歴史道楽

 
 

97    歴史との出会い
更新日時:
2005/04/05 
 
 戦前の少年時代の私にとって、歴史はそれ程興味の湧く学科ではなかった。しかし被占領時期の1950年に電気技術者として就職し、新製品の開発に関連して、先輩から昔の例を引いていろいろと文句を付けられたのに対して、そっと技術報告書等で歴史を調べ、その前はこうでしたね、と言うと大抵それ以上文句を言われることはなくなった。妙な話ではあったが、これが歴史の実用的効能を知ったきっかけであった。
 
 更に1954年に技術導入でスイスへ行き、当時はまだずっとホテルに泊まれるお金がなく、ようやく民家に下宿して、朝昼晩接した全くの異文化には、初体験ということもあり、かなりのショックを受けた。そこで何故そうなるのか歴史に興味を持ち始め、以後世界各地を廻りながら、日本にいるだけでは分からない歴史の探索に何とも言えぬ心の喜びを感じている。特に世界最古といわれるギリシャのヘロドトスの書いた「歴史」を読むと、昔のギリシャでは歴史は学問の対象とならず、物語であり、娯楽としか扱われなかったという。成る程、物語としてみると、歴史はびっくりするほど面白いものだと感じる。
 
 一方、人生の目的は「知ること」であり、「知るという旅」が人生である、という思想がイスラムにあるという話を聞いたことがあるが、歴史書を読み、世界各地の史跡を実地に歩いてみると、成る程と思うことが実に多い。と同時に、ソクラテスではないが「私は何も知らないことを知っている」という無知の自覚を迫られる。しかし無知を自覚して開き直ると、歴史は正にエンドレスに続く最高の娯楽である。特に図書館から歴史書を借りてきて読んでいれば、あらゆる趣味の中で最も経済的な道楽であるとも言えよう。
 
 ところで、歴史といっても過去のことばかりではない。現在の我々自身、正に歴史の渦中にいるわけである。そこで巨視的、歴史的に見た日本の国家の在り方に関する現状と将来の課題についても少し触れてみたい。
 
 過去に起因する現状の問題点としては、大東亜戦争敗戦後遺症の克服が挙げられる。
 大東亜戦争は1941年12月8日に始まり、1945年8月15日を通称終戦の日と言うが、同年9月2日戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印して正式の敗戦となった。やがて連合軍という名目で米軍が日本に進駐し、戦争期間の3年8ヶ月より倍近く長い6年8ヶ月間日本を占領し、日本が二度と立ち上がれないように徹底的に日本の伝統文化を破壊し、国際法違反をも顧みず、主権のない占領期間中に新憲法を制定し、勝者による敗者への復讐と言われる通称東京裁判を行い、30項目に及ぶ徹底的検閲政策で一切の批判を禁止し、更に自虐思想を植え付けるべく戦争犯罪宣伝計画の実施で日本人の洗脳をはかった。
 
 この結果、1952年4月28日午後10時30分、日本の主権は回復されたことになっているが、未だに日本国内では占領期間中から引きずっていることが多く、日本が真の独立国としての体をなしていないばかりか、何と主権回復の日を知らぬ国民も多い。太平洋戦争という呼称も米軍が勝手にきめて、大東亜戦争という呼称を禁止した経緯がある。主権回復当時、日本は経済復興に全力を挙げていた為、主権回復措置を明確にはとらなかったが、今からでも、占領軍の圧政措置はすべて一旦破棄して、日本国民によって世界的に見て正常な独立国家形態をとり、敗戦による後遺症を完全に拭い去る努力が必要であると感じている。これをやらないとカレル・ヴァン・ウォルフレンに日本は独立国にあるまじき昏睡状政治システムだ等と冷やかされてしまう。例えば未だに国内に反日活動家がのさばるなど、まともな独立国家として考えられない醜態ではなかろうか。
 
 も一つこれからの国の形の課題として、無駄の多い中央集権制から、地方の自立を前提とした地方主権制、すなわち道州制の実現の問題があると考える。
 世の中の変化の大きな流れとして、@人口減少・少子高齢化社会の到来、A住民の価値観の多様化、自立意識・自治意識の高まり、B社会・経済活動のグローバル化の進展、C国と地方の財政危機、等が挙げられる。これらに適確に対応してゆくには、住民に近い基礎的自治体を強化し、地域ごとにブロック化して道州として広域自治体とし、道州で経済的自立の基盤も作り、国は小さな政府として外交・防衛・通貨などの国としての基幹業務に集約する方向に、現在の中央集権制から180度方向転換する必要に迫られていると思う。
 
 もしこれを怠れば、働き手が減ったうえ、仕事が海外に逃げて食えなくなり、国や地方が財政破綻すると、倒産、失業、物価が急騰し、食糧やエネルギー資源が輸入できなくなり、最後には治安が悪化して生命の危険にさらされると予想される。一部の地域では経済的自立が困難との見方があるが、世界には人口300万〜700万程度で、周囲の強国から何の援助がなくても立派にやっている独立国は沢山ある。地方が自立できない等というのは甘えの構造ではなかろうか。古来ローマ帝国の例を見るまでもなく、国民のぶら下がりが国を滅ぼすのは数多の歴史の示す通りである。何が何でも地方の自立の達成の意欲と工夫と努力が、国民にとって明るい未来実現のキーポイントとなるのではなかろうか。


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