コラム


12    ドイツ北東部歴史物語15日間から帰って
更新日時:
2001/06/13 
5月22日に出発し、6月5日に帰国してから早くも一週間経過した。この間留守中の新聞やメールのチェック、パソコン通信のログのチェック、以前から約束していた会合に出席したり、病院に検査に行ったり、5月の会計と有限会社の期末処置をおこなったり、はじめてデジカメで大量に撮影した画像の加工やらCDRWへの転載にあたふたとして、ホームページはすっかりご無沙汰してしまった。
 特にデジカメは撮影は容易であり、あとから画像を加工できるのは便利だが、画像の収納とプリント依頼のためのCDへのコピーは、慣れれば何でもないのであろうが、あちこちとぶつかりながら悪戦苦闘してしまった。それでも仕上がったのが359枚で、まだPCの液晶画面でしかみていないが、プリントの仕上がりが楽しみである。
 今回の旅行は例の如くユーラシア旅行社のツアーで、24名の参加者があったが、80才が3名で、70才以上のものが多かったが、その割にはなかなかヘビーな行程であり、帰国後なかなか疲れが抜けずにいる。
 成田からアムステルダム乗り換えでハンブルグに入り、以後バスで約2200km、リューベック、ブレーメン、ツェレ、ハーメルン、ゲッティンケ゛ン、ハン・ミュンデン、カッセル、フルダ、バンベルグとエリカ街道、メルヒェン街道を南下し、古城街道に沿ってバイロイトを訪れ、再び戻って北上し、今度はゲーテ街道に沿ってアイゼナッハ、エアフルト、ワイマール、ライプチヒ、マイセン、ドレスデンと廻ってベルリンに入り、ポツダムを訪れてベルリンから又アムステルダム乗り換えで成田に戻ってきた。
 今までハンブルグ、リューベック、ベルリン、ボツダムは何回か訪れているが、その他の15都市は今回が初めての訪問で、どこえ行っても立派な市庁舎と大きな教会があり、印象が重複してしまう傾向があるが、写真と記録を頼りにようやく各都市の区別が明らかになってきた。
 詳細は近く旅行記(異文化探訪記)をのせる予定であるが、ここではごく雑駁な印象を述べるに止める。
 まず第一にドイツ滞在中、テレビに日本のニュースは殆ど流れなかったと思う。確かに帰国後新聞を見ても大事件はなかったが、やはり欧州から見ると日本は遠いということを改めて実感した。
 第二に日本は戦後半世紀を経過したが、ドイツは戦後東西分裂し、講和条約もなく、冷戦終結してようやく東西合併したがまだ10年余であり、西側には経済的負担感が残り、東側では未だに道路がガタガタだったり、一寸裏側では廃屋が野ざらしになったりしている。宗教税も支払い拒否が増えて、教会もあっぷあっぷしているという。
 第三に観光には相当力を入れており、街道ごとに物語があふれ、作家ではゲーテ、シラー、トーマス・マン、グリム兄弟、音楽家ではバッハ、メンデルスゾーン、ワグナー、画家ではクラナッハ、宗教家ではボニファティスやマルチン・ルターといった有名人の銅像やら記念館、博物館があちこちにあり、いささか食傷ぎみになる。反面ドイツの歴史は意外に若いことに気付く。ドイツ文明化の端緒となったフルダの宮殿にブラウン管のブラウン博士の小さな顕彰碑があったのは意外であった。
 第四には、ドイツの都市は一般にこじんまりしており、都市間はバスで行くが、市内は殆ど徒歩である。このため滞在中の13日間で156,100歩歩いたので1日平均12,000歩という計算になる。確かによく歩き、教会の塔や山城に登ったり、かなりの強行軍であった。
 詳細は後日の異文化探訪記に譲るとして、とりあえず無事帰国したことをご報告する。実は出発直前に耳下腺が腫れていると定期検診で内科医から注意され、耳鼻科で細胞診を行い、出発前日にはX線CTの撮影まで行い、結果は帰国後ということで少し心配したが、何事もなく過ぎた。帰国後の話では悪性腫瘍ではないので様子をみようということであった。
 
 
 


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