歴史道楽

 
 

87    「日本人と日本語の起源」に関する論争
更新日時:
2004/10/28 
 
 「日本人と日本語の起源」に関しては種々論争が行われているが、最近下記参考文献@Aを読み、既に発表されているB、Cと比較して問題点について検討したい。
 
 まず参考文献@は、アイヌ語こそ縄文日本語で日本語の起源であると主張しており、万葉集でも古い主要な枕詞はすべてアイヌ語であった。しかし弥生時代以後半島を経由して渡来語が流入したが、万葉時代まで政治文学はアイヌ語が主流であった。今でも浅草の神輿のかけ声である「ソイヤ」はアイヌ語であると轆輪真山氏は主張している。
 
 しかし従来から日本語、朝鮮語、アイヌ語の祖語は古極東アジア語であり、アイヌ語が日本語と分かれたのは6000年以上前、つまり縄文時代中期以前と思われる。従って日本語の祖語である縄文日本語とアイヌ語が近いのは当然で、だからといってアイヌ語が日本語の起源であるというのはいささか論理が飛躍していると思う。
 
 続いて安本美典氏は、かつて参考文献Bを発表しているが、その後自然人類学者埴原和郎氏の説Cが出るに及び、これに対する徹底的反論として参考文献Aを発表した。
 
 安本氏はBで日本に来た人々は、旧石器時代から弥生時代初期までに、北から南から六波に亘る流入がみられるとしており、第二波として約6000年前東日本に南方からきた人々がいたと見られる、としており、又縄文時代の長年月に亘り、庶民の間にインドネシア系の言語やクメール系の言語が広まっていたとしている。
 
 埴原氏はCで、独特の二重構造モデルを提唱し、縄文系は寒冷期適応前の原アジア人で、東南アジア(インドネシア、マレーシア、カンボジャ、ベトナム)から中国、韓国を経て来日し、琉球やアイヌもこれに属し、渡来系は寒冷期適応後の北東アジア人で、シベリアから中国、韓国を経てやってきた、全国平均では縄文系3:渡来系7と主張している。
 
 これに対して安本氏はAで、前説と少し意見が変わり、日本人の母体は環日本海人であり、北回りできたのが縄文時代人の大多数(アイヌを含む)で、南回りの人たちが長江下流域からの水田耕作や文化をとりいれ、弥生文化を成立させた。長江下流域からきた人達の数はそれ程多くはなかったが、「租税制度」という概念をもち、一時期政治的な力をもち、国づくりを行った可能性があるとしている。
 
 安本氏は遺伝学や計量言語学の成果などをとりあげ、埴原氏の南方系が縄文系で北方系が渡来系という説に反対を唱え、母体が環日本海人で北方系であり、長江下流域からきた人の数は多くないとしている。それ自体はあり得ることと思うが、寒冷期適応前後の関係が明示されていないことと、東南アジアから海を渡ってやってくる可能性について全然触れていない。又日本語の中にインドネシア語やクメール語の語彙が多いことは認めながら、どのようにしてそれらの言葉が日本に入ってきたかの説明がない。更にBでも触れているが、弥生時代に稲作と同時にビルマ系江南語が入ってきたと主張しているが、ビルマ族がビルマに入ったのは8世紀であり、紀元前のビルマの歴史は明らかでないのに、なぜビルマ系言語が存在したのか疑問である。
 
 現在国立科学博物館で約90名の各界の専門家を動員してプロジェクトを組み、埴原説の検証を行っている。やはり多面的な検討が必要と思われるので、その結果を待ちたい。
 
参考文献:
@「日本人と日本語の起源@」轆輪真山著、アダプト技術研究所、2000-6-6 3,000円
A「新説!日本人と日本語の起源」安本美典著、宝島社新書、2000-5-24、700円+税
B「最新 日本人と日本語の起源」安本美典著、毎日新聞社、1991-9-30、
C「日本人の成り立ち」埴原和郎著、学士会会報、1998-V No.820
 


| Prev | Index | Next |

| ホーム | プロフィール | コラム | 歴史道楽 | 異文化探訪記 | What's New | リンク集 | フォトギャラリー |
| 掲示板 | | | フォト・シチリア・マルタ | フォト・ミャンマー | フォト・英国 | フォト・アメリカ西海岸周遊 |


メールはこちらまで。