異文化探訪記


Thursday, 5 September,2002    イラン(ペルシャ)大周遊12日間(その2)
[4] イランの歴史
 紀元前5世紀、世界最古のヘロドトスの「歴史」に、ギリシャ・ペルシャ戦争に関連して昔のペルシャ帝国の事がよく出てくるが、当時作ったペルセポリスの遺跡がまだ残っており、その入り口の楔形文字の碑文の研究からメソポタミア文明が明らかになり、シュメール文明が人類最古の文明として浮かび上がったものだそうである。又石の階段の側面に描かれたレリーフ(浮き彫り)が残っており、当時ペルシャ帝国に朝貢した多くの国々の人の衣装が今でも明らかである。
 アケメネス朝ペルシャ帝国(BC550〜BC331年)はマケドニアのアレキサンドロス大王に敗れたが、やがてアルサケス朝パルティア帝国(BC250〜AD226年)ができてローマ帝国に拮抗した。ついでサザン朝ペルシャ帝国(226〜651年)に王朝が交代したが、当時勃興したアラブのイスラム勢力に征服され、以後15世紀末まで多くの異民族のイスラム王朝に蹂躙された。16世紀に入り、サファヴィー朝(1502〜1722)が覇権を握り、一時首都イスファハンは世界の半分とまで言われたが、アフガン人に侵略され、やがてザンド朝(1750〜1794年)、カジャール朝(1794〜1925年)と続き、第一次世界大戦後一時英国の保護領となったが、パーレビー朝(1925〜1979年)が2代続き、白色革命(西欧型近代化)の反動でイスラム革命が起こり、旅行中の98年2月11日が革命勝利19周年記念日であった。
 
[5] イランの宗教
 ユダヤ教を始めとしてキリスト教、イスラム教が一神教として世界の大半をカバーしているが、そもそもバビロンのユダヤ人捕囚を解放し、エルサレムに神殿の建設を許したのはペルシャ帝国のキュロス大王であった。サザン朝までのペルシャ帝国では、古代宗教のアフラ・マツダ神を守護神とする拝火教(ゾロアスター教)が国教であり、現在でもヤズドを中心に残っている。尚戦前東芝で作っていたマツダランプは、光の神としてアフラ・マツダ神に因むものであり、又ドイツの哲学者ニーチェの「ツァラツーストラはかく語りき」のツァラツーストラは教祖ゾロアスター(英語読み)のドイツ語読みである。
 現在は7世紀にアラブに征服されて以来イスラム教であるが、少数派のシーア派であり、共和国でありながら、大統領の上にイスラム教の最高指導者と、次席として最高評議会議長の二人がいる変則的政治形態をとっている。たまたま旅行中に革命記念日に遭遇したせいか、どこえ行ってもホメイニ師やハメニイ師の写真が張り出され、全ての面でイスラム教が優先している感じであった。
 しかしトルコなどのイスラム教と異なり、一日の礼拝は3回であり、モスクのかたちも異なり、中庭形式である。ドームを縦に半分に割ったようなイワーン(前室)は両側にミナレッとを抱え、天井にはイラン独特の鍾乳石の模様がある。モハメットが洞窟に隠れて難を逃れた故事に由来する。その奥にドームがあり、メッカに向いた南面には一段床の低いミイラブがある。ドームの天井は美しい模様があるものが多い。そのセットが中庭を挟んで多いものは四つもある。又地下に礼拝所のあるものもあり、冬暖かく、夏涼しいという。
 一寸変わっているのは、ホメイニ、ハメニイ、ラフサンジャニ、ハタミなど聖職者の名前の最後は「i」で終わっているが、「i」をとったホメイン、ハメン、ラフサンジャン、ハタム等が出身地名であり、「i」をつけて人名としているそうである。又聖職者でもアリーの子孫の血統は黒、その他は白のターバンをつけており、黒の方が上位だそうである。
 ただ多くのモスクを訪ねたが、どこへ行っても一般の礼拝者を殆ど見かけなかったのはむしろ不思議な感じがした。民衆はあまりイスラム教に熱心ではないのであろうか?

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