[第9日 12月1日(土)] マルタ島→ローマ→機中
観光は予定通り終了し、あとは帰国を待つばかりとなり、朝10時頃ヴァレッタのホテル、メリディアン・フェニキアを出て、出発2時間前にマルタ空港に着く。
12:30 マルタ空港発 AZ887便。離陸は少し遅れて12:55。
14:00 ローマ空港着。 ここで乗り継ぎに6時間半もあり、同行の他の夫婦2組はここで途中下車し、2泊の延泊をするそうである。空港内も広いので、電車に乗ったり、あちこちと見聞しながら時間をつぶす。
20:35 ローマ空港発 AZ7788便。やはりアリタリアとJALの共同運行便で、空席は少なく、横になって寝るわけにはいかなかった。ただ時差が8時間あり、出発時既に日本時間では午前4:35になるわけで、早く寝たいと思っても、やれ食事だ何だかだでなかなか寝られなかった。
[第10日 12月2日(日)] 機中→成田→帰宅
予定通り16:40 成田に到着。私の荷物だけなかなか出てこない内に解散されてしまい、挨拶もしないで空港を後にした。
ABCで荷物を預けてから、京成特急、JR京浜東北で蒲田に出て、駅ビルで夕食をとってから東急多摩川線で帰宅した。
[あとがき]
旅日記その1の旅行概要を書いた翌日、コラムに「南地中海の旅から帰って」と題する随筆を書いたが、帰国後早くも今日で3週間以上経ち、毎日誠にめまぐるしい思いをした。
しかし旅日記の原稿もこれで終了し、一方写真もホームページにアップすると共に、アルバム用のプリントも出来て、一昨日アルバムも完成した。そこで旅日記の終了に際して、書き残した分をまとめて記録しておきたい。
(1) 旅日記の原稿
いつも海外旅行すると、記録として何らかの形で旅行記を書いていたが、前回のドイツ北東部歴史物語15日間以来、旅日記という形で毎日の行動をかなり詳しく書き残すようになった。
しかしこれには実はタネがある。ユーラシア旅行社のツアーに参加した方はご存知だが、添乗員が毎日食事のメニューを含めてA4版1頁の詳細な記録をコピーしてくれる。帰国後の写真の整理用にということだが、誠に重宝で便利している。特に今回の添乗員の米谷博子さんは、若い女性だが実に精力的に毎日記録してくれた。
従ってそれをもとに、一部フリータイムで独自に見聞したり、旅行案内書、解説書などで得た情報を付加して私の旅日記とした。
尚マルタ語は心得がないので発音が正確には分からないが、大体はガイド→添乗員の発音に従ったが、一部は解説書を参考にした。案内書、解説書、添乗員(ガイドの翻訳)の発音が皆違うものもあり、困ったものである。
(2) 旅の総括印象その他
シチリア島もマルタ・ゴゾ島も、考えてみれば非常に古い歴史の遺跡と、山や海の自然の素晴らしい景観を売り物にして、観光が重要な産業になっている。国際テロの直後でまだ客は少なかったが、治安上は全く問題なかった。僅か37万人でも独立共和国(マルタ)としてやっていけるので、日本でも真剣に地方自治を3割から早く10割に拡充すべきであろう。
今回も幸い同行者間でのもめ事はなかった。ただ一寸無駄口の多い老女が二人いたので時々注意した。
ホームページへの写真の掲載は、やはり容量の落とし方が面倒なのと、写真の番号を名前に変えると、順序が滅茶苦茶になるので修正に手間取った。又一太郎で作った原稿を簡単にホームページへアップ出来れば良いのにと思っているが、まだ実現の方法が分からない。
−おわり−
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