第11日目 6月1日(金) ライプツィヒ→マイセン→ドレスデン
[ライプツィヒ]
6:30起床、朝食、8:00荷物、9:00出発する。本日は肌寒い。ガイドはキャリーンさん。
この後で行くドレスデンが長年王侯の住むザクセン地方の権力の中心であったのに対して、ライプツィヒは通商の要衝として経済的な発展を遂げた富裕な市民の町であった。800年以上の歴史を持つ見本市の開かれる街としても有名で、1年中様々なテーマの市が市内各所で広げられている。経済的にも、政治的、文化的にも活力あふれる町である。
1989年旧東ドイツの平和革命に火をつけたのが、ライプツィヒ市民による月曜デモであったことは記憶に新しい。
(メンデルスゾーンの家)
ホテルからゴールドシュミット通りを西へ、旧市街リングの東南端外側にメンデルスゾーンの家がある。1845〜47年、彼の最晩年に住んだ所で、復元改修にあたり寄付した方の名前が記されている。メンデルスゾーンはバッハの音楽を甦らせたことで有名であるが、ユダヤ人ということで、第二次大戦中は冷遇されたらしい。現在はライプツィヒ大学の音楽学部になっていた。
(諸国民戦没者記念碑)
旧市街からみてはるか東南の郊外にライプツィヒの戦いの記念碑がある。1813年フランスのナポレオン軍が敗北し、プロイセン、ロシア、オーストリア連合軍が勝利した古戦場である。丁度100年経って1913年に建立されたが、汚れているのと逆光で写真はよく撮れない。櫓を組んで補修しているようであった。又何かイベントの準備をしていたが、ここに限らずドイツ人はかなりお祭り好きのようである。
(ドイツ国立図書館と聖アレクセイ・ロシア教会)
諸国民戦没者記念碑から旧市街に戻る途中、ドイツ国立図書館の前で下車する。ここではドイツ国内で出版する全ての図書を収蔵しているという。丁度道路に沿って西北方向に真白い塔の上の方が円錐形で細くなり、金色の装飾をした建物がひときわ目立って見える。これは聖アレクセイ・ロシア教会で、ロシア人戦没者の為に建立されたという。やはり当地は旧東ドイツである。
車窓から旧見本市会場、バイエルン駅、ドイツ最大でプロシァとザクセンが半々の中央駅、修復中の旧帝国最高裁判所、再建中のコンサートホールとメンデルスゾーン音楽院を周遊しながら旧市街の東南端にある旧カールマルクス広場、現アウグストゥス広場に到着下車する。
(ゲバントハウス)
広場では子供の日の催しを準備していたが、雨宿りとトイレ休憩でコンサートホールの新ゲバントハウスに一時待避する。総ガラス張りの近代的な建物であり、ゲバントハウス管弦楽団が拠点とする第三の演奏場で、1890席の大ホールと室内楽ホールがある。目の前にはメンデの噴水があり、塔の周りに沢山の彫刻が配置され、周囲は花園で囲まれている。
広場の北側には堂々たるオペラハウスがある。戦争で破壊された新劇場の跡地に建てられたものである。ゲバントハウスの西側にはライプツィヒ大学の校舎が並んでおり、東独時代はマルクス大学と称し、依然としてマルクスの顔の入った大きな浮き彫りを入り口頭上に掲げている。元あった聖パウロ教会は東独時代に爆破してしまったそうである。その北側の一番高い建物はグロッケン・ホフと言って時報鐘突親子像がてっぺんに立っているが、今は銀行らしい。
(聖ニコライ教会)
その西側に聖ニコライ教会がある。聖ニコライは旅人と商人の守護聖人で、この教会の創建は1165年、ライプツィヒ最古の教会である。外部は黒ずんでいるが、修復した内部は明るく装飾も美しいそうである。平和革命、ひいては1989年のドイツ統一につながる「平和と代願の祈り」で近年の歴史にその名を残した。
(シュペック・パッサージュ)
見本市会場の一つとして建設されたものであるが、建物群の中を通り抜ける。吹き抜けがあって壁に絵が描かれていたり、天井が革張りになった部分があったり、珍しい通路である。気がつくとマルクト広場の裏に出てくるが、この辺でシューマンが生まれたと聞く。真四角な建物ながら、窓枠を金色に装飾した旧証券商品取引所があり、その前に若きゲーテの銅像が立っている。彼は16才よりライプツィヒ大学で学んだ。
