第10日目 5月31日(水) エアフルト→ワイマール→ライプツィヒ
[エアフルト]
6:30起床、朝食、8:00荷物、9:00ホテルより市内観光に出発する。ガイドはアーさん。本日は自転車競技ドイッチュランド・ツアー開催のため、バスは市内通行禁止となり、すべて徒歩で見学することになる。結局昨日行った大聖堂広場へ行くわけだが、あちこちと寄り道しながら観光した。尚ホテルで換金したら1万円が174.54DMであった。
(カウフマン教会とルター像)
ホテルから少し南に出るとカウフマン(商人)教会がある。バッハの両親は1668年ここで結婚したそうである。そのそばにルターの銅像が立っている。ルターは先のアイゼナッハのラテン語学校を卒業してから、ここエアフルトの大学に入り、その後アウグスト修道院で宗教生活を始めたという。
(クレーマー橋)
西北方へ少し歩くとクレーマー橋手前の小広場に出る。橋の出口に当たる聖アェギディウス教会は、スラブ地方と神聖ローマ帝国を結ぶ東西交易路に当たる。クレーマー橋はゲラ川を渡る隣接平行した二本の橋の一つで125mあるが、両側に32軒の家が並んでいて、うっかりすると橋であることが分からないほどである。11世紀に木の橋として作られ、その後石の橋に作り替えられたものである。中世の頃は石橋の上の両脇に62軒もの商店がぎっちりと並んでいたそうである。橋の中程には伝統的な玩具や民芸品を展示した郷土博物館がある。橋を渡って南の川岸に出てみると、小さなゲラ川の上に3階建ての家が長屋のように連なっている。又川からはみ出した北側の建物は貧乏学生の安下宿だった由。
(大青商人の家)
橋から少し北側に迂回すると大青商人の家がある。ルネッサンス様式の玄関で、ビールホールという孔があり、ビールが醸造されると麦藁を差してお客に知らせたという。大青とは染め物の藍のようなもので、染め物工房は現在はギャラリーになっている。
(大学本部と金の星館)
大学本部はこの前の大戦で破壊され、未だ再建中であった。表面の煉瓦がはがれ、窓ガラスが壊れて板張りになっていた。旧東独なので州都とはいえどうやらまだ金が廻らないらしい。近くに入り口の上に金の星を掲げた家があったが、金の星館は免罪符の印刷で儲けたという話であった。
(ワーゲン・ガッセ)
少し西へ移動すると、荷馬車用S字形路地の街がある。荷車通りと言って昔の荷馬車を引いて便利に暮らした時代の面影を残している。
(フィッシュマルクト広場)
街のセンターの広場で、西には金色のローラント像(庶民の自治意識の象徴)が立っている。その奥にハウス・ツーム・ローテンオクセンという赤い雄牛亭があり、神話人物像の装飾があるが、現在はギャラリーとなっている。市庁舎は1875年と比較的新しいがネオゴシック様式で威厳のある建物である。その傍らに浮き彫りで飾り、赤っぽい色をした正面のギルドハウスがあり、それに並んで。ツーム・ブライテン・ヘールト(広い釜戸邸)が1264年建設されており、五感の小壁−四角、聴覚、嗅覚、味覚、触覚がある。尚ギルドハウスの一部はレストランとなり、道路にテントと椅子・テーブルを張り出している。尚ブレーメン同様ここでもこの広場の中を市電が走っており、静かに音もなく近づいて、直ぐそばを走り抜けるので、気をつけないと危険である。
(結婚の家)
西に大聖堂広場へ行く途中、結婚の家という結婚登録所の前を通り、元大青の染物屋だった所に開いた人形劇場の前を通る。いずれもデザインに特徴のある建物であるが、中に入らずただ外を通っただけの建物の印象は薄い。可愛らしい動物の口から水が噴き出す噴水もあった。
(大聖堂広場)
大聖堂と聖セヴェリ教会の前の大広場であるが、たまたま開かれた自転車競技会の会場となっているらしく、大変賑やかであった。又仮設ステージで地元警察の音楽隊が演奏していたが、さすが音楽の国ドイツだけにレベルが高いように感じた。
(大聖堂)
エアフルトの街を見下ろすように丘の上に立つ巨大な教会で聖母マリア教会である。この場所に最初の教会が現れたのは8世紀と伝えられるが、現在の建物は1465年に完成した。広場から階段を上がり、向かって右側の花嫁の門には、左手に6人の賢い女の像が並び、右手に同じく6人の愚かな女の像が並んでいる。中に入ると天井にまでのびる洗礼盤、立派なロマネスク聖母子彫像、聖クリストフ大壁画、それに一面の細かい絵のステンドグラスといつまでたっても飽きない教会堂である。お隣の聖セヴェリ教会は3つの尖塔を聳やかすゴシック様式の教会で、1400年頃の完成である。しかし中に入ったら何故か直ぐ追い出されてしまい、充分鑑賞する暇がなかった。
