今年の5月にロシアへ行ったとき、モスクワと黄金の環のガイド(ミハイルさん)がロシアは外国と戦争して負けたことがないが、唯一の例外が日露戦争だったと言われた。なるほどタタールのくびき(モンゴルの圧政)に悩まされた後、建国以来、トルコ、スェーデン、ポーランド、フランス、ドイツと軒並み周辺国の侵略を撃退し、日露戦争に敗れたのが信じられないほど残念なことであったらしい。もっとも近年もアフガニスタンで失敗してはいるが、あきらかな敗戦というわけではない。
当時世界のどこの国でも日本が勝つとは思っておらず、日本が勝ったことを、ロシアに痛めつけられていたトルコやフィンランドでは未だに記念しており、インドをはじめ当時欧米の植民地であった国々は、日本が白人国を破ったことに大いに勇気づけられたという。とはいえ、日本が圧倒的に勝ったわけではなく、日本海海戦や奉天会戦で勝ったのを期して、中立のアメリカ大統領にはたらきかけて調停してもらったものである。
しかし奉天会戦から34年経った昭和14年、ノモンハン事件ではソ連軍に徹底的にやっつけられた。更に昭和12年から続いていた支那事変の収拾がつかぬまま大東亜戦争に陥り、遂にアメリカには原爆を落とされ、昭和20年8月15日、日本軍の降伏後ソ連軍に侵略されて北方四島を取られてしまった。
明治維新により近代化に成功し、国力を増強して欧米の植民地となるのを避けることに成功し、日清戦争、日露戦争に勝った日本が、その後どうして負け戦をするようになったのか? その問題点は現在は解決しているか? これらの点について検討してみる。
明治維新は下級武士による革命であった。武士階級を自ら否定し、王制復古を行ったが、武士出身者が政治家となり、軍事は全体政略の一手段としてゼネラリストとしての統治者となった。この結果日清、日露戦争では政略優先の指導力が発揮された。
しかしその後陸軍、海軍では戦闘技術教育による軍事スペシャリストが養成され、政略については学ばず、他方帝大をはじめ一般教育では軍事教育をうけず、特に戦争学を学ばないのは日本の特色である。従って文武両道のゼネラリストがいなくなったことが致命的となった。このため軍事にうとい政治家が軍人の暴走を抑えきれなくなったのが大東亜戦争敗戦までの実態であり、その傾向は戦後半世紀以上経過しているにも拘わらず、未だにゼネラリストのエリートの養成を手がけていない。このため安全保障面ではアメリカの属国に堕している。
戦後日本は民主主義国となったが、民主主義が衆愚政治に堕落しない為には、優れたリーダーが必要であり、それはエリート・ゼネラリストであるべきである。その人材は自然に湧いてくるものではなく、意図的に作り上げて行くべきものである。
欧米ではまともなリーダーを輩出する仕組みを持たなければ国が滅ぶといわれ、このため種々の施策が講じられている。政治に有為な人材が集まり、彼等が国家的政策に集中できる仕組みを整えた上で、はじめて「政」の優位が社会に納得感をもって受け入れられている。これらの工夫が日本としてのある意味で最も重要な課題であろう。具体的には先進国はいずれも地方分権が進んでおり、国会議員は地元の利害の代表ではなく、国家的政策に集中できるようになっている。日本も国家形態を地方主権の連邦制に変更し、地方のことは地方で行い、どうしても国としてやらなければいけない事だけを国でやれば、現在問題になっている政官業の癒着や金権体質の大半の解決が可能となろう。
日本は伝統的に島国根性に災いされている。今や世界は外国と共存を強いられており、日本の国内の都合だけでは生存が困難になってきている。そのような状況で、歴史も環境も、従って常識も異なる外国とどのようにつきあって日本の安全を守るかは極めて重要な問題であり、それが可能となるようにするのが日本人に課せられた課題である。
参考文献:
「転落の歴史に何を見るか−奉天会戦からノモンハン事件へ」斎藤健著 ちくま新書337
|