(メドラー・パッサージュ)
ゲーテ像の見つめる方向にメドラー・パッサージュの入り口がある。この見本市の町で最も完全な形で残るアーケードで、とりわけ有名なのが、パッサージュを数歩入った所にある「アウアーバッハ・ケラー」という歴史的な地下酒場である。ここはゲーテの有名な作品「ファウスト」の舞台となった所で、入り口にはファウスト博士とメフィストの立像がある。
(旧市庁舎)
第二次大戦で壊滅的打撃を受けたマルクト広場の東側に立つ、ファサードの実に印象的なルネッサンス様式の建物で、1556年の建造であるが、1990年の市制825年の大修復の成果である。正面を飾る出窓と回廊のアーチ、中央の大時計塔が美しい。内部は現在は歴史博物館になっている。丁度マルクト広場では催し物を開催中で自動車を含めて混雑しており、ゆっくりと周囲の歴史的建造物、例えば、ケーニヒハウスや旧計量所などを落ち着いて眺めている余裕がなかった。
(コメルツバンク)
マルクト広場から少し西へ聖トーマス教会の方へ行くと、コメルツバンクつまり商業銀行がある。元百貨店だったそうで、銀行には少し似つかわしくないが金色の装飾を建物の外部に散りばめている。
(聖トーマス教会)
バロック音楽を代表する作曲家バッハが1723年から亡くなる1750年までの27年間オルガニスト兼合唱長として働いた教会である。バッハは聖歌隊を指導しつつ、「マタイ受難曲」をはじめ数多くの教会音楽の傑作をここで作曲した。聖歌隊席にはバッハの墓が安置され、てつも美しい花が供されている。金色の祭壇、カラフルなステンドグラスではあるが、プロテスタントの教会らしい。又教会横に立つバッハの威厳ある銅像は、1843年にメンデルスゾーンがライプツィヒ市に寄贈したものである。教会の向かいにはバッハ資料館とバッハ博物館がある。しばらくフリータイムがあり、付近の商店街を散策した。
(昼食)
1694年シューマンが通ったというツーム・カフェ・バウムという喫茶店を覗き、バッハ像の前に集合してバスでリング南西端の新市庁舎へ行き、12:15ラーツケラーで昼食をとる。サラダ、ローストポーク、グリーンゼリーであった。13:35再びバスで一般道を東南に約2時間走る。道路はあまり良くない状態の所もある。
[マイセン]
15:30マイセン国立磁器マニュファクチャー前に到着。今から約300年前、1709年に東洋磁器の収集をしていたザクセン選帝候アウグスト2世が、錬金術師のベットガーに命じて「白い金」と珍重されたヨーロッパ初の白焼を焼かせたのが始まりで、翌年にはアルブレヒツブルグ城内に王立マイセン磁器製作所が造られ、それまで遠く中国や日本でしか手に入らなかった白磁が生産されるようになった。そして1865年にマイセン市南部郊外の現在の場所に工房が移された。
(マイセン国立磁器マニュファクチャー)
工房では磁器製造の過程を実演して見せてくれると共に、名品を陳列した博物館、即売所、喫茶店などが備わっている。
最初に歴史紹介ビデオを日本語の案内で見てから、工房を廻る。
@ろくろと成形陶工師
A接合飾り職人
B地塗り絵付け
C上塗り絵付け
マイセン磁器のトレードマークは二つの青い剣が交叉した図柄であるが、既に18世紀初頭から用いられ、種々変遷している。博物館では名品が揃えてあるだけあって、なかなかに優れた逸品が陳列されていた。オランダのデルフト焼より少し高級感がある。
17:15工房を辞してバスに乗り、エルベ川に沿ってドレスデンに向かう。
[ドレスデン]
ドライブすること約1時間、18:20にドレスデンのフォーポインツ・ホテルに到着。直ちにチェックインする。ホテルの名称は「ケーニヒスホフ ドレスデン」とも言い、なかなか立派な名前がついているが、中心部からは少し外れた南部にある。夕食は1時間後19:30ホテルでとる。ポテトスープ、魚ステーキ、クレープベリーソースであった。
本日の歩行数は8100歩。
|