コラム


30    「国家」と「公」の多面的考察
更新日時:
2001/11/05 
 国家とか公と言っても簡単に説明できない。ここでは佐伯啓思氏の図説に基づいて文章で説明を試みる。
 
[1]国家とは関心・利益を共有する人々の集団で、種々の面の均衡体である。
 
 集団の周囲にはいろいろな側面がある。
 一つには市民的(法的・政治的)側面があり、これと反対方向にはエスニック・系譜的(慣行的、歴史・文化的)側面がある。市民的側面が強すぎるとコスモポリタン的になり、世界人、地球人となる。他方歴史・文化的側面が強すぎると問題の原理主義者となってしまう。従って適当な所でバランスをとる必要がある。同じ西欧でもフランスやアメリカは市民的要素が強く、イギリスなど立憲君主制の国では歴史・文化的側面が強い。日本は歴史・文化的側面が強かったのに、アメリカが強引に市民的側面を強調したため、混乱している。
 
 別の面では市場経済や小集団化とも直面している。市場経済のみが過度に追求されればついには国家の壁を突き抜けてグローバリズムへ至るであろうし、小集団の自立や独自性が過度に追求されれば国家は分裂してしまう。これらはいずれにせよ変則的な事態だと言わざるを得ない。
 
 いずれにせよ国家はこれらの均衡状態として成り立っている。そのような均衡を回復し、均衡を保とうとする自覚的な意識が本来の「国家意識」であり、本来の「ナショナリズム」である。又国家自体均衡を崩す力学と均衡を回復しようとする力学のせめぎ合いが行われており、未知の将来へ向けて造形してゆく共同の企てであり運動である。
 
[2] 人間活動の多様性の中で「公」が占める位置
 
 人間活動には、公と私、個と集団、という側面がある。又これと連動して人格中立的と人格依存的、個別的と共同的という側面がある。更に人格中立的(公的)で共同的(集団的)なものとして国家があり、人格中立的(公的)だが個別的(個的)なものとして市場がある。更に人格依存的(私的)、個別的(個的)なものとして親密圏があり、人格依存的(私的)、共同的(集団的)なものとして社会共同体がある。
 
 これらは二次元の図にしてみると分かり易いがここでは文章で説明を試みる。
 
 国家には公的な公民と集団的な国民がおり、市場には公的な経済人と個的な財産主がいる。親密圏には個的な生活人と私的な私人がおり、社会共同体には私的な私的個人がおり、集団的には組織人がいる。
 
 このように一人の人間も、社会のどの側面を想定するかによって立場が異なり、人格中立的な「公」の立場は、国家の中の公民であり、市場の中の経済人ということになる。公と私、個と集団の区別として心得ておくとよい。 
 
 


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