[6] イランの人
男性は黒髪で顔面髭だらけの人が多く、ノーネクタイである。ネクタイは反イスラム文化の象徴と見られているらしい。他方女性は外国人を含めて、ホテルの自室以外常にスカーフやチャドルを着用するよう義務付けられている。レストランや飛行機の中でも外せないので、夏はさぞかし鬱陶しいことであろう。男女ともに物理的に日本人より鼻が高く、眉毛が濃い。
所で女性、特に若い女性には美人が多く、なかなかチャーミングであり、我々外国人にも積極的に近付いてくる。邪推すれば、スカーフや黒いチャドルで身を包んでおかないと、男性がめろめろになってしまうのを恐れて予防措置を講じているのかも知れない。
又眼鏡を掛けている人が非常に少ない。男性では1割以下、女性では3%以下のように見えた。あまり小さな字を読む習慣がないのかも知れない。この為町中で眼鏡屋は殆どみかけなかった。
人口は約6000万人、このうち首都テヘラン周辺に1000万人近く集中しているという。周辺の種々の民族が入り混じっているようであるが、観光客や白人は極めて少なく、11日間の滞在中観光客に遇ったのは僅かに1回、イスファハンのドイツ人グループだけであった。
1951年石油国有化の為列強からボイコットされた時、日章丸で出光石油が買付に行ったことから、日本人に対しては今でも好感をもっているようで、とても親切であった。
[7] イランの物
大きな都市の中心部は自動車でかなり混雑している。乗用車では国産のペイカンという車が多いが、独・仏の車もあり、たまに日本車も見かける。運転マナーは余り良くなく、横断歩道も余りない。新車は少なく、かなりぶつかって傷のある車が巾をきかせている。小型トラックはトヨタ・ニッサン・マツダの独占で、バスはベンツが多いがまず冷房はない。田舎道には大型トラックが多く、200kmおき位に密輸の検問所がある。
商店街では男物のシャツ類と靴屋が圧倒的に多い。反面婦人服は滅多に見かけない。食料品も結構豊富であり、貴金属店もあちこちにある。大都会のバザールでは、絨毯屋、更紗屋、貴金属屋が軒を連ねている。これらはイラン人にとっては財産と考えられている。尚金に微細な加工をした物も多いが、人件費が安いので、グラムいくらで値が決まってくる。観光客用の本や写真はまだ充分出回っていなかった。
絨毯は本場だけあって工房をあちこち見せてもらった。毛と絹とあるが、絹では1平方センチあたり140ノッツ(結び目)以上のものが高級品と言われている。出来上がるまで何ヶ月も何年もかかる気の遠くなるような手工芸品もある。
[8] イランのカネ
1ドルが公定では3000リアルであるが、町では5000リアルとも言われていた。しかし町ではなかなかドル交換の機会はなく、イラン人ガイドはこれでかなり稼いでいたようで、お土産の菓子を配っていた。
観光客が少ないせいか商店の値札はすべてアラビア文字であり、なれないとなかなか数字を読みとれない。やっと数字に慣れてきた時は帰国の間際であった。
ガソリンは1リットル僅か6円であり、1.5リットルで66円もする飲み水より遙かに安い。石油が豊富で多分電気代も安いのであろう。街の通りや商店はライトで明るく、赤、黄、緑の照明で賑やかであった。しかし将来石油がなくなることを考えて、原子力発電所を作ろうとしていた。
ナンと称する薄いパンも焼きたては美味しく、50センチ角くらいで2円で売っていた。勿論自動販売機はないが、物価は概して安いようであった。
一方収入の方はよく分からなかったが、平均して月200ドルくらいの感じであった。しかし町中に大勢の男が屯しており、一体仕事をしているのかどうかよく分からぬし、添乗員が説明していると群衆が何時の間にか珍しげに周りを取り囲んでくる。又ホテルのレストランも従業員は殆どが男であり、女性は掃除婦以外滅多に見かけないような状態であった。
(つづく)
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