コラム


15    官から民へ、中央から地方へ
更新日時:
2001/07/16 
 参議院選挙に入って、各党の党首や幹事長がテレビの討論会で論戦を展開している。特に小泉首相の出現以来、その支持率の異常な高さと相まって、一般の人々の政治に対する関心が高まったことは大変結構なことである。しかし論戦自体は甚だレベルが低いと言わざるを得ない。
 
 小泉首相は、これからは自助、自律(自立の方がよいのでは?)を基本にして「官から民へ、中央から地方へ」というスローガンを称えられている。これは基本方針としてはまことに時宜に適した名言である。ところが野党は自民党はそうは言っても出来ないだろうとか、痛みを押しつけられてはかなわないというような事をいって、この流れに沿ってどのような事をすべきかについて勉強不足である。又与党もその具体化については言葉を濁している。今国民にとって最も関心があるのは国の再編成の具体論である。
 
 世界はどんどん変化している。日本はぼやぼやして公共事業に金をつければ景気がよくなる等と考えて10年経ってしまった。特にバブルの崩壊にかまけて、東西冷戦の終結、東側の崩壊、即ち社会主義体制の敗北による資本主義経済の勝利について鈍感すぎた。東西冷戦とは質の違うグローバルな世界的競争時代に入ったという認識がやや希薄である。つまり旧来の国単位の競争だけでなく、地域、企業、団体、個人の競争社会に入り、従来の中央集権では対応できない時代となったのである。
 
 官から民へ、中央から地方へ、ということは、小泉首相が96年6月に出版した「官僚王国解体論・・・日本の危機を救う法」にも記されているが、要するに官僚に頼っていては能率が悪いから、できるだけ中央政府は小さくして、規制を撤廃し、経済は民間主導で活性化し、行政面では地方自治を確立することを主張している。
 
 では国の体制は如何にすべきかが本来論議されるべきである。これに対して現在3つの提案が出されている。地方分権論、州府制、道州制である。いずれも現在3000以上ある市町村は、効率化と自治能力の面から1000から約300に集約すべきであるという点では共通している。
 
 地方分権論は若干の政党が称えているが、国をそのままにして都道府県を廃し、基礎的市町村と二段階にして行政の効率化を図ろうとするものである。しかし基礎的自治体は人工的に平均40万人以下であり、産業面での自立は一般には困難であり、そこに又国が関与してくれば、地方自治とは名ばかりの中央集権体制の変形に過ぎないであろう。
 
 州府制とは96年にPHP研究所の無税国家研究ブロジェクトが発表したもので、国の役割を4つに純化し、内閣を5庁制とし、地方を12州257府に再編し、国費を20兆円体制とし、歳出を30兆円削減し、税源体系を転換することにより、やがて所得税もいらない国家となし得るというもので、行政の主体は府にあり、広域行政は府の連合体としての州が担当し、国の基本部分のみ国で担当するという考え方である。
 
 道州制はもともと大前研一氏の主張で、その後大分の平松知事やPHP研究所なども賛同し、98年に「合州国家・日本」という共著も発表されている。考え方としては上の州府制とよく似ているが、行政の主体が基礎的自治体より地域としての道や州にあり、国は合州として連邦制を主張している。これによりむしろ地域国家として、それぞれの特色を生かして自立をはかるというものである。
 
 以上の3つの提案のうちどれが最も良いか、或いはもっと良い方法があるかが現在議論すべき課題である。中央集権制という開発途上国体制から脱皮して、先進国型の道州制が良いか、或いはもっと進んで州府制がよいかが論点であるが、当面は道州制の方が地域の経済的自立という観点から適しているのではないかと考える。
 
 しかしその為には憲法を初めとする大幅な法律改正が必要であり、中央省庁の全面的リストラ、国会を初めとする議員の削減、都道府県の廃止など革命的変化が必要である。日本には自治の歴史がないから駄目だなど、過去の日本から脱皮が必要な現状と矛盾した議論もあるが、少なくも各政党が今後どのような日本をつくるのかビジョンを明確にしていかないと、多くの国民の支持を得られないと覚悟する必要があろう。


| Prev | Index | Next |

| ホーム | プロフィール | コラム | 歴史道楽 | 異文化探訪記 | What's New | リンク集 | フォトギャラリー |
| 掲示板 | | | フォト・シチリア・マルタ | フォト・ミャンマー | フォト・英国 | フォト・アメリカ西海岸周遊 |


kazuotani@nifty.ne.jpメールはこちらまで。