第三報 生活記録 (その7) 最終回
(第13日) 2002年5月26日(日) 晴 サンクト・ペテルブルグ市内観光
7:00 起床、7:30 朝食、8:30 出発、ブッシュ氏来訪で各所で交通渋滞。
ガイドはユーリ氏、運転手はバリラ氏。
9:40 ペトロドヴォレツ(ピョートル宮殿)(別名夏の宮殿)到着、庭園散策。
11:00 宮殿建家内見学(金の階段→ペチカ→書斎→謁見の間→玉座の間→大広間→
食堂→東洋風漆の間→肖像画の間→赤色の会議室→家族用食堂→居室→
王冠の間)とにかく驚くほどキンキンキラキラでヴェルサイユより遙かに派手。
12:20 宮殿内レストランで昼食、食事中に噴水開始の花火が上がる。
サラダ、ロシア風水餃子、キエフ風カツレツ・ポテト添え、ケーキ、珈琲。
13:15庭園散歩、噴水は147基、ここは噴水が見物、黄金の彫像多し、波止場へ出る。
13:45〜14:15 水中翼船にてエルミタージュ美術館前に着く。
14:30 エルミタージュ美術館見学(大使の階段→黄金の馬車→ピョートル大帝の間→
工芸品展示場→聖ゲオルギーの間→パピリオンの間→ラファエルロ回廊→
イタリア絵画彫刻→スペイン絵画→オランダ絵画→印象派絵画→抽象画)
17:00宮殿広場より歩いてバスに乗り、夕食、レストラン・アカデミアにて。
シーザーサラダ、イクラのクレープ、壺焼きシチュー、アイスクリーム、珈琲。
19:30 ホテル・プリバルチスカヤ帰着。まだ明るいのでホテルの前の海岸(バルチック海フ
ィンランド湾)に出る。コンクリート面の広場でうっかり躓いて転んだら、広場で球技
をしていた少年達が早速駆け寄ってきて助け起こしてくれた。有り難いことで厚く感
謝した。人情は美しいが、波打ち際は少し汚れていた。恵子は夜オペラ。アイイー
ダを見に行った。
写真133〜317
(第14日) 2002年5月27日(月) 晴 サンクト・ペテルブルグ→モスクワ→(成田)
6:30 起床、7:20 朝食、
9:15 ホテル出発、市内観光(ワシーリー島の岬→ニコライ1世騎馬像→聖イサク寺院
→青銅の騎士像→キリスト復活聖堂(血の上の教会)→スモーリヌイ修道院→
オーロラ号→ペテロパヴロフスク要塞→砲兵歴史博物館)
12:00 ワシーリー島の19世紀風内装のレストランにて昼食、
サラダ、ボルシチ、魚、デザート、珈琲。
12:55 出発、13:50 サンクト・ペテルブルグ プルコヴォ空港着。
15:20 プルコヴォ航空FV143便にて飛行時間約1時間。
16:20 モスクワ・シェレメチボ空港着。国際線ターミナルへバスで移動。
19:30 モスクワ発 アエロフロート・ロシア航空SU575便、時差+5時間、機内泊。
(第15日) 2002年5月28日(火) (モスクワ)→成田→帰宅
9:40 成田着、成田空港第2ビル→日暮里→蒲田(昼食)→沼部にて無事帰宅。
写真318〜374
[総括]
1.気候は快適で、セーターや半袖は持参したが結局使う機会がなかった。
2.食事の量はそれほど多くはなく、味も多様で比較的食べやすかった。
3.殆どのレストランで水と珈琲或いは紅茶が出るので、外部調達は不要であった。
4.ホテルも概してよく、ヤロスラーブリのみシャワーだけで、且つ熱湯が出なかった。
5.治安はどこでも全く問題なかった。W杯サッカーの前月でよかった。
6.通貨は国毎に全部違うので面倒であった。米ドルが比較的よく通用する。
7.毎日かなり歩くので(10,000〜25,000歩)、下半身は鍛えておく必要がある。
8.ロシア文字はやっと読めたが、今回はどこの国も言葉が分からなかった。
9.ロシアはこの5年間で自動車が激増し、市内の交通渋滞が激しくなった。
又ソビエトの面影が消え、ロシア正教や王朝時代の金ぴか装飾の印象が強かった。
しかしロシアのみ相変わらず入国審査の能率は極めて悪い。
10. ウクライナは独立したが、キエフには何となくのんびりした雰囲気があった。
11. バルト三国はやはり西欧的な雰囲気が強く、西欧からの観光客も多い。
おわり
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