マレーシアの歴史
☆マラッカ王国:最初の王国の誕生
*7世紀半ばにスマトラにシュリビジャヤ王国が勃興し、14世紀に至るまでマレー半島からジャワ島西部をその勢力下に置いていた。
*14世紀末、スマトラの貴族パラメスワラがシンガポールを経てマラッカに定住し、やがてマラッカ王国を設立し、海のシルクロードとして交易で富を得るようになった。
*1405年から明の艦隊が度々マラッカを訪れ、マラッカ王国は明の朝貢国となって政治的に安定する。
*15世紀中盤、王国は5代目スルタンの時代に急速にイスラム化し、同時に東西を結ぶ海上貿易の中継地として発展し、少なくも84の外国語と4000人の外国商人が存在した。
☆西欧列強の侵略:ポルトガル、オランダ、イギリスの支配
*1511年 ポルトガルがマラッカを攻略、城塞を作ってマラッカ海峡を通過する船から関税や通行税を課した。
*マラッカ王朝はジョホールに追われ、ジョホール王国を作り、一時は隆盛を極めたが、スマトラ王国との戦争や王位継承問題の混乱で、
*18世紀に入り、パハン、リアウなどに分裂した。又この時期にはペラ、ケランタン、トレンガヌ、ケダ、セランゴールなどにマレー人王国が成立していた。
*1641年、マラッカはオランダの支配下に落ちた。
*1786年、イギリスの東インド会社がペナン島を占領して植民地とし、中国との交易の中継港とした。
*1795年、マラッカはイギリスに占領されたが、1816年オランダが取り戻した。
☆イギリスの民族分断統治:イギリスの支配から日本軍の占領へ
*イギリス人トーマス・スタンフォード・ラッフルズはイギリスの権益拡張のため拠点確保を主張し、
*1819年からジョホールのスルタンの後継者争いに乗じて条約を締結し、
*1824年には完全にシンガポールを手中に収めた。又同年スマトラ島の西岸の植民地と交換でマラッカを取り戻し、ペナン、マラッカ、シンガポールとマラッカ海峡の要衝はイギリスの支配下に落ちた。
*1896年、ペラ、セランゴール、ネグリ、センビラン、パハンのスルタン領を狡猾な手 段で膝下に収め、マレー連合州を成立、マレー半島は海峡植民地、マレー連合州、非連 合州を併せてイギリス領マラヤと称した。
*1941年12月8日、日本軍はマラヤ東北のコタ・バル近くの海岸やマレー半島に上陸した。真珠湾攻撃より数時間早かった。日本軍はイギリスの指揮下にある連合軍を撃破して南下し、わずか2ヶ月足らずでシンガポールを攻略し、マレー諸国をほぼ占領した。
☆マレーシアの独立:現在のマレーシアへの紆余曲折
*1945年 第2次世界大戦終結で再びイギリスの植民地支配が始まったが、日本軍がイギリス軍を撃退したことが引き金となり、マレー人に独立の機運がみなぎり、イギリスとの間で独立に向けての話し合いが行われた、
*1948年、イギリスはマレー人に特権を与える協定を結び、シンガポールを除くマレー半島全体をマラヤ連邦として独立に一歩近づけた。これに中国人やマラヤ共産党が反発しゲリラ戦を行ったが、次第に勢力を失い、また懐柔されていった。
*1955年の総選挙で、連合マレー国民組織、マラヤ中国人協会、マラヤ・インド人会議 が連盟党を組織して圧勝し、
*1957年8月31日、マラヤ連邦は遂に完全独立を果たす。
*シンガポールも1955年以来独立交渉し、1959年より段階的自治、1963年に独立した。
*1963年9月16日、マラヤ連邦初代首相ラーマン氏はシンガポール、サラワク、サバを含む(ブルネイを除く)マレーシア連邦を結成、しかし財政問題で激しく対立したシンガポールは1965年8月19日に分離独立した。
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