歴史道楽

 
 

7    東京裁判「文明の裁き」の実態
更新日時:
2004/10/31 
 
 既に半世紀以上昔になった東京裁判は、キーナン首席検察官により「文明の断乎たる戦い」と宣言され、一方的に創られた歴史観により日本国民は多大の被害を蒙った。牛村圭著「文明の裁きをこえて」(中公叢書)は、「文明の裁き」に焦点をあてて、東京裁判の裏面史を探っており、その中の興味ある点について私見を交えて紹介を試みる。
 
[東京裁判は勝者の裁き]
 「文明」である連合国が「非文明」で「野蛮」な日本を裁く極東国際軍事裁判即ち東京裁判は「勝者の裁き」であり、「文明国」を標榜するのは連合国の独善であり、実質においては連合国の植民地喪失に対する復讐であった。後年のソ連の東欧諸国への軍事介入や米国のベトナム戦での悪逆非道な行為の証拠をみると、その「文明」はお粗末で「文明の裁き」という連合国の主張は偽善的な虚ろな響きと化してしまった。
 
[東西国際軍事裁判の被告たち]
 東京裁判にやや先行して開かれていたニュールンベルグ裁判と比較して、丸山真男は、「軍国支配者の精神形態」を発表し、ナチには「ニヒリストの明快さ」と「悪に敢えて居座ろうとする無法者」の印象があり、他方日本人戦犯には「日本ファシズムの矮小性」があり、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」が見られる、と自虐的に評価して進歩的文化人から好評を博し、以後国内世論に多大の影響を与えてきた。しかしその後発表された資料を詳しく調べると、松井石根大将、東郷茂徳外相、東条英機首相いずれもいたずらに責任回避しているわけではなく、又ドイツでもいろいろなケースがあって、丸山氏の主張とは反対に両者には多大の類似点、共通点が見られると著者は指摘している。
 
[東京裁判をめぐる秘められた群像]
 
 「ビルマの竪琴」で有名な竹山道雄は、東京裁判終了の4ヶ月後に「ハイド氏の裁き」を発表して、「近代文明」こそ被告であり、そのジキルとハイドの二面性を指摘し、連合国の歴史も植民地帝国主義の歴史であり、東京裁判での一面的歴史解釈に痛烈な批判を加えると共に、過去の日本を徒に貶める当時の風潮を厳しく批判した。
 
 オランダのレーリング判事はオランダ人として日本人を憎む心情で来日したが、日本を理解するために鈴木大拙や竹山道雄とつきあい、在日2年で日本人が好きになってしまった。東条大将をはじめ被告は人物としては立派であったと評価し、広田首相や東郷外相は無罪であると、インドのパル判事同様個別意見書を出して特に広田首相の死刑判決の不当性を説いた。日本人は理想を持ち感受性も豊で物質偏重の西洋人より優れていると評した。 
 
 インドのパル判事は日本の大陸での軍事行動の背景には共産主義の脅威があった。又日本は西洋植民地主義からアジアを解放するために戦った。戦争に関わった全ての国も通常の戦争犯罪を犯している。儀式化した復讐は後悔を伴うであろうと全員無罪を主張した。又アメリカのノック氏の引用で「ハルノートのような通牒をうけとれば、モナコやルクセンブルグでも合衆国に対し戈をとって立ち上がったであろう」とアメリカを非難している。
 
 梅津美治郎被告担当のベン・ブルース・ブレークニ弁護人はその正義とフェアプレーの精神を伝えたアメリカ人として日本側からも評価が高かった。戦争自体は合法的で犯罪ではない。又国家の行為であって、個人の責任を追及し裁くのは間違っている。戦争での殺人は合法的殺人であり、原爆投下の計画を立案した軍首脳も大統領も全く殺人罪を意識していなかったではないか? と東京裁判の不当性を批判した。東京裁判後も日本に滞在し、東大をはじめアメリカ法の大学教師となり、Case Method を紹介し、後に弁護士も兼ねたが、昭和38年自家用機が天城山中に墜落して愛妻と共にこの世を去った。
 
 開戦時と終戦時の外相東郷茂徳はドイツ文学科出身の外交官で、巣鴨に拘禁中に「時代の一面」という時代の動きに対する文明史的考察を残した。これは日清戦争時の陸奥外相の外交手記・回想録「蹇蹇録」と対比される。両者には半世紀の開きがあるが、いずれも戦争を文明の衝突と捉えているのは、ハンチントンの「文明の衝突」よりはるか前の達観であろう。特に外地における異文化体験が文明の考察には甚だ有益であることを示していると思われる。たまたま私と同じくスイス滞在が最初の異文化体験となった事に成る程と感じた。
 


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