異文化探訪記


Thursday, 6 June,2002    ロシア・ウクライナ・バルト三国15日間の旅(1)
第一報 旅行概要
 
 ユーラシア旅行社の上記ツアーに参加して、2002年5月14日に出発して28日に予定通り帰国することができた。概略の行程は既報の通りである。
 全般的に、十数カ所の都市で数多くの教会、特にロシア正教の寺院乃至は修道院を訪れ、その中でもかなりの数で内部に入り、料金はとられたが写真撮影が可能であった。このためデジカメの撮影枚数が1,100枚にも及び、その画像処理に時間がかかったのと、撮影した対象がどこであるかの特定に時間がかかってしまった。珍しい映像も多いので、あまり省略しても勿体ないし、かといってずらずらと並べたら果てしなくなるので、どのように報告をまとめるか思い悩んでしまった。(ユーラシア旅行社は添乗員が毎日A4の用紙一枚に前日の行動記録を報告してくれるので大変助かるが、それでも記録写真の特定には結構骨が折れる。はっきり言えば、少し前のことなのに記憶が戻らない。)
 結果として今回の旅行に対しては、第一報として旅行概要を述べ、以下各論として第二報以下モスクワ(ロシア)、黄金の環(ロシア)、キエフ(ウクライナ)、リトアニア、ラトヴィア、エストニア、サンクト・ペテルブルグ(ロシア)に分けて報告し、なるべくそれに応じてアルバムも整備してゆくことにした。
 実は丁度5年前の97年5月下旬から6月上旬にかけて、モスクワ、サンクト・ペテルブルグからフィンランド、スェーデン、ノルウェー、デンマークの北欧4ヶ国に旅行したことがある。従って今回のモスクワ、サンクト・ペテルブルグは2回目の旅行であり、この5年間の変化を見ることができた。モスクワの東北方250kmに拡がる黄金の環と称する一群の古都と、バルト三国は今回が初めての旅行であった。
 
[モスクワ]
 アエロフロート(ロシア航空)のサービスも大分良くなり、モスクワのシェレメチボ空港も大分明るくなったものの、入国審査と税関申告は相変わらず極めて能率が悪く、2時間以上もかかった。5年前と比較すると、自動車が増えて市街地の道路の渋滞は極めて激しくなり、又物資も大分豊富になったようである。但し町の看板は相変わらずロシア文字が殆どで、それを一字づつ読むのに難儀した。
 クレムリンとは元来要塞の意味で、各地にあるがモスクワのクレムリンも大分整備され、武器庫の中の宝物殿には昔の王朝時代の絢爛たる遺品が展示されている。又聖母昇天を意味するウスペンスキー寺院では内部のフレスコ画が天井まで埋め尽くしていた。撮影は多くの所で可能だが有料であった。
 赤の広場でも、今回はモスクワのシンボル的建物である聖ワシリー寺院やグム百貨店も内部に入ることができ、画像は追って紹介できると思う。
 モスクワ川を南西に、ノヴォデヴィッチ修道院のある湖は、かつてチャイコフスキーが「白鳥の湖」の作曲の想を練った所といわれているが、相変わらず落ち着いて美しく、雀が丘(旧レーニン丘)は相変わらずマトリョーシカというロシア人形の露店で賑わい、学生数3万人というモスクワ大学も相変わらずであった。
 
