コラム


31    国家意識の喪失
更新日時:
2002/02/17 
 戦後の日本では国家意識を喪失し、国のために進んで戦う気概のある人が減り、生活上政府におぶさる人が増えた。その理由はどこにあるのであろうか?
 
[1]国家意識の喪失、四つの要因
 
 (1)大東亜戦争の反省が性急で皮相的、天皇制国家機構の追求分析に及
   んでいない。
 (2)敗戦と軍事占領下、戦犯裁判等から戦争と個人を無媒介に結び、中間
   の国家の存在を無視した。
 (3)米軍の占領政策は日本の非軍事化を目的とし、民主主義は教育した
   が、民主主義国家についての教育は皆無であった。
 (4)憲法第9条は近代の国家主権中最も生命的な部分の放棄を意味し、国
  家への忠誠義務の放棄を意味している。故に国家意識の喪失が生じ
  るのが当然である。
 
[2]日本の戦後の始まり
 
 (1)1945-08-15 を日本では終戦記念日としているが、
 (2)1945-09-02 が正式な降伏の日で、ミズーリ号で降伏文書調印式が行わ
   れた。
 (3)1951-09-08 対日講和条約及び日米安全保障条約が調印され、
 (4)1952-04-28 対日講和条約及び日米安保条約が正式に発効し、占領状態
   が終了し、6年8ヶ月ぶりに独立を回復した。又同日日華平和条約が調印
   された。
  45年から52年の6年8ヶ月間、占領下で報道管制が布かれ、日本の伝統を破壊してアメリカ式観念が押しつけられ、これに便乗した進歩的文化人が、情緒的、イデオロギー的、反国家主義を唱え、事実上国家の論議を麻痺させ、戦後の精神的ひずみの基となった。
 
[3]最大の課題は「魂の復興」→国家意識の再建である。
 
 具体的には一面的近代主義の見直し、対米従属の見直しである。戦後、民主主義、平和主義、個人の自由が盛んに論じられたが、背後にはそれぞれ、民主主義には国家、平和主義には力もしくは闘争する意志、個人の自由には集団の規律があり、これらは対立ではなく相互補完性を持っているが、殆ど顧みられなかった。
 又美徳・美意識を社会的課題としてその善悪を判断することを不可能とした。
 更に戦後、価値を社会と伝統に結びつけることを拒絶し、世論と自己利益だけを頼りに行動した。仏教、神道、儒教、武士道精神など歴史と文化を背負った日本に対して、歴史の浅いアメリカがそれらを自己都合で強制否定した所に無理があり、精神的ねじれを生じた。
 
[4]国家の二側面と国家の担い手
 
 国家には市民的(法的・政治的)側面と歴史的・文化的側面ずある。
 国家の担い手として、市民的には中核的集団でも周辺集団でもあまり差はないが、歴史的・文化的には中核的集団の役割は重要になる。
 尚国家と政府とは概念のレベルが異なり、国家への忠節が反政府ということもあり得る。
 
[5]国益とは何か?・・・利益と正義の結合である。
 
(1)国民生活のゆたかさの追求や安定の確保(物質的側面)
(2)比較的長期に亘る理念や文化的価値の実現(精神的側面)
 国際関係とは国益を巡る諸国家の力の対立の場で、他国への配慮も国益追求の一環としてあり得る。
 それに対して、国際ルールや国際機関の制約の下で相互に国益を追求するのが国際秩序である。
 
 参考文献:佐伯啓思著「国家についての考察」飛鳥新社01-08-13刊
 
 
 
 


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