歴史道楽

 
 

84    歴史が遺してくれた日本人の誇り
更新日時:
2004/10/28 
 
 谷沢永一が書き、青春出版社から2002年6月10日に出版された表題の著書がある。歴史からその本質を捉え直し、日本人の誇るべき伝統を指摘しているので、その要点について以下に纏めてみる。。
 
(1) 権威と権力の使い分け
藤原鎌足の子不比等は貴族として官僚の上に立ち、権力を恣にしたが権威までは望まなかった。それが伝統的に武家時代にも守られ、徳川幕府の末期には大政奉還という智恵につながった。7世紀末日本国が出来て以来、天皇が権威の象徴として1300年以上も継続しているのは世界にも例がない。
 
(2) 日本人の「道理」
北条泰時が51ヶ条の御成敗式目を作ったが、道理を優先し、罰則は極めてゆるやかであった。この御成敗式目が明治まで続いたところに日本の一つの特徴が見られる。
この点からいえば、今の憲法には不要な条項が沢山ある。しかしこの道理を解しない外人が沢山入国するようになった現実も注意する必要がある。
 
(3) 宗教史に見る独創性 
世界のどの地域も元は多神教であった。そこえ一神教や仏教が伝来したが、日本は「神仏習合」してしまい、そこから鎌倉仏教が出現した。鎌倉仏教の特色は何をしなくても救われるということで、見方によっては蓮如が日本の宗教を壊してしまった。
 
(4) ルネッサンスのない日本文化
西欧のルネッサンスより600年も早く日本には仏像の傑作や和時計があった。又源氏物語以来文化的落ち込みがなかったのでルネッサンスもない。古文書も豊富に現存するが、見方によっては何時の時代も鷹揚な政府が日本の文化を守ってきたといえる。
 
(5) 富より価値ある武士道精神
官僚制は藤原不比等以来であるが、戦国時代を収拾した徳川時代、武士は食わねど高楊枝で、武士道のもと地域を治め、学問・文化に力を注ぎ、日本近代化の基礎を築いた。官僚と違って収賄は厳罰であった。
 
(6) 日本文化は物真似文化ではない
古来日本は漢字の導入と共に仮名を発明して日本語の表現を豊かにした。又隋・唐の制度を導入したが、その中で宦官、纏足、科挙は受け入れなかった。又伊藤仁斎は「大学」は孔子の遺言ではないと指摘し、中国もそれに従った。
 
(7) 時流に敏感
幕末の鳥羽・伏見の戦いで、兵力的に優位の井伊家、藤堂家の兵がさっさと戦闘をあきらめてしまった。これは時の流れに敏感だからで、ある意味では軽薄であるが、それが社会の進歩をスムーズにしている。
 
 今の日本には歴史という座標軸が必要である。長い目で見ると日本人は気概を失っている。最大の問題は官僚制にあり、日本を敗戦に追いやったのは官僚であり、戦争を口実に生まれたのが特殊法人であり、戦前には存在しなかった族議員が幅をきかせて、その政治家が官僚にせせら笑われている所に政治腐敗の原点がある。日本人が歴史を見直して真の気概を取り戻し、失われた歴史を取り戻すことが求められていると考える。
 


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