第12日目 6月2日(土) ドレスデン→ベルリン
[ドレスデン]
エルベ川の川岸に開けたドレスデンは、君主の居城を持つザクセン地方の首都として発展してきた。特に18世紀から19世紀にかけて、ツヴ゛ィンガー宮殿などの壮麗な建造物が次々と建てられ、ヨーロッパ各地の美術品が収集され、「エルベ川のフィレンツェ」とも謳われたバロック芸術の都となった。しかし1945年213日、連合軍の大空襲で市内の70〜80%が灰燼に帰してしまった。その灰の中から市民の努力によって甦りつつあるのが現状で、人口48万人、統一後はザクセン州の州都に指定され、600年祭が行われた。
6:30起床、朝食、8:00荷物、8:30出発した。ガイドはサンドラさん。車窓から市庁舎の98mの塔を見ながら北に進み、エルベ川の近くに行く。
(アルベルティーヌム)
15世紀にこの町を都にしたアルベルティン公爵家の武器庫だったのを現在は複合美術館としたもので、建物は16世紀のルネッサンス様式、内部は19〜20世紀のヨーロッパ美術の近代絵画美術館、ザクセン王家の財宝を集めた宝物殿、古代エジプト、ギリシャなどの大理石彫刻を展示する彫刻館の3部に分かれている。ただし入り口は1つで、すべて共通入場料となる。
(王立美術学校)
アルベルティーヌムに並び西北側に王立美術学校がある。ガラスドームは恰好からレモン絞り器と呼ばれる。レオナルド、ミケランジェロ、ラファエルなどの名前が金文字で壁に記されている。アルベルティーヌム同様外から眺めただけである。
(ブリュールのテラス)
エルベ川沿いに1km程の長さに亘って広がる、16世紀の要塞の跡地。その後18世紀にブリュール伯爵の庭園が造られ、ブリュールのテラスと呼ばれる。高台になっているので対岸の眺めが良く、「ヨーロッパのバルコニー」との異名もある。練金術師ベッガーが白磁器作りに成功した実験室のある城もあった。
対岸には右手にザクセン行政府首相府(赤い丸屋根)、左手にザクセン財務省の建物が見える。川縁には遊覧船が停泊し、マリエン橋の彼方にゼンパーオペラやザクセン州議会の建物が見える。テラスを降りて旧市街を廻る。
(聖母教会)
まだ修復中であり、完成予定は2006年とのことで、修復資金として時計を2000円で売っていた。
(君主の行列陶板壁画)
レジデンツ宮殿のアウグスト通りに面した外壁に、マイセン磁器のタイルで作られた「君主の行列」と呼ばれる壁画が見られる。ザクセン地方の歴代君主の騎馬像を描いたもので、長さ102m、高さ8mに及び、使われたタイルは2万7千枚に達している。19世紀末20世紀初めに現在の形に造られドレスデン大空襲でも奇跡的に無傷で保たれたという。
(王宮と宮廷教会)
王宮はレジデンツ宮殿とも言い、歴代ザクセン君主の居城であり、12世紀末以来何度も改築しているので、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど様々な様式が合体した建物である。第2次世界大戦中の爆撃で破壊したのち、修復作業が現在も続行中である。入り口にはゲオルグ王の騎馬像があり、高さ100mの塔もある。隣の宮廷教会と渡り廊下で結ばれている。尚この教会はポーランドの王位にもつくためカトリックに改宗している。
(ゼンパーオーパー)
設計者ゼンパーの名が付くオペラハウスで、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」の初演もここで行われた。やはり戦時中ひどく破壊されたが、1985年古い資料に基づいて見事に再建されたものである。オペラ座の前の劇場広場にはヨハネ王の騎馬像が高い台の上に載っている。同行の松下夫妻は昨夜オペラを観に行った。
(ツヴィンガー宮殿)
ドイツ・バロック様式を代表する宮殿で、1710〜32年、ザクセン選帝候でポーランド王でもあったアウグスト1世の離宮として建てられた。19世紀になって、オペラ座を造ったゼンパーが宮殿の北側部分をイタリア・ルネッサンス様式で建造した。大空襲で壊滅した後原型通りに復元されている。南西のオストラ通りから濠を渡ると王冠の門があり、それをくぐると中庭に出る。宮殿はこの中庭を囲むように建っている。左右には「堡塁の棟」と「組み鐘の棟」が向かい合って建っている。後者には中央の時計の両脇にマイセン磁器の鐘がいくつも整然と配置されている。中央部にある宮殿にはアルテマイスター(古典巨匠)絵画館があり、イタリア・ルネッサンス期の絵画やドイツ人作家の絵画などが多数展示されており、一通り鑑賞することができた。
