歴史道楽

 
 

91    満州事変から終戦まで
更新日時:
2004/12/20 
 
 元外交官の岡崎久彦氏は、明治維新から満州事変までの歴史を、「陸奥宗光とその時代」、「小村寿太郎とその時代」「幣原喜重郎とその時代」という3冊の本に書き、PHP研究所から出版した。そして本題の満州事変から終戦までの歴史を「重光・東郷とその時代」にまとめ、同じくPHP研究所から出版している。ここでは、その最後の図書を中心として論ずることとする。
 
 我が国の歴史書は、戦前は皇国史観、戦後は左翼偏向史観が多く、そのいずれにも組みしないで事実に忠実な歴史書は少ない。本書は歴史の真実を追究する立場を貫いているという意味で貴重な図書であり、多くの人に読まれることが望ましい。ここでは私にとっても目新しかった事を中心に歴史の見直しを行いたい。
 
 満州事変に関連して言えば、張作麟の爆殺に対してきちんと裁判を行い処刑すべきであった。又下克上的陸軍の無統制が日本の運命にとって最後まで響いた。ただ満州事変が収まり、日中関係改善のチャンスが訪れたが、これが最後の平和となった。
 
 二・二六事件に見られるように、昭和10年、11年に日本国内の潮流は大きく変わり、世論は右傾化してきた。又アジアも欧州も大きく変わり、戦雲が迫ってきた。そこえ中国側の挑発による廬溝橋事件が発生し、その後も度重なる中国側の挑発で、宣戦なき全面戦争に入り、南京占領に至ってしまった。外交手段による事態収拾の努力は懸命になされたが成功せず、南京事件が発生してしまった。
 
 南京事件は確かに実在したが、数は少なく、又それにより軍規を質したため、以後そのような事件は発生しなかった。又世論も政府の強硬態度を強く支持したので泥沼にはまってしまった。そこえ張鼓峰事件やノモンハン事件が発生し、日独伊三国同盟の締結などがあったが、米内光政などは最後まで拒否した。
 
 歴代外相の中では松岡洋右外交が独走し、日米交渉がまとまりかかったのを妨害し、まさに破滅的であった。又政党が国民の支持を得られず、大政翼賛会が発足した。スエーデン駐在大使館からはドイツの劣勢が報告されたが、これを無視したことが日本の運命に大きな影響を与えた。情報技術面で大いなる反省を要する。
 
 もしハルノートを公表して宣戦布告すれば、戦争の行方は分からなかった。特に硫黄島では米軍は多大な死傷者を出し、恐らく国内世論から戦争の継続は出来なかったであろう。その意味で真珠湾攻撃をはじめシンガポールの攻略等、戦術的には大成功であったが、戦略的には大失敗であった。特に緒戦の6ヶ月は日露戦争のときと同じ感激の波が全アジアに走り、栄光に酔った半年であった。
 
 又重光の献策を東条が採り入れて、戦争目的をアジアの植民地解放、アジアの独立と大東亜共栄圏の確立に向けて大東亜会議が開催され、アジア各国の独立運動に大いなる刺激を与えた。しかし若干首尾一貫しない面があり、アジア各国の独立運動に水を差した面もあった。
 
 大東亜戦争も末期は完全に制空権を支配され、都市の無差別爆撃からついに原子爆弾まで登場し、明治以来続いた栄光はうたかたのように消え去り、もうやめねばならないという段階に到達した。和平への努力も一縷の望みもなくなり、遂に終戦となった。政治が腐敗で信用を失い、軍の力が強くなったとはいえ、あまりにも日本の政治は無力であった。進駐軍に止めさせられたとはいえ、敗戦の教訓をもっと明確にすべきである。


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