[黄金の環]
 黄金の環とは、モスクワの東北方約250kmに亘ってリング状に展開する、黄金の頭をいただくロシア正教の故郷である古都の群れの総称である。
(セルギエフ・パサード)では16世紀の城壁の中にいくつもの寺院のあるトロイツェ・セルギエフ大修道院を訪れ、三位一体教会、府主教宮殿、奇蹟の泉、ウスペンスキー寺院などを覗き、高さ88.5mの鐘楼やボリス・ゴドノフとその家族の墓などもあった。
(ロストフ・ヴェーリキー)でも17世紀の城壁の中に入り、ウスペンスキー寺院から15の鐘がある鐘楼を眺め、美しいフレスコ画のあるヴァスクレセーニェ(復活)教会から城壁の上の廊下を歩いて聖ヨハネ教会を覗き、赤い(ロシア語では美しいという意味)宮殿、スパソヤコフスキー修道院に寄り、城外のネロ湖の湖畔で地元の篤志家の手作りの博物館を訪れた。
(ヤロスラブリ)モスクワから一番遠いヤロスラブリでは、ヴォルガ河のほとりのホテル・ユビレイナに泊まったが、シャワーしかないのに、熱いお湯が出なかった。12世紀のロシア文学の傑作「イーゴリー軍記」が発見されたというスパソ・プレオブラジェンスキー修道院や、最後の審判のフレスコ画のあるイリヤ・プロロク教会を訪れる。その後コトロスル川とヴォルガ河の合流点にある公園、商人と旅人たちの17世紀の素朴なニコライナディン教会に立ち寄る。
 忘れていたが、今回の旅行の特色の一つは、白夜と共に新緑の森の豊かさで、モスクワ以来、最後の水の都サンクト・ペテルブルグへ着くまで、終始豊かな森に囲まれ、清らかな川に恵まれた。
(スズダリ)昼食後クレムリンに入り、ロジェスト・ウェンスキー寺院、府主教宮殿その他を見学、商店アーケードでフリータイムをとる。
 翌朝カメンカ川沿いにある木造建築博物館では、屋外の緑の芝生の中に、教会、昔の家、裕福な人の家、風車、大車輪のついた井戸端会議用の井戸などがあった。スパソ・エフフィミナ修道院では4人の修道士が絶妙な聖歌男声4重唱を聞かせてくれた。フレスコ画も多く、牢獄まであり、12時からは3人で操作する沢山の鐘の合奏を聴かせてもらった。近くのこぎれいな女性用ポクロフスキー修道院で昼食をとる。
(ポゴリューボ)鉄道駅の近くでバスを降り、片道1.5kmの牧草地を歩いて、ネルリ川沿いの白鳥と称されるポクロフ・ナ・ネルリ教会を訪れる。1165年に造られ、早春は雪が溶けて辺り一面湖になる。中にはモザイクのイコンがあった。帰路は大雨に祟られた。
(ウラジミール)人口36万人、12世紀のロジェストヴェンスキー寺院、かつて200年間ロシア正教の総本山で、モスクワの同名の寺院のモデルであったウスペンスキー寺院は、18世紀のイコノスタシスや15世紀のフレスコ画「最後の審判」がある。グラズマ川の近くでは結婚式のカップルを見かけたが、金曜と土曜は結婚式が多いという。12世紀の聖ドミトリエフスキー寺院には入らず、黄金の門は扉に金が貼ってあったという。
 ロシアの首都は、現在ウクライナになったキエフに始まり、ついでウラジミールが引き継ぎ、モスクワ、サンクト・ペテルブルグ、モスクワと移ったという。ウラジミールには大きな工場が50もあり、地域暖房を兼ねた火力発電所も市内にある。又郊外には沢山のダーチャ(別荘)があり、菜園で野菜を栽培している。
 これで黄金の環を一巡りしてモスクワに戻り、空路ウクライナのキエフに移動する。前回と違って今回ロシアではホテルやレストランで飲み水が用意されていることが多く、食事のコースに必ずコーヒーか紅茶が含まれていたのは有り難かった。
 
[キエフ]
 ウクライナの国土面積は日本の1.5倍あるが人口は4,900万であり、首都キエフの人口は260万人という。新緑の季節で緑が豊かであると共に、切り花が色鮮やかで美しい。ロシアより心なしかおっとりしているような感じを受ける。
 市内観光ではまずウラジミールの丘公園に行き、ソ連時代に破壊され再建したばかりの聖ミハイル修道院(ここは内部撮影禁止)、外観の綺麗な聖アンドレイ教会、ヤロスラフ大公の墓もある聖ソフィア寺院、ウラジミール聖堂などを見学、昼食後郊外のペチェルスカヤ大修道院へ行き、地上の寺院のみならず、地下の真っ暗なカタコンベを蝋燭の灯を片手に歩いた。その後戦争博物館とかキエフ三兄弟の像を眺めた。
 翌日の午前はフリータイムなので、市内のマーケットまでバスで送ってもらい、ついでシフチェンコ公園、オペラ劇場、黄金の門、と歩き、再びシフチェンコ公園に戻り、近くのロシア美術館に入り、又真っ赤な建物のキエフ大学や植物園を覗きながらホテルに戻った。ホテルは勝利広場の一角にあり、近くのマーケットでは24時間営業で品物も比較的豊富であった。
 昼食後空路リトアニアの首都ビリニュスに移動した。
 