(昼食)
11:10王冠の門をくぐってオストラ通りへ出てバスに乗る。どこを走ったかよく分からぬが、トルコのモスクのような恰好をした旧タバコ工場の前を通り、マリア橋でエルベ川を渡り、車窓から日本宮殿を眺め、11:25新市街のキュールゲン・ハウスで昼食をとる。スープ、ロールキャベツ、ケーキでやや物足りなかった。明日はペンテコスタということであり、近くのハウプト通りは露店で埋まっていた。12:50再びバスに乗りアウトバーンを一路3時間、最期の宿泊地ベルリンに向けて走る。
[ベルリン]
ベルリンは東西ドイツ統一の前から何度か訪れており、前回は丁度5年前に東欧7ヶ国を廻るはじめにベルリンとポツダムを訪れた。今回はその後どう変化したかに関心があった。
(旧東ベルリン中心部)
イーストサイドギャラリーにはまだ壁の残りにストリートアーティストの絵が残っていた。バスで市内に入り、市発祥の地と言われるニコライ地区で、ベルリン最古のニコライ教会、赤い市庁舎と回り、アレキサンダー広場で高さ365mのテレビ塔を仰ぎ、優美なゴシックのマリア教会、大聖堂と眺める。大聖堂の隣のホテル・パラストが解体工事中なのを発見する。15:45シュプレー川の博物館島で下車する。ガイドの村田さんに迎えられて16:00ペルガモン博物館に入る。
(ペルガモン博物館)
古代ギリシャのペルガモン神殿ゼウスの大祭壇をはじめ、ミレトスの市場門、古代バビロニアのイシュタール門や凱旋道路、ヒッタイトや古代ペルシャの石の浮き彫り、未だに色鮮やかなイスラムの装飾など、何度来ても飽きない。日本語のテープだかCDだかを借りながら約1時間、急いで館内を一巡し、17:00再びバスで出発する。27名のノーベル賞受賞者を出したというフンボルト大学の前を通り、ウンターデンリンデンから左折してフリードリッヒ通りを南に下り、17:15かつてのチェックポイント・チャーリーに着く。
(壁博物館)
たまたま雨で館内は大混雑していたが、旧国境検問所跡でベルリンの壁の歴史を展示した博物館であり、ここだけは初めての訪問であった。写真パネルで紹介されているが、1961年から89年まで、155kmの壁があり、これを越えようとして約200人が死亡している。成功例では1964年トンネルを掘って57名が亡命し、1979年気球で家族8人が壁を越え、1961年改造車で5人が国境を突破した。しかし一般には運命のいたずらと言うか誠に気の毒な話であった。約1時間鑑賞して再びバスに乗り、グロピウスハウス横の未だ保存されている壁の断面に手を触れる。この辺りはゲシュタポの拷問室の跡だとのことであった。ガイドは子供が東独に残され、なかなか呼び戻すのに苦労したようで、我々は忘れてしまったが、日本の社会党が壁は平和の壁だと言ったり、日本共産党が壁を越えてゆくのはファシストだと言ったとか、口を極めて嘘つきと罵倒していたが、実感がこもっていた。
(ホテルと夕食)
18:45ベルリン市内東南部のエストレルレジデンス・ホテルに到着し直ちにチェックインする。このホテルには以前にも一度泊まったことがあるが、ベルリンでは最大級のホテルである。運転手のオスカーさんはここまで2090km走ってきたが、ここでお役ご免となり、ここよりベルリンのバスに代わる。
夕食は19:30に出発し西ベルリンの中心地クーダムに近いシルドクレッテ(亀)に行く。しかし南の方のアウトバーン経由で、あまり西ベルリンへ来ているという実感が湧かなかった。夕食はトマトスープ、チキンクリーム煮ライス添え、ベリー、でベルリン名物のビールカクテルがあった。食後クーダム通りやカイザーウイルヘルム教会の前を通ってホテルに帰った。時に21:30であった。本日は13,800歩。
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