歴史道楽

 
 

82    14世紀に日本の社会は大きく変わった
更新日時:
2004/10/28 
 
 現在の大学生に「苗代」「五徳」「レプラ」などの言葉は全然通じない。これは日本の社会と自然とのかかわり方がいろいろな意味で現在大変大きく変化しつつあり、現在が転換期であることを示していると思われる。同様に日本の歴史を遡ると、14世紀の南北朝時代が大きな転換期で、15世紀の室町時代以降の社会のあり方は現在の高齢世代の常識である程度理解が可能であるが、13世紀鎌倉時代以前の問題になると、我々の常識では及びもつかない、かなり異質な世界があるようで、14世紀の転換期が具体的にどのような形で現れたかを調べてみた。 
 
 まず日本列島の主要部に、村と町といえる明確な実体を持つ集落が安定的に成立するのは大体15世紀位からといえる。又文字も漢字、平仮名、片仮名の3種類あるが、仮名交じりの文書が出てくるのは10世紀頃からであるが、15世紀になると仮名まじりの文書の比率が急増し、50%から60〜70%に達することが明らかになった。又平仮名は女性に用いられ始め、女流文学が「枕草子」「源氏物語」以来14世紀まで続いたが、15世紀以降は見かけなくなった。
 
 又12世紀後半から13世紀にかけて、支那大陸の宋から銭が流入し、13世紀の後半から14世紀にかけて、日本の社会に、金属貨幣が本格的に流通し始める。ただ当時の日本では銅が大量に採掘・生産されており、鋳造技術もあったにも拘わらず、流通した銭が基本的に宋銭、元銭、明銭だったのは問題である。意外なのは中世では商人、金融業者はいずれも神仏、天皇の直属民であった。又鎌倉新仏教がこの面に進出して僧侶が活躍したが、15世紀になると世俗化し、商人や手工業者たちは守護大名など世俗的権力に特権の保証を求めていくようになる。江戸時代は「士農工商」で手工業者、商人や金融業者の社会的地位は低下し、両替商などは社会的に賤視されるようになった。
 
 14世紀以前には「穢れ」にはある種の畏怖を伴っていたが、14世紀に社会が文明化してくると、「穢れ」に対する畏怖感は後ろに退き、むしろ「汚穢」、きたなく、よごれたもの、忌避すべきものとする、現在の常識的な穢れに近い感覚に変わってくる。ただ国内でも東西で感覚的にはかなりの違いも存在する。被差別部落も縄文系は少なく、弥生系に多い。従ってアイヌや沖縄には被差別部落はなかった。
 
 戦国時代から江戸時代までの社会では、家父長制が確立しており、女性は無権利できびしく抑圧されていたと考えられていたが、実態はかなり異なり、之までの常識的な見方とは随分違っている。更に遡って14世紀以前の女性たちは江戸時代よりはるかに広い社会的な活動をしていたことが史料で分かる。女性が御家人になったり、荘園の管理をしたり、職能集団で活躍したり、商人として活躍したりした。
 
 日本国という国号と天皇は、7世紀末の浄御原令によって生まれたが、唐の律令制を取り入れながら、天命思想と易姓革命思想は注意深く排除している。「天皇職」は13世紀後半から14世紀にかけて、事実上幕府の意志できまるようになってきて、天皇制は非常な危機にさしかかった。更に天皇家も分裂し大覚寺統、持明院統が対立し、南北朝に分裂した。しかし足利義満のあと義持が、信長のあと秀吉が、天皇と合体して律令国家以来の日本国を継承する路線をとった。
 
 日本の社会は今、14世紀の転換以来の大転換時期にさしかかっている。正しい歴史認識の下に、将来に向かって何をなすべきかを問われている。
 
参考文献:「日本の歴史をよみなおす」網野善彦著 筑摩書房 91-2-25A 1100円
 


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