[リトアニア]
 キエフからリトアニア航空でリトアニアに向かおうとしたが、座席が23しかないのに25人に発券したため2人分の座席がなく、出発できなくなった。説得によりようやくモスクワ経由でリトアニアに向かうことに2人同意して退席したため、約1時間半遅れてしまった。しかしスチュワーデスはなかなかの美人であった。
 リトアニアは1991年に独立した人口380万人の国で、今回訪問した諸国の中で唯一のカトリックの国であった。ビリニュスはその首都で人口は約60万人である。
 18時10分に空港を出て、バスでビリニュス市内の観光に向かう。そこは白夜の有り難さ、全く支障がない。大聖堂の前でバスを降り、少し南の大統領官邸からビリニュス大学に、ついで東に進んで、ナポレオンがフランスに持って帰りたいといったという赤煉瓦作りでゴシックの美しい聖アンナ教会と隣のベルナルディン教会を眺め、夕食をとってから少し町から遠いが環境の素晴らしいホテル・ヴィロンに一泊する。
 翌朝17世紀中頃にできて約2000の漆喰彫刻が素晴らしい郊外の聖ペテロ・パウロ教会を尋ね、ゲディミナス城の塔を見ながら西へ新市街を抜け、工業地帯を抜けて郊外のトラカイ城に行く。湖に囲まれた半島で、かつてのリトアニアの首都であり、14世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぎ祭祀を行うために作られた城である。5000万年前の松脂が固まってできたという琥珀の首飾りなどの露店が出ていた。又閉鎖されている城内をこっそりデジカメで撮影に成功した。
 ここから少し西北にリトアニア第二の都市カウナスがある。人口43万人で、1920〜1940年には首都であった。先ず旧日本領事館を訪れ、ユダヤ人にビザを発行した杉原千畝氏の執務室などが現在記念館になっている。更に西の旧市街に行き、カウナス城、旧市庁舎(現結婚式場)、15世紀のゴシック教会では国内最大の大聖堂を見学する。
 市内で昼食後ヴィェニベス広場で下車し、メインストリートでフリーとなり、町中を散策し、旧ロシア正教で現カトリックの教会を覗く。
 バスに乗車後森や畑の中を次のラトヴィアの首都リガまで北に約270km、国境では意外にスムースに通過できた。
 
[ラトヴィア]
 ラトヴィアはプロテスタントの国で人口は250万人位であるが、首都のリガは昔ハンザ同盟に加盟して発展し、人口80万人とバルト三国の中では最大の都市である。ダウダウ川の東岸に旧市街があり、それを囲んで周辺に新市街が延びているが、川の西岸のホテルからも市街地が一望できる。
 前夜旧市街で夕食をとったが、翌朝はまず旧市街北部の新市街のアルベルタ通りで、ミハエル・エイゼンシュタインの手がけた、100年前に流行したアールヌーボー建築と称する外面に彫像等の装飾の多い建物群を眺め、ついで東南の国立オペラ劇場前でバスを下車して旧市街を徒歩で廻る。聖ヨハネ教会、ブレーメンの音楽隊の像を見てから聖ペテロ教会に行き、高さ72mの展望台にエレベーターで登り、リガの市内を一望して概要を掴む。その後旧市街の北半分にあるリガ大聖堂、リガ城、三兄弟の建物、聖ヤコブ教会、スェーデン軍の旧住居、スェーデン門、火薬塔、大ギルドホール、猫の家と歩き回り、昼食後今度は又南半分の占領博物館、華麗なギルドハウスの前でバスに乗り、国境の町アイナジを通ってエストニアの首都タリンに向かう。
 