これでエアフルトの観光を終わり、宿泊ホテルのラディソン・サスまで歩いて帰り、バスで出発、ゲーテ街道をワイマールへ向かう。
[ワイマール]
ゲーテ街道約45分、12:10ワイマールに着き、昼食をフェルゼンケラーでとる。ここはレストランの中にビールの醸造器がある。その割りに注文したビールがなかなか来ないのは、注いでから泡が少なくなってビールの実質が所定の容量に達するまで待っているからだと傍で見ていて分かった。昔は手で泡を除去していたが、、今はそんなことはしていない。衛生的かも知れないが時間がかかる。白身魚で昼食をとる。
ワイマールはかつてのドイツ文化の中心地で、文学のゲーテ、シラー、トーマスマン、哲学のヘーゲル、ニーチェ、音楽のベートーベン、リストなど我々が知っているだけでも大勢の文化人ゆかりの地であり、第一次大戦後の共和制ワイマール憲法もここで作られ、最近は欧州連合の文化都市に指定されたという。
昼食後バスでゲーテ広場までゆき、そこで下車して旧市街を歩いて観光する。幼いカール・アウグスト大公の教育係をしていたヴィーラントの像や国民劇場の前のゲーテとシラーの銅像を眺めながら、ゲーテの家に行く。
(ゲーテの家)
ゲーテは1775年26才でカール・アウグスト公に招かれてワイマールに来たが、1782年33才の時には帝国貴族となり内閣首班となった。この都市から1832年3月22日82才半で亡くなるまで約50年間この家で過ごした。厩、寝室などプライベートな部分、公国大臣としての公式部分、図書室、書斎、最後の部屋などが見られる。思ったより質素なものであった。
(市内徒歩観光)
ガイドのプーゲットさんが来て、小雨が降ったり止んだりの天気であったが、旧市街中心部を徒歩観光する。
ゲーテハウスを出て少し東へ行くと、ゲ−テ永遠の恋人であったシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人の家がある。随分近くに住んでいたものと感心する。近くに高い銀杏の木が1本立っている。少し北へ廻ると民主広場に出る。ここにはカール・アウグスト大公の騎馬像があり、東にアンナ・アマーリア図書館があり、旧議事堂のヨハン・シュトラウス音楽学校があり、その先に宮殿が見える。この先少し西北に進むとマルクト広場に出る。何かお祭りらしく広場はテントで一杯だった。市庁舎はややくすんでいたが、中央の時計塔の上にカリヨンが見えた。広場の反対側にはドイツの画家ルーカス・クラナッハの父最期の家であるクラナッハハウスや正面の木組みの華やかな家にツーリスト・インフォーメーションが入っていた。又脇にエレファントホテルがあり、ここのバルコニーに人形がおいてあるが、トーマス・マンの「ワイマールのシャルロッテ」の舞台となった所であり、又ヒトラーが演説したバルコニーでもある。
ここで20分間のフリータイムが与えられ、早速やや北にあるヘルダー教会(市教会)を覗いてくる。ここはクラナッハの三連祭壇画が置かれている。
続いて西から北に向かってつながっている5軒の名所を通る。まずシラーの家であるが、彼はこの家を購入し、1802年から1805年に亡くなるまで住んでいたという。続いてワイマールハウス、ヴィトムス未亡人宮殿と言ってアンナ・アマーリア大公妃が晩年住んで芸術家たちのサロンになった所、更に劇場広場で再びゲーテとシラーの像に対面し、ゲーテが監督しシラーの作品を上演した国民劇場(ここで1919年ワイマール憲法が発布された)があり、最期にバウハウス博物館というインダストリアルデザイン関係の博物館を眺めて観光を終了し、16:45ゲーテ広場よりバスに乗ってライプツィヒに向かう。ゲーテハウス以外は外から眺めただけであるが、一応ワイマール市内の名所を一通りかすめた事になろう。
[ライプツィヒ]
ワイマールよりアウトバーンで東北方向に約2時間半、途中トイレ休憩も入れて、19:10旧市街よりやや東にあるホテル・ドリントに到着。直ちにチェックインすると共に遅いので19:40よりホテルで夕食をとる。本日はポークグラーシュ。又本日の歩行数は12,500歩であった。
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