ミャンマー
ミャンマーは昔ビルマといったが、面積は日本の約1.8倍、人口は約4,500万人、首都はヤンゴン(ラングーン)で人口約250万人、民族としてはビルマ族が約70%、シャン族が8.5%、カレン族6.2%、その他カチン族、モン族、ラカイン族、中国人など国内には135の民族が居住している。又宗教的には南方上座部仏教の仏教徒が87%、キリスト教徒が5%、イスラム教徒が4%、アニミスとが3%となっている。現在はミャンマー連邦として国家平和・発展評議会(軍事評議会)による軍政となっているが、バガン、マンダレー、ヤンゴン、バゴーなどには美しい金色のパゴダなど沢山残されており仏教遺跡の宝庫である。それらがどのようにして生まれたかを知るために歴史の概要をおさらいしてみる。それは又隆盛と滅亡を繰り返したビルマ王朝の歴史でもある。
古代王朝時代
シャン州の鍾乳洞には1万年前の人骨や石器が発見され、チンドウィン川周辺では4千年前の人骨が発見されている。しかし青銅、鉄器時代には痕跡は全く見つからず空白の時代がある。記録として現れる先住民は、西暦3〜9世紀にかけてエーヤワディー川(イラワジ川)周辺に定住していたビュー族が居て、8世紀にはビュー王朝が起き、中国の文献では驃(ひょう)国と呼ばれた。4世紀過ぎには仏教がインドからこの地に普及していた。又6〜7世紀にはモン族がインドシナ半島を西進し、現ミャンマーの南部に定住していた。
更に8世紀頃から現中国雲南省の遊牧民族であったビルマ族がエーヤワディー川周辺に移動しはじめ、中国では南詔と呼ばれていたが、中国の文献によれば西暦832年南詔が驃国を攻略し、ビュー族は急速に勢力が衰え歴史から消えてゆく。しかしビュー族の文化であった宗教、文字、習慣はビルマ族に継承され、ビルマ族が農耕民族に転化してエーヤワディー川周辺に定着し、その勢力を拡大した。
バガン王朝時代
850年ビルマ族がバガンに築城しピンビヤ王が即位しバガン王朝が始まる。しかしやや伝説的で、11世紀になって42代目アノーヤター王から歴史的に認められるようになる。1057年アノーヤター王がモン族の都タトオンを征服して初の統一国家バガン王朝を作ると共に、多数のモン族の僧侶をバガンに連れ帰り、それまでバガンの主流だった大乗仏教や密教から転換し、上座部仏教を国の宗教とし、モン族の僧侶達にその教育に当たらせ、現在まで続くミャンマーの宗教文化の基礎が作られた。
やがてバガン王朝は全盛期を迎え、その領域はタイ北部にまで及び、カンボジャのアンコール王朝と共に現在のタイを二分し、今もバガン遺跡には二千を超えるパゴダや寺院が残されている。
蒙古に敗れ戦国時代
蒙古軍(元軍)の隷属を拒否したため、1277年より1287年までの10年間に4度の攻撃を受け、最終的にはバガン王朝の存続を条件に元に隷属する。しかし王朝としての実態は失われ、上ビルマは1364年シャン族によるインワ王国が興り、下ビルマは14世紀にモン族が進出し、後にバゴー王国をつくり、バガン王朝は終焉する。かくして16世紀初頭までシャン族、モン族を中心にその他小国が群立し、戦国時代となる。
タウングー王朝時代
1550年ビルマ族が再登場してタウングー王朝を起こし、バゴーを首都としてモン族、シャン族を征服して再びビルマを統一する。1559年にはタイのアユタヤ王朝も隷属させ、版図最大となる。1635年にマンダレーの近くのインワに遷都し、ビルマ族のタウングー王朝はニャゥンヤン王朝に継続されるが、1752年モン族により滅亡する。
ビルマ最後の王朝コウバウン朝
1755年ビルマ族はアラウンバヤー王のもとにモン族に反旗を翻し、1757年モン族の首都バゴーを陥落させ、ビルマを再統一してコウバウン王朝が成立した。1767年にはタイのアユタヤ王朝を再征服する。しかし既にインドを植民地とするイギリスに狙われ、1826年と1852年の2回に亘る英緬戦争でビルマは国土の半分を失い、1858年〜1861年新首都マンダレーを建設して遷都するが、1885年の第三次英緬戦争で王朝は滅亡し、ビルマ全土がイギリスの植民地となってしまった。
イギリスの植民地時代
1886年イギリスはビルマとインドを併せて植民地支配を行ったが、1920年代にはビルマ民族主義運動が台頭し、1937年にはインドより分離される。そこへ1941年大東亜戦争が勃発し、日本軍はアウン・サンやネ・ウィン等に独立義勇軍を結成させ、この義勇軍を援助する形で日本軍がビルマに上陸し、新しい支配者となった。1942年には日本軍は独立義勇軍の解体を命令し、泰緬鉄道の建設を強行したが、1944年には各地で抗日運動が始まったが、日本の敗戦と共に再びイギリス領となった。しかし時代の流れにイギリスも抵抗できず、1948年、ビルマ連邦共和国として独立が実現する。
ビルマ連邦共和国
ウー・ヌ宰相となるが、1949年カレン族反乱、1956年第2回総選挙で野党進出政界抗争が始まり、1959年カレン族がビルマ共産党と結び内戦拡大し、1962年ネ・ウィン将軍率いる軍事クーデターで革命評議会が結成され、社会主義化が始まる。
ビルマ連邦社会主義共和国
1972年新憲法を採択し、民政移管をし、ビルマ連邦社会主義共和国となり、ネ・ウィン大統領となる。しかし経済がうまくいかず、1987年には高額紙幣の効力停止措置を講じ、怒った学生の暴動が発生し、国連の後発開発途上国の認定を受ける。1988年には学生による反政府デモが頻発し、アウン・サン・スーチー女史を書記長とする国民民主連盟がスタートし、ビルマの社会主義計画は挫折、また一党支配による政治も終結するが、国軍が全権を掌握する。
ミャンマー連邦
1989年軍政により、国名をビルマからミャンマーへ、首都ラングーンをヤンゴンと改名する。1990年総選挙を実施し、野党の国民民主連盟が8割を占めて圧勝し、与党の国民統一党は全485議席のうちわずか10議席に止まった。依然として軍政が続いているが、1997年ASEANに加盟が認められ、ある程度の民主化を余儀なくされ、強硬派軍幹部を更迭し、国家法律秩序回復評議会を国家平和発展評議会に改組したりしている。2002年11月国連のラザリ事務総長特使が9回目の訪問でタン・シュエ議長との対談が実現し、民主化勢力との対話開始を交渉し現在に至っている。勿論反政府運動が続いている。
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