蘭、33、対仏国、35、対ソ連(張鼓峰事件)、36、対ソ連、蒙古(ノモンハン事件)それぞれの侵略戦争遂行、
54、戦争法規違反の命令、授権、許可、55、戦争法規遵守義務の無視
判決としては絞首刑7人、終身刑16人、有期刑2人であった。尚死刑にはオーストラリア、ソ連、フランス、インドは反対と推定されている。又インドのパール判事は全員無罪の意見書を出し、オランダのレーリング判事は広田被告の死刑判決は不当と主張した。
(絞首刑)土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、東条英
機。
(終身刑)荒木貞夫、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、星野直樹、木戸幸一、小磯国昭、
南次郎、岡敬純、大島浩、佐藤賢了、嶋田繁太郎、鈴木貞一、賀屋興宣、白鳥
敏夫、梅津美治郎。
(有期刑)重光葵(禁固7年)、東郷茂徳(禁固20年)
その他自決、病没した者多数(近衛文麿、阿南維幾、松岡洋右、永野修身、橋田邦彦、小泉親彦)で、大川周明は発狂と認定された。
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