スロヴェニアの南にあり、アドリア海の沿岸部を占め、イタリアの対岸になる。
[1] クロアチア王国の誕生
6世紀頃南スラヴ人が南下、やがてブルガリア、セルビア、クロアチア、スロヴェニア の4民族となる。
9世紀以降 キリスト教の布教で西欧文化圏となる。(セルビア人は東方正教を信仰)
10世紀初頭 最初の独立国家クロアチア王国誕生、トミスラフ侯の活躍で一時は大国 ビザンチン帝国に対抗する力を持つ。
[2] ハンガリーの弾圧と支配
11世紀 ヴェネツィアとハンガリーが強国となり、2大勢力に国内も分断される。
1097 ハンガリーがクロアチアを弾圧
1102 ハンガリー国王コロマンがクロアチア貴族との間に連合条約を結ぶ。
このため第1次世界大戦までハンガリー王国、続いてオーストリア・ハンガリー帝国の支配下に置かれる。
ハプスブルグ家の支配は自治権も認められ、先進的ヨーロッパ文化を享受出来たが、ナポレオンの 登場とハブスブルグ家の没落で民族再生の動きが出てきた。
[3] ユーゴスラヴィアと独立
1848 ヨーロッパ諸民族の春であった。
1918 セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国誕生。
1929 セルビア人主導のユーゴスラヴィア王国へと強引に改称された。
1941 ナチスが傀儡政権「独立国家クロアチア」を組織する。テロ組織のウスタシャはクロアチア国内のセルビア人、イスラム教徒を迫害し、カトリックへの改宗 を迫った。他方チトー率いる共産党が第2次大戦終結までナチスの支配に抵抗。
1945 第2次世界大戦終結し、チトー率いる共産党がユーゴスラヴィア連邦を建国。 ソ連に抵抗して汎スラブ主義をとる。
1980 チトーの死後、民族運動が頻発。
1989 ベルリンの壁崩壊。
1990 フラニョ・トゥージュマンのクロアチア民主同盟が選挙に圧勝。
1991-6 独立。ユーゴ連邦軍とセルビア人の猛攻撃で翌年まで独立戦争が続いた。
1992-1-15 武力では敗れたが、クロアチア共和国として正式に独立が認められた。
正式国名:クロアチア共和国 Republika Hrvatska
面積:56,691平方キロ(九州の約1.5倍)
人口:430万人
首都:ザグレブ
民族構成:クロアチア人78%、セルビア人12%、その他ハンガリー人、スロヴェニア 人、イタリア人、アルバニア人など
宗教:ローマ・カトリック76.5%、その他セルビア正教など
言語:公用語はクロアチア語、ドイツ語、英語、イタリア語がよく通じる。
産業:造船業、化学工業、観光業、精油業など
通貨:クロアチア・クーナ(Kn)、1Kn=約16.52円、1$=約8.17Kn (2002-06)
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