小泉内閣は「聖域なき構造改革」を唱えているが、その理念は「官から民へ、中央から地方へ」であると思う。この考え方は極めて時宜に適しており、今や世界の殆どの先進国は、規制緩和して自由経済にメリットを見出し、住民自治を民主主義の柱として中央集権を廃して連邦制に移行している。つまりわが国も少し時期的に遅れたが、地方自治の本来の精神に立ち戻り、地方分権でなく地方主権とし、あわせて道州制とし、国家としては連邦制にシステムを改革するビジョンを明確にすべき好機が到来したと考える。
戦後すぐ発布された地方自治法は、市町村を基礎自治体とし、都道府県を広域自治体として市町村に対する監督権を原則として認めていない。国と都道府県の場合も同じである。しかし建前と矛盾した条文もあり、中央省庁→都道府県→市町村に上下関係が見られるのは制度的矛盾である。人事面からみても現在の都道府県は中央省庁の子会社化しており、自治体とは呼べない状態である。これは都道府県廃止を提言していた地方制度調査会が1963年の第9次答申で市町村優先の原則の影を薄めたことにより、以後地方は名実ともに国のもとに組み込まれてしまい、これが現在まで続いている為と言われる。
中央省庁−都道府県−市町村という系列は明治以来の統治形態であり、本来民主主義ではない全体主義のシステムである。国民主権の民主主義に変わった戦後に、趣旨は地方自治体優先と言っても、形式上変化がなかったため、無意識のうちに戦前の統治形態に戻ってしまったわけである。しかし1957年頃より地方自治体を主とするには、その広域連合組織として都道府県では狭すぎるので、全国を8〜10のブロックに分けた地方を設けるべきだとの提案が出始め、関西経済連合会、日本商工会議所、岡山県21世紀地方自治研究会、行革審等各方面から市町村地方政府を柱に、広域自治連合体として都道府県を廃して州政府を作り、州間、国際間のみ扱う連邦政府は大幅に身軽になるべきだという連邦制の提案が相次いでいる。
地方主権・連邦制の考え方の中には、PHP研究所の無税国家プロジェクトのように、毎年30兆円の歳出削減が可能で、将来所得税ゼロ化も夢ではないと試算している所もある。勿論地方主権にするには税制を改革して、現在取りすぎている国税を減らして地方税を増やす必要があるが、それにしてもこのような基本的に大事なことが一向に実現しないのは何故であろうか? 理由は簡単で、国民と政治家がだらしなくて、有権者総数からみたらごく一握りの反対者にこの国が支配されているからである。
地方主権・連邦制を実現するには次の3項目の実現が肝要である。
1.「受け皿論」からの訣別
主として中央省庁の役人の挙げる理由であるが、現在の地方自治体はだらしなくてとても受け皿になり得ないという議論がある。しかし準備ができたら分権するというのではなく、準備の如何に拘わらず自治権を認めるという考え方になるべきである。諸外国と比べて、経済的、財政的に自立できないというのはむしろ不自然で、甘え以外の何物でもない。経済的自立なくして自治も独立もないのは当然である。尚行政システムの進歩に対して、ドイツで行われているような全国的な自治行政研究所等は日本でも参考となろう。
2.「平等主義」からの脱却
全国一律に同水準でなければならないと言う発想は貧しい時代の発想であり、社会主義的発想である。これは地方主権実現の鍵でもあるが、世の中は既によそと同じ事を喜ぶ段階からよそと違うことを楽しむ段階に入った。民間企業がグローバル化の影響もあり、独自の価値を創造しなければこの世の存在価値がなくなってきたように、地域としては如何に独自性を発揮するかが自由世界に生きる上での必要条件であり、全国統一基準ではこれからの社会の変化に追随していけないことは明らかである。
3.「地方主権基本法」の制定
現行憲法改訂の必要はなく、第92条を受けた形で地方主権基本法を制定し、主権の担い手、地方自治体の種類、条例の優先、国の業務、州の業務、議会、住民の範囲と権利義務、等を明確化すればよい。勿論自主財源確保の為の税制改革は事前に必要である。
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