コラム


40    建国記念の日に想う
更新日時:
2002/02/17 
 最近は祝日が多く、名前も変わってしまって年寄りにはよく分からなくなってきた。今日(2月11日)は建国記念の日と言うのだそうだが、昔は紀元節と言い、紀元節の歌があった。たまたま私の父も家内の父も誕生日が紀元節であった。ところが占領軍に直接禁止されたか、或いは日本側で遠慮したかよく知らないが、いずれにせよ名前を変えてしまった。
 
 神話時代に遡るほど日本の歴史は古く、はっきりと天皇を呼称してからでも、1300年を超え、世界的には大変珍しい歴史である。ところが前世紀半ばの戦争に負け、1945年8月15日は終戦記念日として知っている人は多いと思うが、それ以後日本は被占領状態に入り、この間に占領軍に日本が二度と立ち上がれないようにと、極東軍事裁判、憲法改正、教育制度変更、財閥解体、公職追放、情報検閲など徹底的に傷めつけられた。そして1951年9月8日に漸く非全面的講和条約が結ばれ、1952年4月28日に対日講和条約と日米安全保障条約が発効し、占領状態が終了して日本は再び名目上は独立を回復した。
 
 戦後として本来日本にとって大切なのは降伏の日ではなく、独立を回復した日であるが、この日を正確に記憶している人がどの位いるであろうか? ちなみに今年のカレンダーを見ると、4月の28日は日曜日で、翌29日がみどりの日という意味のよく分からない祝日になっている。元々4月の29日は昭和天皇の誕生日で、敗戦前は天長節と称していた。これも多分紀元節同様名前を変えたのであろう。
 
 問題は4月28日の独立記念日である。極端にいえば、終戦記念日があって独立記念日がないということは、精神的には占領状態が続いているということであり、呪うべき占領状態の清算が済んでいないということである。第一占領軍に禁止されたからといって、独立後も大東亜戦争という呼称を米国式の太平洋戦争と未だに言っている新聞や教科書があるが、英国では極東戦争と言っており、太平洋戦争は日本にとって実態を表していない。
 
 昨年「新しい歴史教科書」が出て騒がれたついでに、従来の他の教科書を調べてみたら、全部恐ろしく左翼偏向しており、非愛国的、反日的色彩がどぎついのに驚いた。これは「歴史教科書の歴史」によると、昭和53年度以降の第3期に入って、戦前の日本の国家・社会に対して否定的な叙述を行うように変化したものだそうである。中国へ行けば、名所には必ず「愛国主義的教育基地」があり、韓国では今まで猛烈な愛国主義的国史教育を行っているのに、なぜ日本だけ過去を全否定し、自国の歴史に誇りを失っているのであろうか?
 
 最近ようやく気がついたのは、占領期間中のGHQの検閲基準で、どうやらこれが未だにマスコミを支配し、進歩的文化人と称する非国民を生み出しているようである。具体的にGHQが禁止したのは、大別して@占領軍の批判、A連合国及び朝鮮人の批判、B連合国戦前の政策の批判、C日本や大東亜共栄圏の宣伝、D戦争犯罪人の擁護などで、極東軍事裁判史観で歴史を規定し、国際法違反の憲法の押しつけを強制したものである。
 
 占領中に朝鮮戦争が勃発し、米軍はあわてて日本に再軍備させるため、憲法の制約から警察予備隊を作らせ、朝鮮戦争で首になったかつての連合国最高司令官マッカーサー元帥は、「大東亜戦争は日本の自衛戦争であった」と米国の上院で証言するに至った。つまり占領期間中は、明らかに国家主権の全面否定、国家意識の削除を強制したので、その思想が反日原理主義の温床、自虐思想の根源と見られ、マスコミ、教育界、学界、一部の政党、教員組合などの労組に今尚生き残っているものと思われる。
 
 日本ではこのような考え方を右翼反動と切り捨てる習慣があるが、むしろ占領期間中の抑圧思想の大掃除が必要であり、その為にも4月28日(今年で満50年)を独立記念日に制定して、亡国反日原理主義思想とおさらばする必要があると信ずる次第である。
 
 
 


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