[1]極端に低い日本の愛国心
電通総研と余暇開発センターによる95年の調査によれば、進んで国の為に戦うか?という質問にイエスと答えたのは日本では僅か17%、韓国80%、中国90%と大差があり、アメリカ等の西欧諸国では約70%、一番低いドイツでも43%であった。反面、国民の暮らしに国が責任を持つべきか?に対し、日本はなんと70%が賛成、アメリカは27%であった。日本人の国家意識の喪失、そのくせぶら下がり根性が如実に現れている。
[2]改革論の矛盾・・・国家と政府の混同
「ボーダレス時代に国家権力は市場の自由に反する」といった類の議論は無意味である。「経済の相互浸透が著しく進展する時代に、国家の理想や国益の観点からすれば、政府の権力と市場の自由の関係はいかにあるべきか」が正しい問題の立て方である。又国民国家の終焉という言い方も国家の機能の面から誤解を招く表現である。
[3]国益の昇華現象
戦後憲法と日米安保条約との矛盾をそのまま封印している保守・現実主義の結果、日本の国益は常にアメリカの国益の従属変数となり、国家の要である国防と外交を事実上アメリカに従属させ、国益自体は我々の思考回路の中から消し去られてしまった。
一方、革新はその日米関係を前提として、戦後民主主義と平和主義という理念に国家意識を限定してしまったため、やはり国益という概念はどこかに消えてしまった。
[4]言説の二重性・・・建前と本音
官僚主導から規制緩和を中心とする経済構造改革は今や公式の思考になっているが、一般庶民を代表する地方の小企業主や自営業者、サラリーマンは、決して改革論に賛意を示しているわけではない。97年の電通総研のアンケート調査でも、実際に規制緩和を支持している者の割合は20%に過ぎなかった。日本病の実態に注意を要する。
[5]東京大学・朝日新聞・岩波書店
ポーズとして大衆の側にいるはずの啓蒙的知識層が、実際には大衆から遊離し、他方反体制、反国家主義を標榜する彼等が実際には体制的であるという歪みがある。
[6]ヘレン・ミアーズ著アメリカの鏡・日本
上記図書は東京裁判の終わった1948年に書かれたが、GHQに禁止されて敗戦後50年経って訳された。趣旨はアメリカの占領政策は決して普遍的な近代理念による日本の近代化などではなく、実際にはただ西欧的とりわけアメリカ的理念の押しつけであり、日本の伝統的価値や文明の破壊であるというものであった。
[7]日本の戦後は占領期間中に作られた
占領下ではアメリカの検閲が隠然と行われており、終戦で言論が自由になったと考えるのは間違いである。丸山真男の議論の骨格は基本的に占領軍の対日占領政策の思想と全く符合している。戦後の疚しさは「父」殺しをして「父」を排除した点にある。
[8]共同防衛体としての国家
身体や財産の外部からの脅威に対する共同防衛体としての国家という面から言えば、全ての人は必要とあれば祖国のために戦わなければならないということになる。
[9]議会制民主主義でありながら立憲君主制をとる意義
国家としての継続性と統治の継続性こそが国家の正統性の基礎だからに他ならない。
[10]国家の体系
高坂正堯は国家を「力の体系」「利益の体系」「価値の体系」の複合体と定義したが、佐伯啓思はこれに「規則の体系」を付け加えた。確かにルールは国家にとって大事である。
[11]国家が解体すれば何が出現するか?
多様なカルト的小集団、民族主義、宗教的セクト、曖昧な連帯の運動、宙に浮いた世界市民主義、グローバルな企業といったものの無秩序で混沌とした世界に過ぎない。
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