歴史道楽

 
 

83    日本の歴史の印象と実際の乖離
更新日時:
2004/10/28 
 
 歴史とは面白いもので、昔学校で習った歴史は勿論そのままでは現在は通用しない。時間と共にどんどん変わってくる。それは歴史が科学ではなく、歴史家が作った物語だからであり、歴史家が変わると当然物語が変わってくるわけである。
 
 現在日本では百姓というと農民を指し、水呑というと貧乏な農民と思ってしまうが、之が事実とは全然違うようである。だいたい百姓とは中国でも韓国でも同じであるが一般の人を指し、租税は水田に賦課されたので、水田の少ない人、例えば廻船問屋などは水呑百姓と言われたそうである。だから水呑百姓に対する我々のイメージは事実とは全然違い、これは誤った歴史家の説が今まで多かったことを意味している。
 
 日本国が出来たのは7世紀末であり、それ以前は倭国であった。しかしいずれにせよ日本は島国であるという印象が強く、国内だけ見ている島国根性が問題だと思っていたが、結構昔から海上交通は盛んで、朝鮮半島などとの交流も盛んであった。又遣唐使なども廃止したが、民間の交流が結構あって不自由はなかったようである。
 
 確かに唐から一部導入した大宝律令など、儒教的農本主義ではあったが、実際には農民ばかりでなく、いろいろな職業が存在していた。特に海の交通や金融に関してはかなり発達しており、廻船問屋が全国を結び、律宗や禅宗の僧侶たちの中には、荘園を経営したり、冒険的な貿易資本家として活動するような僧侶もいたという。
 
 このように考えると明治維新やそれ以後の近代化の問題も全然違った見方ができる。明治維新を推進した薩摩、長州、土佐、肥前の諸藩は、辺境の遅れた所ではなく、みな海を通じて貿易をやっていた藩であり、江戸時代末までに日本社会に蓄積されてきた商工業・金融業などの力量、資本主義的な社会の成長度は決して過小評価できない。
 
 例えば現在使われている商業関係の用語は、みな中世以来の歴史的な語彙を用いている。「相場」は中世から使われている言葉で、「場」は「庭」で、「市庭」で出会って値段を決めることから始まった。又小切手の「切手」や「切符」は平安時代からあり、「手形」も「仕切」も同様である。
 
 このように日本社会の古くからの言葉が今でも商業用語として使われており、欧米経済と接触してもこの分野で翻訳語を用いる必要がなかったのである。商業だけでなく、工業でも調べればあるかも知れないが、明治以後の国家の政策や学問の中には、日本の社会の実力を過小評価して、欧米の方ばかりを向いてきたきらいがある。
 
 これからの国際化時代には、日本の社会について正確な理解と認識を持つことが必要である。百姓=農民ではないということをしっかり頭に入れ、絶えず新しい歴史に耳を傾けて、常に正しい歴史を追求してゆことが極めて重要であると思われる。
 
 
 
参考文献:「続・日本の歴史をよみなおす」網野善彦著 筑摩書房 96-1-20 1100円
 


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