大東亜戦争は3年8ヶ月であったが、終戦後マッカーサー以下の米軍が乗り込んできて日本を占領し、日本の主権が奪われていた期間が6年8ヶ月あった。この間の日本の事情をいろいろと書いたのが末尾の参考文献、即ちジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」で副題は「第二次大戦後の日本人」であり、上下2巻に収められている。本書はアメリカで多くの賞を獲得したという。
作者は1938年生まれのアメリカ人で、日本史を専門とする歴史学者で、奥さんは日本人である。しかし子供の頃第二次世界大戦を経験したせいか、日本はあちこちと侵略し、あちこちで残虐行為を働いた、という戦時中のアメリカの対敵プロパガンダに毒されている嫌いがあり、序文などいささか面白くない表現もみられる。しかし一方占領軍に対しては批判的な面もあり、もし合衆国内で提案されたら、あまりに過激だと思われたであろう「民主化」の改革目標が実行されながら、同時に厳格な権威主義的支配が行われたのは占領軍の自己矛盾であると指摘したりしている。
私自身、高等学校二年在学中、それも勤労動員中に敗戦となり、このためすぐ三年制に戻り、続いて大学の三年間、旧制のまま卒業し、昭和25年4月東芝に就職した。占領が終了したのは昭和27年4月28日であるが、食糧難、生活難の記憶はあるが、旧制教育で終わり、当時テレビはなく、新聞やラジオとも縁のない生活だったせいか、進駐軍のPRは殆ど耳に入らなかった。このため進駐軍の影響をなにがしか受けた新制教育の受講者とはいささか感覚に違いがあるように感じる。
本書にも多少書かれていはいるが、戦後しばらくの食糧難は深刻であった。大学では校庭の一部を開放して一人100坪の甘藷作りをさせてくれ、随分助かり、このため逆に闇市にはあまりお世話にならなかった。大学で音楽家を呼んで音楽会を開いたあと、謝礼としてお芋を提供して喜ばれたことなど、今では想像しがたいものがあった。
それよりも問題は、戦時中軍国主義的というと少し語弊があるが、忠君愛国的言辞で扇動していた連中が、環境の変化で一変してマルクス主義的言辞を弄するようになったものが多く、日本人の人種的信頼性を損なうこと誠に甚だしいものがあった。ここに今日でも日本人のもつ本質的問題というか、封建制以来の残渣を認めざるを得ない。
その他本書の中で初めて知ったことも幾つかあり、その中でも印象的なものを紹介する。
*連合国による日本占領は名前のつけ間違いで、アメリカ一国の占領であった。
*日本の経済復興には占領軍当局は一切責任を負わないと強調していた。
*日本政府は日本の降伏は無条件ではないと主張したが、占領軍は無条件降伏と断定した。
*終戦時軍需物資当時の金で約1000億円の行方が分からなくなった。
*1946年1月占領当局は特殊慰安設備の全面禁止を命じたが性病患者急増の為であった。
*パンパンと闇市とカストリ文化が敗北の文化であった。
*戦後初のベストセラー小川菊松「日米会話手帳」は1945年末までに350万部売れた。
*ラジオ放送は極めて重要な報道媒体なので、占領軍は民放の発展を意図的に妨害した。
*GHQにも国務省にも日本専門家がいないのが特徴であった。国務省は中国派が中心。
*吉田茂のジョーク、GHQはGo Home Quickly、さっさと国に帰れ。
*戦時中の労働奨励事務所はホテルのバーの女性従業員の提案で職業安定所となった。
*日教組の影響排除のため、GHQの役人は日本全国に足を運んだ。
*1948年夏、マッカーサーは労働政策を逆転させ、公務員のスト権を取り上げた。
*1949年のレッドパージ、占領軍内部ではトラブル・メーカー狩りと呼ばれていた。
*マッカーサーの軍事秘書官フェラーズ准将が心理戦の責任者で天皇を守った。
*フェラーズは太平洋の戦争は人種戦争で、白人も東洋人と平等にせよと主張した。
*重光の天皇擁護の進言で、マッカーサーは直ちに直接軍政の中止を部下に命令した。
*皇室招待の鴨猟は、忘れがたい思い出となって、アメリカ人を巧みに日本化していた。
*新憲法はGHQ民政局員が第一生命ビルの一週間の秘密会議で英語で書き上げたもの。
*それ以前に憲法研究会の提案がGHQ民政局の特別の関心を呼んでいた。
*多国籍の極東委員会が組織されようとしていたので、マッカーサーは憲法原案を急いだ。
*マッカーサーの非軍事化の指示に対し、ケーディスは自衛は必要と考えていた。
*ただし憲法草案が民政局から生み出されたことを認めるのはタブーであった。
*検閲により削除又は掲載発行禁止の対象となるものは30項目に上っていた。
*1945年12月、大東亜戦争の呼称が禁止され、自民族中心の太平洋戦争と呼称された。
*占領軍維持経費は国家予算の1/3にも達した事があるが、報道は禁止された。
*検閲は1947年以降次第に緩和され、1949年10月民間検閲部の解散で終了した事になっている。
*BC級戦犯で死刑は和236、英223、豪153、中149、米140、仏26、比17人、計920人
*ウィロビー少将は「東京裁判は史上最悪の偽善だ」と語っている。
*裁判にかける戦犯を選んだソープ准将も「A級裁判は基本的に復讐の営み」と看破した。
*東京裁判から公式記録は一切刊行されなかった。
*インドのパル判事は唯一人国際法に通じており、勝者の主張に潜む欺瞞の指摘に喜びを感じていた。
*1950年6月朝鮮戦争の勃発でアメリカは日本に今度は再軍備を強要した。オーミステーク
*1951年4月11日、トルーマンは不服従を理由にマッカーサーを解任した。
*公式には、1952年4月28日午後10時30分、日本の主権は回復された。
*この後の世論調査で、日本は独立国家になったかとの問いに対し、ハイは41%だった。
*直後の5月1日のメーデーは「血のメーデー」で分裂国家という意識を焼き付けた。
*天皇裕仁と最高司令官マッカーサーは占領期間中、両頭制君主のように君臨した。
*血統や文化に固執する日本人の精神状態は今日も注目しておく必要がある。
*「長い戦後」は1989年の天皇の死で真の終わりを迎えた。戦後は44年間続いた。
*占領軍はそれ自体官僚組織で、日本の官僚的権威主義を更に強力にした責任がある。
*日本は名目的な独立は獲得したが、従属的独立で、憲法9条を守ればあざけられ、放棄すれば激しい抗議を招く。
*作者も南京大虐殺を信じており、米国における中国人のPRの浸透を思わせる。
参考文献:ジョン・ダワー著 増補版「敗北を抱きしめて」上・下
訳:三浦陽一・高杉忠明・田代泰子 副題:第二次大戦後の日本人
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