歴史道楽

 
 

58    大和朝廷の起源
更新日時:
2004/10/29 
 
 1997年に発刊したゴールデン・エイジに、第二部素人の歴史道楽として、「第八章 日本人、日本語、日本文化の起源」「第九章 日本建国の謎」として多数の文献調査から、当時分かる範囲で日本の建国時代の謎に迫った。日本国となってからの歴史ははっきりしているが、神話時代の歴史は諸説紛々としていてはっきりしていない。
 2002年の続ゴールデン・エイジでは、第二部、第四章、第三節として「秘められた日本古代史」として古伝四書の一つであるホツマツタヘに焦点を当てた。これは漢字が導入される前に神代文字があり、古事記や日本書紀の元になる文書があったという主張であるが、まだ公的には認められた意見にはなっていないようである。
 このホームページの歴史道楽の#51「日本建国史の改竄」では、戦後占領軍の政策で応神以前の研究が否定されているが、4世紀の景行天皇、日本武尊、神功皇后の時代が戦争の時代で日本国内統一の時期であったと著者の南原次男氏は主張している。ただ著者は陸軍士官学校出身で、歴史学者が戦史に不慣れなことを非難することに急で、戦史を研究した結果については未だ明らかではない。
 更に同じく歴史道楽の#54「精神分析から見た歴史−史的唯幻論」では、天孫降臨の神話は、大和朝廷が戦に負けて半島から追っ払われた敗北者の連中が作ったことなど好ましくない事実を隠蔽するために作られたと考えられるとしているが、たしかに白村江の敗戦は痛かったが、それと天孫降臨の神話と直に結びつくのかどうかには疑問が残る。
 
 以上大和朝廷の起源が今ひとつ不明確なので最近下記2冊の文献を読んでみた。
@「目からウロコの古代史」 武光 誠著 PHP研究所 1350円 2000年3月30日
A「逆説の日本史−古代黎明編」井沢元彦著 小学館 1600円 1993年10月1日
 
 以上の2冊から今までに知らなかった古代の多くの事実を知った。それらの詳細については追って別途報告したいと思う。ここでは未だ決定打のない大和朝廷の起源に絞って問題点を追求したいと思う。
 
 問題点としては八世紀に作られた古事記・日本書紀に、伝承としての神話は記載されているが、三世紀、四世紀の大和朝廷の起源が明らかでないことが上げられる。
 紀元57年に倭奴国王が後漢に朝貢し金印を受けたといわれ、その金印が福岡で展示されているのを見たことがある。つまりこの頃から環濠集落がいくつか連合した小国が発生したことが伺える。更に107年倭国王師升らが後漢に朝貢という記事が支那の古典から引用されている。又158年には紀元後第1回目の皆既日食があり、この頃倭国大乱があったと言われる。つまり二世紀の中頃には九州にも多くの小国が乱立して相争うだけでなく、出雲王国もこの頃統一されたという。(出雲王国は後に大和朝廷に服属させられた。)
 三世紀に入り、239年邪馬台国の卑弥呼が魏へ使者を送り、魏の明帝から親魏倭王の称号と金印と銅鏡100枚を受けたと魏志倭人伝に記載されている。更に247年邪馬台国が狗奴国と交戦し、魏に応援を求め、張政が派遣されたという。更に翌248年第2回目の皆既日食があり、卑弥呼が死んだという。
 折しも支那では後漢の滅亡後三国時代、西晋、五胡十六国、南北朝時代と混乱期が続き、六世紀末隋の統一まであまり日本のことが史書に出てこない。
 
 ここで大胆な予想をすれば、邪馬台国の卑弥呼は巫女であり、天照大神であると想定される。天の岩戸の神話もたまたま遭遇した皆既日食と関係するのかも知れない。そして北九州にあった邪馬台国が後に神武天皇時代に東征して大和に入り、地元勢力と融和して大和朝廷となったとも考えられる。
 神武、崇神、応神の三天皇に神の字が入り、神功皇后にのみ皇后に神の字がつくのは、それぞれに意味があることであろう。神武、崇神、応神の三天皇はそれぞれ王朝の創始者であるとか同一人物であるとか言われており、神功皇后も国内を統一したとか朝鮮からきたとか言われており、三韓征伐はどうやらウソらしい。更に下って継体天皇、欽明天皇あたりにも朝鮮の陰がちらつくが、応神天皇、神功皇后、比売大神を祀った宇佐八幡宮の現場の案内標識が全部ハングルなのには驚いた経験がある。
 369年には倭軍朝鮮半島に出兵し、任那を領有し、391年には百済と新羅を服属し、倭軍は高句麗と戦ったと高句麗の好太王碑に書かれている。但し高句麗には負けたらしい。
 いずれにせよ大和朝廷と朝鮮には深い因縁がある。崇神天皇も朝鮮からの帰化人であるとの説もあり、朝廷に韓国の神様を祀ってあると言われたり、大嘗祭が韓国式であると言われたりしている。 
 
  日本人が古来アジア・太平洋各地からやってきた混合民族であることは今や定説であり、支那や朝鮮半島を経由して移動してきた人の数も少なくないことも明らかである。従って大和朝廷が外来であってもおかしいとは言えない。ただ戦前の皇国史観のように神代から万世一系の現人神などと主張するとおかしくなるが、大和朝廷の出自をあいまいにして権威を保つより、世界に稀な長寿命の天皇家の存在を明確に示す方が望ましく思う。その決め手はどうやら井沢氏が主張するように目下宮内庁が全面禁止している天皇陵の発掘調査の解禁にあるように思われる。
 


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