ワシントン会議
第一次世界大戦後、戦後の混乱も一段落すると、各国間に国際協調の動きが強まり、1921〜22年には米国の提案でワシントン会議が開かれ、米・英・日・仏・伊の5ヶ国の間で海軍軍備制限に関するワシントン条約が成立した。又同会議では中国の主権尊重・領土保全を約した九ヶ国条約が、日・中・英・米・仏・伊・ベルギー・オランダ・ポルトガルの間で成立し、ヴェルサイユ条約によって日本がドイツから受け継いだ山東省の利権は中国に返還された。又太平洋諸島の現状維持を約した四ヶ国条約が米・英・仏・日の間で結ばれ、日英同盟は破棄された。
その後の極東情勢
当時の中国は、袁世凱、孫文、蒋介石、張作霖など各地方で勢力争いを続けており、交渉権限のある責任政権はめまぐるしく変化したが、一方民衆をけしかけた条約無視の排外活動も旺盛であった。これに対して自国だけが中国の排外運動の標的にされないよう身勝手な行動を取り、各国の対応に一貫性がなく場当たり的になってきた。国際条約を遵守しない中国自身の背信行為も数多く指摘されているが、一方では、列強の気ままなエゴイズムに振り回されたことになる。そしてワシントン体制をつくり、これを維持することに主要な役割を課されたはずの日・米・英三大強国の足並みが揃わなくなったことが、極東における平和のシステムを崩壊させて行くモメントであったと考えられる。
ジョン・アントワープ・マクマリー
1881年に生まれ、1960年に没したアメリカの外交官で、ワシントン会議に参加し、中国公使などつとめ、極東の専門家といわれていたが、彼はワシントン会議における諸条約を無視した中国の政策と、それに迎合して親中・反日的態度をとったアメリカの政策が、1920年代後半にワシントン体制の精神を堀崩してしまい、それが日本の武力行使を招いたとしている。1935年に書いたメモランダムで戦争が近付いていると警告し、アメリカのとるべき政策を論じたのが末尾の参考文献である。実は彼は冷静に極東の実態を観察していたが、本国に受け入れられず、退官してしまったものである。
貴重な教訓
マクマリーは別に反中・親日だったわけではなく、冷静に中国の実態と極東における日本の立場を理解し、あくまでワシントン会議の精神で国際協調をはかることが平和の維持にとって重要と考えていた。所がアメリカの本国はアジアへの出遅れもあり、中国市場に過大な期待をもち、宣教師の活動もあり、情緒的に親中国的でありすぎた。そのため日本の国際協調路線派(幣原外相)を苦境に陥れ、日英同盟の破棄と相まって、田中義一首相兼外相の軍事優先思想に追い込んでしまったとも思われる。又事実満州事変に続き、日支事変から大東亜戦争という形で日米戦争となり、日本の敗戦で平和が訪れたかといえば、明らかにノーで、朝鮮戦争をはじめ、極東は未だに安定しておらず、米軍も日本や韓国に依然として駐留している状態である。それもマクマリーの予言どおりである。
問題はこのような先見性のある立派な外交官がいたにもかかわらず、アメリカはその主張を排除し、自ら作ったワシントン体制を崩壊させて無益な戦争をしてしまったわけであるが、はっきりいってこれは極東情勢に対する米本国の誤解が原因である。またそれだけ国際情勢とは正確な理解が難しいものであり、このような異文化の地域に対する理解にはやはり専門家の見識を尊重することと正確な相互理解の努力が大切である。
参考文献
平和はいかに失われたか・・・大戦前の米中日関係もう一つの選択肢
ジョン・アントワープ・マクマリー(原著) アーサー・ウォルドロン(編著)
北岡伸一(監訳) 衣川 宏(訳) 原書房 97年7月28日第一刷発行 2800円+税--------------------------------------------------
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