[エストニア]
 バルト三国の最北部にあるエストニアは人口約150万人のプロテスタントの国である。首都タリンはラトヴィアのリガ同様ハンザ同盟に加盟して、ロシアの窓口として栄えたが、人口は約40万人である。タリンの語源は昔やってきたデンマーク人の城とか町という意味だそうである。三国とも周囲の国々との間に甚だ複雑な歴史を抱えている。
 前夜旧市街で夕食をとったが、旧市街の東の外れにあるホテル・ヴィルは殆ど唯一の高層建築で、ホテルから市街地は一望できるし、市街地からはホテルが目安になる。
 翌朝まず東北部のタリン湾に面したカドリオク公園に行き、歌の祭典の会場「歌の原」を訪れ、ビーチとハーバーのあるピタリ地区に寄ってからタリン港最新のターミナルに立ち寄る。
 ついで旧市街の西南部のトーンぺヤ地区から徒歩で旧市街の観光に入る。まずトーンペヤ城ののっぽのヘルマン塔、エストニア議会、ロシア正教のアレキサンドル・ネフスキー聖堂(ミサ中で写真撮影禁止)、大聖堂、エストニア美術館の前を通って高台のトーンペヤ地区北側の展望台へ行き、北側の海とあらためて旧市街の地理を頭に叩き込む。といっても南北1km、東西0.6km位しかない。
 南の端から急な階段を降りて、先ず聖ニコラス教会、次いで猫の井戸、歴史博物館、ギルドハウスなどを見てから中心部の旧市庁舎広場で周囲を見物し、ついで北のカタリーナの小道、ドミニカ修道院を見てから再び南のトーンペヤ地区に上がり、昼食をとる。
 午後はフリータイムとなり、まず大聖堂を覗き、美術館に入ってみて案外レベルが高いことを知る。ついで聖ニコラス教会は写真は駄目で、歴史博物館は少し覗いてみたが、あまり面白くなさそうなので入るのを諦めた。北に向かい楽しみにしていた聖オレフ教会はどうしても入れず、北端の太っちょマルガリータ(城塞)、三姉妹、三兄弟の建物、旧市庁舎裏手の露店市をひやかし、色鮮やかな切り花の店が続くヴィル門から出て、公園の中にあるコンサート・ホールを眺めてホテルに戻る。夕食は希望者で旧市庁舎裏の中世にタイムスリップしたような薄暗い、給仕が民族衣装の、古風なレストランでとる。
 翌日はバスでサンクト・ペテルブルグへ向かうが、国境の町ナルヴァで下車してナルヴァ城に入り、レストランで昼食をとってから城内を観光した。ここは13世紀にデンマーク人によって通商路を監視する目的で建てられたもので、ナルヴァ川の対岸にはロシア領のイワンゴロド城が対峙している。
 城内はお祭りで賑わい、塔内の展示室をみてから展望台に行った。
 ナルヴァ城の直ぐ傍にエストニアとロシアの国境があり、相変わらずロシア側の能率は悪いが、それでも2時間10分くらいの超特急で運良くロシアに再入国でき、バスで一路サンクト・ペテルブルグへ向かった。
 
[サンクト・ペテルブルグ]
 時差もあり、20時24分サンクト・ペテルブルグに到着し、ワシーリー島のプリバルチスカヤ・ホテルにて夕食をとり、宿泊した。5年前にはなかなか良いホテルだと思っていたが、今回はレストランで給仕が土産物を売りにテーブルを廻ってくるので、いささかがっかりした。又バルト海の波打ち際もいささか汚れていた。又サンクト・ペテルブルグ自体、来年が創立300年祭になるので、目下あちこちで建物を修復していた。多分再来年辺り行けばすっかり面目一新の町が見えるであろう。又ブッシュやプーチンが来るとか、町中大勢の警官が出ていて交通規制をしており、観光を阻害すること夥しかった。
 翌日は午前がピョートル宮殿のペトロヴォレツの観光で、バスで行き、宮殿内で昼食後帰りはバルト海を高速艇で戻ってきた。もともと147基の噴水が有名であるが、何の行事か、陸軍、海軍、警官が大勢入ってきて、一般客を噴水の近くから遠ざけていた。他方宮殿内部は黄金でピカピカであり、それこそフランスのベルサイユ宮殿より遙かに華やかであり、前回改装のため見られなかったこともあり、かなり意外な感じがした。これらはいずれ写真で紹介できると思う。
 午後はエミルタージュ美術館で、内部は昔とあまり変わっていないが、団体客の入り口はネヴァ川側から反対の広場側に移されていた。イタリア→オランダ→印象派→抽象画と前回とほぼ同じ経路を辿った。写真は人が多くてなかなか撮れず、暗くて手ぶれでぼけてしまったものもある。
 翌朝もプーチンが通るとかで通行止めを食ったが、宮殿橋のワシーリー島側で写真ストップ、ついでイサク寺院(前回入れず今年こそと思って行ったがやはり入れず無念)、青銅の騎士像(フィンランドの大統領夫人が見えるとか式典献花の練習をしている)、血の上の教会、スモールヌイ修道院と前回同様観光し、ペテロパヴロフスク要塞を見てからワシーリー島で昼食をとり、サンクト・ペテルブルグのプロコヴォ空港へ向かい、モスクワ経由帰国の途についた。
 そして予定通り5月28日午前9時40分成田空港に到着し、流れ解散でツアーを無事終了した。一行は添乗員の他13名であった。

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